王手

 その態度に、俺が呆然としていると。


「ああ、そうでした……お連れの女性、迎えに来た方に預けてきてください」


 同じ様に事の成り行きに呆然としているシルヴィアを指しそう言うと、エンジェルスはどこからともなく現れた黒服に対し、血で染まった自らの手を嗚咽を漏らしながら押さえているバーテンのについて話し始めた。

 俺はマリアの担ぎ方をお姫様抱っこに変え、シルヴィアの元へ運んだ。


「まったく、寿命が縮んだよ……」


 本当にヒヤヒヤしたことが窺える溜息だった。


「……それより、これからどうするの?」


 俺の肩越しにエンジェルスを一瞥し、聞く。


「まぁ……やれるだけの事はしてみるさ」


 そう答える以外他なかった。もっとも、策が無いのが大問題なのだが。


「そう……あっ、そうだ」

「なんだ?」

「さっき本部に応援を求めたんだけど……他の所でも手こずっているらしくて、こっちに来るまで、二十分はかかるらしいの」

「それまで持ちこたえろってか……」


 思わず、苦虫を嚙み潰したような顔になる。


「上が言うには、なんとしても捕まえて来いってさ」

「……新人に無茶を言う」


 マリアを渡す。心配そうな顔をされたが、こうするしかない。


「……これ使って」


 ポケットを探りシルヴィアが取り出したのは、輪ゴムで束にしてある結束バンドだった。


「これで、エンジェルスとか他の重要そうな人物を捕まえるのよ」


 見てくれは貧弱そうでも、結束バンドは手錠代わりにはもってこいだ。

 一度結ぶと、輪の部分を切るまで固定し続け離さない。手錠ですら手首の辺りにある程度の自由はあるが、結束バンドにはそれが無い。腕を後ろに回され、バンドを付けられたら特殊部隊の訓練でも受けてない限り、外すことはほぼ不可能。

 ホームセンターで安価で手に入ったり、手錠より大量に携行出来たりと利点がかなりあるのだ。


「……おう」


 そんな拘束具を、こっそりとポケットに突っ込む。


「ありがとう……行くよ、後は頼んだ」


 精一杯の笑顔を見せ、シルヴィア達に背を向けて歩き出す。

 失敗すれば後は無い。失敗した後に残るのは、マヌケ野郎の屍だけなのに。それでも、俺の心の中では、ここアメリカに来てロクな活躍も死ぬのも癪だという気持ちが芽生え始めた。

 これが何を意味しているか、答えは単純。俺の奥底に、いつの間にか『戦い』を求めるが生まれていたのだ。


「それでは、こちらへ」


 エンジェルスに案内され、奥の方へと進んで行く。その道中、客席から奇異の視線が向けられる。隠す気がサラサラない視線、仕返しではないが睨み返してやる。

  その時、ある事に気が付いた。

 客の年齢層だ。

 ハッキリ言って、かなり低い。十代前半から二十代半ばが主な客のようだ。

 時刻は午後七時を回ったところ、日本人的感覚だとこの時間帯は夕食時だ、それなのにこんなところに入り浸って酒喰らってヤクをキメている。

 異常、としか言い表せない。しかも、大人ではなく子供がそこにいる事実。

 俺は般若のような顔から、哀れみが含んだ表情になる。

 エンジェルスは出て来たドアを開けた。


「エンジェルスって名前なのに、黒人なのには驚いたでしょう」

「笑えない冗談だ」

「今回のお客さんはお堅いですね……。相変わらず、マイオルさんの人脈には驚かされますよ。こっちです。VIP用個室席があるので、ビジネスの話をするにはもってこいですよ」

「……そうか」


 個室、相手の逃げ場は無くなるがそれに関してはこっちも同じだ。銃を使う事態は避けたい。

 VIPルームに入ると、ホールで嗅いだ匂いを更に酷くさせた空気が俺を襲った。

 えずきそうになるのを堪え、ポーカーフェイスを装う。

 個室といっても、せいぜい六畳程の空間にソファーとガラステーブルが置いてありそこをカーテンで蓋をしているだけの、粗末な物だった。

 カーテンが閉まりきっておらず、中の様子が窺える部屋がいくつかあり、それは嫌でも俺の網膜に映し出された。

 狭い空間に、学生らしき若い男女がひしめき合い錠剤や粉を吸引している。そろいもそろって恍惚の表情を浮かべ、まるで天国にでもいるかのような感覚に身をゆだねているのだろう。

 もっとも、それは本当の天国では無く地獄に建てられた粗末なハリボテだが。


「ここです、どうぞ掛けてください」


 奥の空いた個室に通され、向かい合うようにソファーに座った。


「では早速、私宛の伝言とやらを聞きましょうか」


 エンジェルスは膝の上で手を組み、営業スマイルを貼り付けている。

 ……まずはジャブ。


「……まず最初に、聞いて欲しいのは……麻薬工場の件です」

「何かあったんですか?」


 どうやらISSが、麻薬工場に強襲掛けた事は知らないようだ。


「……何者かに、襲撃されたそうです」


 淡々と、業務連絡のように声に出す。

 それを聞き、大声こそ出さなかったがかなりショックを受けている。


「それは、本当か……?」


 嘘であれ、くだらないジョークであれ、と思っているのが容易に判る反応。


「ええ、本当です……」

「……どこがやったんだ?」

「それは……判りません」


 俺達がやりましたなんて言える訳がない。


「……そうですか……これから、どうなるんですか?」

「……この店を、畳むことになります」


 エンジェルスの脳裏には、様々な感情が渦巻いていることだろう。


「いや、ちょっと待ってくれ……確かに、ヤクが仕入れられないのは死活問題だが……さすがに、店閉める程ではないはずだぞ」


 ごもっとな疑問だ。

 それに対して、息を整え、一字一句間違えないように声に出す。


「トーマス・エンジェルスさん、あんたを逮捕させてもらうよ……この店も、捜査の手が入るから、店を閉じざるおえないよ」

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