喧嘩上等

 クラブのホールに続く地下の階段を堂々たる態度で歩く。こうでもしなければ、地下に漂う異様な空気に飲み込まれてしまいそうだからだ。

 階段を下りると、そこにはゴテゴテとした装飾が大量に施された、観音開きの大扉が待ち受けていた。

 扉に手を掛け、マリアと目を合わせる。俺達は小さく頷き、一気に扉を開けた。

 最初に、サイケデリックな光達が網膜に飛び込んできた、次には爆音の音楽が鼓膜をド派手に刺激を与える。

 一歩踏み出すと、生臭くて酸っぱい据えた匂いが鼻孔に入る。

 胸がムカムカしてきた。気持ち悪さを通り越して、怒りすら湧いてくる。

 いつの間にか眉間にシワが出来ていた。


「いくよ」


 マリアは静かに耳打ちし、ホールの隅にあるカウンター席に向かう。


「お、おう」


 我を取り戻し、後を追う。騒がしさが少しばかりマシなカウンター席、チャラそうな客とバーテンが酒を飲みながら女に関する話をしている。

 バーテンは俺達の存在を認識すると、ヘラヘラとした面で注文を取りに来た。


バカルディラム酒、ロック、ダブルを二つ」


 バーテンが口を開く前にスラスラと酒を注文すると、マリアは煙草に火を付けた。


「勤務中だぞ」


 なるべく小さい声で咎める。


「ここで酒を頼まない方が不自然じゃん」


 澄ました表情で煙を吐く。それにしても、随分とキツイ酒を飲むものだ。少し意外だと思っていると、バーテンがショットグラスに入った茶褐色の液体を運んできた。

 目の前に置かれ、アルコール特有の香りが漂ってくる。横を見ると、マリアはグラスを傾け舐めるように飲んでいた。

 けれど俺は性格、この異様な空間から来る生理的な拒否感のせいか、グラスの中の酒を飲めずにいた。

 それをごまかすために、ホールを見回す。映像で見た光景が音声付で流れる、この退廃的な姿が『エネミー』が進める世界征服の一場面だと思うと滑稽としか思えない。

 なにが楽しくて、ヤクをヤって酒を飲むのだろう。いや、勿論、何かするなりの理由はあるのだろう。

 ストレスが溜まっている、家に居場所が無いとか。

 けれど、薬以外のガス抜き方法は腐るほどある。

 腐るほどある方法のうちから、何故それを選んでしまったのだろうか。

 それが解らないことには、一生理解できないのだろう。

 ……胸糞悪い。こんなとこ、とっとと仕事を終わらせて帰って、新居でコーラでも呷ろう。そうしよう。


「なぁ、マリア……」


 酒を飲んでいるはずの相棒に声を掛ける。

 しかし、マリアは俺のことを腫れぼったい目で一瞬見ると、カウンターに突っ伏してしまった。その弾みで、グラスが倒れ酒が零れる。


「……!」


 なぜかは解らない、でもこの状況が一等ヤバいことには気づいた。


「一服盛られた?」

「おじさぁん、連れのおねぇさん……寝ちゃったみたいですねぇ……」


 あのチャラそうなバーテンと男性客がねばりつくような視線でこちらを見ている。


「ああ、慣れてねぇクセに見栄はって、強い酒飲むからだ」


 精一杯の虚勢。相手とは睨み合いになるが、俺の携帯が鳴ったことでそれを中断させる。

 着信はシルヴィアからだった。電話に出ている間、連れていかれないように念のため、マリアの背中に手を回し抱えるようにして電話に出た。


<もしもし>

<アンタ何やってんの!カメラで見てるんだけど、マリアはどうしたの?>

<……多分、一服盛られて寝ちまった……けど、俺達の正体がバレたワケじゃなさそうだ>

<なんで判るのよ>

<バレてるんだったら、今こうして電話なんて出させないはず……応援呼ばれると面倒だからな>

<なるほど……こういう時のアドバイスしとくんだった……にしても、なんで眠らせたのよ>

<おそらく、昏睡強盗か拉致って売り飛ばすつもりだったのかもしれん……>

<物騒な事考えるのね……とりあえず、そっちに迎えに行くから。持ちこたえて>


 そう言って、シルヴィアは電話を切った。

 ひとまず安心する。援軍が来るのは心強い。


「電話の相手~誰っすか~?」


 ニヤニヤしながらバーテンが聞いて来た。


「近所に住んでるダチからだ……事情話したら迎えに来てくれるだと」

「だったら、迎えに来るまで、お部屋に彼女を運んでおきません?」

「何でだ?」

「外で女抱えて、待つのもおじさんには酷でしょう……迎えが来るまで、俺らでしておきますよ」


 下種な笑いを醜い面に引っ提げてバーテンが言う。


「……遠慮しとくよ」


 俺は立ち上がり、肩を貸す形で持ち上げる。マリアの財布から十ドル札を出して、カウンターに置いた。


「釣りはいらん。……クソ不味い酒をどーも」


 最後の捨て台詞だけ日本語で言った。そのまま立ち去ろうとするが、そうは問屋が卸さなかった。


「おい、待てや」


 振り返ると、バーテンがバタフライナイフの先をこちらに向けていた。他にも得物を持った従業員らしき男達が周りを囲い始めた。


「おじさぁん……今女置いてきゃ、俺らも素直に帰してやるけどよぉ……もし逆らったら……どうなるかわかるよなぁ!」


 三下ド定番のイキがったセリフ。これ見よがしにナイフをちらつかせ、刃を舐めた。

 それに対し俺は、自然と落ち着いていた。それぞれが手にしている得物も、恐怖の対象ではなくガキが見せびらかしているチャチな玩具に見える。


「邪魔だ、退け。今なら、数人が一発ぶん殴られるだけで済む」


 そんな言葉がスラスラと出て来る。男達は青筋を立て、一触即発の空気が流れる。

 先程まで騒がしかったホールも、俺達を中心とした特異点に飲み込まれたのか人の声は一切しない。

 ただ、爆音の音楽が空気に合わないまま流れていた。

 誰もが行く末を見守る中……。


 バァン!


 入口の扉が開かれた。ホール中の視線がそこの一点に集中する。

 赤い革ジャンの女、シルヴィアが堂々と入って来た。


「随分と大変なことになっているじゃない」


 そう言って、ホルスターからワルサーP99を出し構えた。

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