開戦

 赤沼浩史を監視し始めてから、一週間経った。

 正直言って、監視はつまらない仕事だ。

 相手がスパイや傭兵部隊ならまだしも、赤沼はただの宮仕え、それに強襲班という出動する事態が限られる部隊に所属しているせいで、出勤しては帰宅する暮らしを繰り返している。

 ほぼ同じ時間に起き、ほぼ同じ時間に寝る。いかにも勤勉な日本人らしい。

 双眼鏡のレンズ越しに、朝食を作る赤沼の姿を捉える。

 あと二十分もすれば、寒波に身を震わせながらアパートから出てくるはずだ。

 双眼鏡を鞄に仕舞い、サプレッサーを取ったグロック26を出し腰に差す。




 吐いた息は白かった。

 凍えそうな手をポケットに突っ込み、ミリタリージャケットに首を埋め、寒さを誤魔化す。

 最近、本格的に寒くなってきた。オフィスでの飲み物も、ドクターペッパーからコーヒーに変わりマリアの上着も、パーカーからダウンジャケットに変わった。

 昨日の夜は、遂にヒーターを付けた。ニューヨークの緯度は、日本の青森県とほぼ同じ。ついこの間までTシャツで過ごせていたのがおかしいのだ。


「地球温暖化ってやつかね……」


 もう一度深く息を吐き、赤信号で足を止めた。

 刹那、気温とは違うベクトルの寒気が走る。ジェットコースターの下り、内臓が全て浮くような気味の悪い感覚。

 脊椎反射的に後ろを振り向く。そこには、防寒着を着込む男女に混ざり、黒いコートに身を包んだ人間がいた。

 男か女かも判らない。フードを被り、マフラーで目の下まで隠している。

 身長は百七十センチ程、中肉中背。

 しかし唯一出ている目は、俺に対し針の様な視線を向けていた。

 信号が赤から青に変わる。

 人々が歩みを進める中、俺達だけが止まったまま時間は動き信号は赤を示す。


「赤沼浩史だな?」


 マフラー越しの男のくもぐった声だった。


「だったら、どうする?」


 ポケットの中にある携帯、脇に差してある拳銃。その二つに意識を集中させる。

 この状況で逃げるのは悪手な気がした。

 もし男が銃を持っていたら……俺に当たるのは嫌だし、何の罪も無い一般人に流れ弾を喰らわすのは、もっと嫌だ。

 それに、何処の誰かも解らないままなのも今後の活動に影響が出る可能性が高い。

 少なくとも、敵か味方か区別したい。

 もっとも、こんなコンタクトを取っている時点で、たかが知れるが。


「……ついて来い、罪の無い人間を傷付けたくなければ」


 そう言い、男はベルトに挟んだグロック26を見せた。


「脅してんのか?」

「それを確かめたくば、回れ右して走ってみろ。弾がお前か、道行く他人に当たるだけだ……」

「……解ったよ、ついて行けばいいんだな」

「物分りが良くて助かるよ」


 男は近づき、隣に立つ。


「妙な素振りをしたら、見知らぬニューヨーカーの腹に風穴が開く。お前のせいでな」


 冷酷非情、仕事の為には手段を選ばない人種ほど厄介な人間はいない。

 マリアが仕事中に言った。調査係がカリスト·マイオルに関する取り調べをしていた時のこと。

 関係者が揃ってマイオルによる口封じを恐れ、黙秘しているとシルヴィアが愚痴っていた時に呟いた。

 その言葉は、カリスト·マイオルの人間性を如実に表し、手強さを再認識させるものだった。

 この男もまた、何かを達成させる為には手段を選ばない人種なのだろう。

 信号が再び青に変わった。俺達は二人三脚の如く、歩幅を合わせ歩き出す。


「何処へ行く気だ」

「俺の雇い主からは、お前をなるべく傷付けるなと支持を受けている。変な質問をして、己の代わりに守るべき市民の血を流す訳にはいかないだろ」

「…………」


 流し目で男を睨む。だが今襲いかかるには分が悪い。

 大通りを外れ、人が少ない通りに入る。

 すると男は一台だけ路上駐車してあった車のドアを開け、中に入るよう促した。

 素直に従い後部座席に座る。

 男も運転席に座り、キーを回そうとした瞬間。

 俺は銃を懐から出し、撃鉄を倒した。


「動くな。動いたら撃つ」

「……警告した筈だ。妙な素振りをしたら撃つと」

「安心しろ、お前が撃つ前に俺が撃つ。応援を呼ぶから、それまで大人しくしていろ」

「……あのショートの金髪の女か?」

「何故知ってる」

「俺にもそれなりの情報網があるんだよ」


 随分と余裕な態度だ。何か裏がある。そう思うのに、時間はかからなかった。

 だが背に腹は変えられず、片手でマリアにメッセージを送りもう片方で男に銃を突きつける。

 マリアには携帯のGPS情報を送り。


<敵さん見つけた>


 とメッセージを添えた。本部からここまで約十分、あいつも流石に拳銃の一つは持って来るはずだ。

 二対一の勝負。こっちには市民の命という弱みがあるが、最悪撃ってしまえばいい。


「……フッ」


 男が薄く笑う声が聞こえた。


「?」

「飛んで火に入る夏の虫……日本人なら聞いたことあるだろう」

「……まさか」

「フッ、さぁ……どうだろうねぇ……」


 車内に緊張が走る。コイツの狙いがイマイチ解らない。

 俺かマリアかISSか。

 ……どちらにせよ、今からやる事は一つだけ。

 俺は男の肩に狙いをずらし、引き金を引いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る