混戦

 先手必勝。

 囲碁や将棋なんかで、先に差した方が勝つことが語源となっている四字熟語が、俺の脳裏を過ぎった。

 肩を撃つ事で、戦意を喪失するかもしれない。少なくとも、俺はこの男に対する恐怖心から自身の優位性を獲得したかったのだ。

 しかし数秒後、俺はその考えが誤っていたことを思い知る。

 9ミリ弾が穴を開けたのは、男の肩ではなくスピードメーターだった。

 先から白い煙が上がる銃身を、奴は掴んでいたのだ。

 9ミリパラベラム弾の初速は350 m/s。人間が何かを見てから脊髄反射で体が反応するまで、約0.1秒程と言われている。

 常人が、弾が銃口から出るまでに銃身を掴んで目標をずらすなんて荒業、出来るわけ無い。

 つまり、

 強烈な寒気が走る。この男に対する恐怖心からか、いつもの勘かは判らなかった。それを考えるよりも先に、男が動く。

 銃を握る手を前に引いた、銃を手放すまいと握り込んでいたのが災いし体が引き寄せられ、頭をシートに激しくぶつける。いくら柔らかい素材とはいえ、頭をぶつけられたせいで意識がコンマ数秒飛ぶ。

 次の瞬間、耳元で爆音が鳴り響いた。

 耳鳴りとぼやける視界の中、目玉を向ける。頭から僅か一ミリ弱の所に、穴が空いていた。

 転がり落ちるように、車から降りる。ふらつきながら立ち上がり、車の方を見ると男がのったりした動きで片手にグロックを持ち、車から降りて来た。

 銃声が鳴ったせいか、周りに一般人の姿も気配も無く閑散としている。

 流れ弾も、人質を取られる心配も無い。俺は改めて、USPを構えた。


「……これが最後だ。付いて来い」

「市民を盾にして、パーティー喧嘩誘う奴にはって言われてるんでね」


 もう一度撃鉄を倒す。


「……そうか」


 そう言って男は、フードを取りマフラーを剥ぐ。白日の下に晒した顔は、一週間前に会ったコックの男だった。


「表は平凡なコック、裏は凄腕のヒットマン……ケイシー・ライバックスティーブンセガールかよ……」

「……軽口叩く余裕があるようだな」

 

 コックもグロックの銃口を俺に向けた。驚いている場合じゃない。

 西部劇のワンシーンの如く、両者同時に引き金を引いた。

 頬に銃弾が掠める。

 弾が当たってないことが判ると、コックはグロックを片手で撃ちながら突っ込んで来た。こちらも引き金を引くが、当たらない。一メートルもない距離になると、グロックを捨て隠し持っていたナイフを振った。

 俺は突き出された腕を、合気道の動きでいなす。


「やるじゃぁ、ねぇかぁ……」


 スパゲッティを褒めた時とは打って変わって、何かに取り付かれたような狂気に染まった顔をしている。

 USPを至近距離で二発ぶっ放す。しかし、行きつく先はコックの胴体ではなく向かいのビルの壁だった。銃口は確実に、あいつの胴体を向いていたはずだ。


「人間か?お前……」


 人間の反応速度を超えている。拳銃だと逆に不利になる。そう判断し、ホルスターに銃を仕舞って格闘の構えをした。


「……CQC軍隊式近接格闘術か。悪くない」

「……」


 白い歯をむき出しにしながら、コックは一直線に走りだした。

 流れるように繰り出す初撃を、体をよじって躱しナイフを持つ腕をつかみ、そのまま背中に回り、捻り上げる。

 うめき声をあげ、ナイフを落とした。それを遠くに蹴り飛ばす。

 コックが武器を落としたことで俺の意識には一瞬の余裕が生まれた。するとコックが空いている腕で、肘鉄を俺の腹に叩き込んできた。腹に伝わる衝撃は、人間の力では到底出せないものだった。

 呼吸が止まる。


「アッッ……ガァッ…………」


 浅く、肺に酸素が届かない呼吸を繰り返す。胃酸が混じった唾を吐き、距離を置いて構え直した。けれど、意識の綱は今にも千切れてしまいそうだ。


「これで……終わりだ!」

「!?」


 目にも留まらぬスピードで、間合いを詰めて来た。反応する間も無く、鳩尾に拳がめり込む。

 筆舌にしがたい痛み、内臓の一つや二つ壊れる音が脳内に響き渡る。ドロドロになった朝食をアスファルトにぶちまけ、力の入らない体を制御出来ず倒れ込んだ。

 涙で滲んだ視界にいっぱいに、コックの足が映る。そして。


「これで……まだ生きられる」


 意識を失う前、それだけ聞こえた。




 気絶した赤沼浩史の腕と足を拘束し、後部座席に寝かせる。H&K USP拳銃とショルダーホルスターにあったマガジンを、グローブボックスに仕舞った。

 一息入れると、不意に頭痛がした。勝ったとは言え常人だったらノックアウトさせている状況だ、俺も少し無理をしたかもしれない。ボックスの中にあった、小瓶から紫色の錠剤を口に放り込み、噛み砕き飲み込む。

 脳ミソを締め付けるような痛みが引く。

 運転席に座り、赤沼を一瞥し動いていない事を確認しもう一度キーを回した。セルが動き出す音に混ざり、ロック音楽が鳴りだした。

 音がする方を向く、赤沼のジーンズのポケットから響いている。


『応援を呼ぶ』


 銃を突きつけた時、間違いなく赤沼はそう言った。

 刹那、銃声と同時に小さい穴が空き、フロントガラスに白くヒビが入った。


「クソッ」


 ギアを入れアクセルを踏み込む。タイヤが鳴り、猛スピードで走り出す。

 連続で銃声がし、フロントガラスが粉々になった。見えたのは、グロックを撃つあの金髪女だった。

 俺がアクセル全開で大通りに出ると、女も通りかかったタクシーから運転手を引きずり出し追いかけて来た。

 

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