トーマス・エンジェルス
男達は、突然現れた銃を持った新手に戸惑っている。なぜなら、男達が持っている得物はナイフやブラックジャックなどの近接武器。飛び道具を持つ者はこの場だとおそらく、俺とマリアとシルヴィアだけだろう。
間合いも威力も段違いの武器を持っている相手に、無策で特攻かまさないあたり男達も馬鹿ではないようだ。
再び一触即発の状況に戻される。
シルヴィアが引き金を引くか、男達が雄叫びを上げて凶器を振り回して来るか、どちらが先になるかは判らない。
唾を飲み込み、万が一に備える。ずり落ちかけているマリアを抱え直し、何時でも走れるように足に神経を集中させた。
耳元で聞こえるマリアの安らかな寝息が、何故だか俺の集中力を高めてくれた。
互いが互いの心を探るが、いつ動き出すかですら判らなくなってきた時だった。
「馬鹿野郎!てめぇら、何やってるんだ!」
怒声と共にホールの奥から出てきたのは、いかつい顔した背の高い黒人だった。その怒声に、男達は体をビクつかせた。バーテンなんか、ナイフを落とし真っ青な顔して俺達と黒人を交互に視線を動かし、アウアウと言葉になっていない音を発している。
その様子から察するに、このクラブの責任者かなにかだろう。
「お客さん……これはいったい、どういう事ですかねぇ……」
ドスを効かせた声で俺を問い詰める。機から見たら俺達はホールの秩序を大きく乱した張本人だ、無理もない。
「……俺の女が、あのバーテンに一服盛られたんだ……ダチが迎えに来てくれるもんで、外に出ようとしたら……お宅らの従業員が『女を置いてけ』って俺を脅したんだ」
その覇気に押し負けないよう、毅然とした態度で言い張る。
「なるほど、なるほど……大体の事情は、解りました……ですが、一つ聞きたいことがある……」
「……なんでしょう」
「お宅らは、いったい何者なんだい?」
核心を一気に突く質問だった。
ただの流しの一般客では、ただ場を乱した迷惑野郎。何かの上客ならば、迷惑被った被害者になれる。
前者の場合は、考えたくもないような末路。後者だったら、少なくともこの場は切り抜けられる。
助かりたいのならば、こいつ等を欺かなければならない。
このクラブに関係する外部の人間で、もっとも偉い人間は…………。
――――いや、俺達は知っている……。切り札を、持っている。
「カリスト・マイオル……」
「はぁ?」
「……カリスト・マイオルの、使いの者だ」
「…………」
「トーマス・エンジェルス宛てに、マイオルさんから伝言を預かっている」
「…………」
「あの人は忙しいから、代わりに俺らがここに来たんだ」
「……ほぅ」
「このクラブの今後に関わる話だ」
「……俺が、トーマス・エンジェルスだ」
なんとなく予想はしていたが、それが当たってしまうとは運の悪い。
「貴方がエンジェルスさんか……俺は、アカヌマだ」
責任者の名前と、すぐに切り捨てるには判断しにくい伝言、そして自分の名前。
自分の名前を疑われても、前の二つで食いつくはずだ……もっとも、腹芸なんてこれが初めてだから上手くいくかは判らないが。
「そうですか……マイオルさんから伝言を、ねぇ……」
エンジェルスがこちらに歩いてくると、モーゼの如く男達が脇へ退いた。ゆっくりとした足取りで、俺に近づいてくる。
その様子はまるで、獲物を見定める肉食獣だ。
俺から約一メートルの所まで来ると、つま先からつむじまで何度も舐め回すように眺める。
脇にある拳銃が少し重くなった気がした。
「ふん……」
エンジェルスは鼻を鳴らすと、マリアの方をチラリと見た。自然と手首を握る手に力が入る。
しかし、そのまま俺達の横を通り過ぎると後ろでアタフタしているバーテンに向かって行った。
「ヒ、ヒィ!」
バーテンは距離を取るように後ずさるが、一・二歩行った所で酒棚に背中がぶつかり、逃げられないことを悟ったのかエンジェルスに許しを請い始めた。
「す、すいません!まさか、マイオルさんの部下の人だとは……」
俺の噓にものの見事に騙されているようで、泣きわめき、身振り手振りを繰り返している。
俺が思っていたより、カリスト・マイオルの名前は重いようだ。
エンジェルスはバーテンの前に立った。顔こそ見えないが、背中から漂うあの強者の雰囲気……どんな顔をしているかは、想像するまでもないだろう。
「おめぇ……ここ来て、何年になる……?」
「は、は、ひゃい!三年になります!」
「……三年、か…………」
そう言うと、カウンターの内側にあったアイスピックを掴みバーテンの手首をカウンターに押し付けた。
「あ、ああああああああああっ……!」
全てを察し、声にならない悲鳴をあげるバーテン。
「三年もいて……何を学んでいたんだ!このボケェェェェ!」
エンジェルスは閻魔が罪人に審判を下すかのように、アイスピックを掌に突き刺した。
この世の者とは思えない絶叫。それは、この場にいる者達にダイレクトに伝わり聞いただけで、バーテンの痛みを自らも味わっているような感覚に陥る。
皮と骨、そして僅かばかりの肉が形成する手に、鋭い針状の物を突き刺すというシンプルな攻撃が、想像しやすく痛みを感じているように思える原因にもなった。
アイスピックを引き抜くと、嫌な音と共にバーテンが床に転がった。
「お騒がせしました……では、ビジネスのお話をしましょう。アカヌマさん」
鮮血が滴るアイスピックを放り、俺の方を向きうやうやしく礼をすると涼しい顔をして、そう言った。
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