新たな一歩
車内は走行音以外の音がしない。
町はまだ眠っておらず、高速道路には多数の自動車が走っている。
流れる街並み、その一つ一つにいろんな人々が住んでいてその人生を全うしているのだろう。
この時間だと早い所だと朝食を食べているはずだ。どの家庭でも代わり映えの無い景色だろう。
暫く経つと、ランドセルを背負った子供達が学校に行き、家族を養う為にサラリーマン達が会社に行く。
こうしていつもの平穏な日常が始まる。
しかしそれは仮初めの平和の上に成り立っていて、その真実を知るものは少ない。
ふとそんなことを思い、俺は無言で流れる景色を眺めていた。
「赤沼さん、昨日はありがとうございました」
「はい?」
急にそんな事を言われ、思わず変な声が出てしまう。
「ISSに入ると言ってくれて」
「ああ……俺は、ただ、
「そうですか……」
しばしの沈黙の後、また矢上が口を開く。
「赤沼さん……少し、聞きたいことがあるんです」
「何ですか?」
「……なんで自衛隊にはいったんですか?」
「唐突ですね……」
「まぁ、少し気になっていましたから」
別に話してもいいだろう。俺の過去なんて大して面白くもないが。
「……ガキの頃、俺は警察官になりたかったんですよ」
そう話を切り出すと、矢上は興味津々に聞き出した。
「ほぅ」
「親父が警官だったんです。ガキの時分から、紺色の制服着て悪い奴を逮捕するって思ってました。でも、高二の時改めて親父に話したら大反対されたんだ」
「何故です?」
「『警官なんて、お前には向いてない。お前は優しすぎる』って言われたんです」
「優しすぎる……ですか……」
「しまいには『勘当する』と言われたもんで、警官になるのを諦めたんです。その大喧嘩の後、暫くして、親父はくも膜下出血で亡くなりました」
「……お悔やみ申し上げます」
「どうも……それから、親父の遺品整理をしていたら、手帳をみつけたんです」
「手帳、ですか?」
「そう、捜査状況を記録してた手帳……興味本位で読んでみた」
「それで?」
「……ハッキリ言って、後悔した」
「どうして?」
「親父は、刑事課に居たんだが……まぁ、殺人事件から強姦、胸糞悪い事件が山ほど捜査していた」
「……なるほど、それで」
「そんな絶望が詰まった手帳が、段ボール箱一杯に入っていたんだ」
「親父の言った言葉の意味をその時、理解した。優しすぎるの意味が……俺が警官になってたら、間違いなく犯人に一発喰らわしてたか、精神病んでた」
「……」
「でも、人の役に立ちたいという気持ちは消えなかったから、俺は自衛隊に入った……それだけさ」
「……何故自衛隊なんです?」
「え?」
思いもよらない方向からの質問に、戸惑う。
「消防士でも、医者でも、人は救えると思っただけです。……別に、自衛隊を悪く言うつもりはないですからね」
「……確かに俺も、最初は消防士とか考えましたよ。……でも」
「でも?」
「大学二年の春。東北の大震災がありました」
俺の言葉で、矢上は察したようだ。
「俺は岩手でがれき撤去のボランティアをしてました。……その時、見たんです。自衛隊員が、がれきの下から生存者を見つけたのを」
「……なるほど」
「その生存者は津波にさらわれて気付いたら、がれきの下敷きになっていたらしいです。とても消耗してました、少しでも発見が遅れていたら死んでいたとも言われていました。……あの人、涙流して感謝していましたよ……勿論、消防や医者も沢山いました。でも、特別印象に残ったのが自衛隊だったんです」
「それで、自衛隊に……」
「ええ」
会話が終わる頃には車は都内に入っていた。ビル群から漏れる朝日は新たな一歩を踏み出した俺を照らす。
それ以降、俺と矢上は空港に着くまで一言も喋らなかった。
「着きましたよ」
「了解」
ボストンバッグを担ぎ、車から降りる。
「赤沼さん、ターミナルビルに入ったら、国際線の所にデニソンがいます。それ以降の案内は、昨日言った通りデニソンに一任してあります。よく話を聞いてくださいね」
「わかったよ」
「ああ、そうだ……赤沼一尉」
急にかしこまった矢上の態度に面を食らう。
「お気を付けて……貴方には、出来ます。優しさが仇になろうとも、信念を貫く限り貴方は頑張れます」
「……おう」
そう言って、車は去って行く。残されたのは新たな決意を胸に歩き出した三十路男。
「ヘイ! 赤沼! こっちですよ」
ターミナルビルに入るなり、デニソンが大声を出して俺を呼んだ。
「はい、これチケット」
「あ、どうも」
「忘れ物はないですか?」
「ええ、パスポートも持ってるし、財布も携帯もあります」
「フフッ、人間、己の体一つでもなんとかなるもんですよ……あ、そうだ、肝心なことを聞き忘れてました」
「何です?」
「君、英語話せますか?」
「
「杞憂だったみたいだね」
デニソンはフフッと笑ったが、すぐに真剣な顔になった。
「しかし、赤沼君。本当にいいのかい?」
「何がです?」
「あと四十分もすれば、君はこの国から離れることになる。少なくとも、一年は帰国することはない……最悪の場合、無言の帰国なんてこともあり得る……覚悟、出来てるの?」
「……今更ですね」
「それは、出来てるってことでいいのかな」
「ええ」
それは百パーセントの本音だった。
「それでいい」
彼はそれだけ言うと、搭乗口に向かって歩き出した。俺は慌ててそれを追う。
<ニューヨーク行き、047便、搭乗手続きを開始します>
俺は、こうして日本を旅立った。
それは新たなる事への一歩でもあり、絶望の淵への一歩でもあった。
しかも、絶望の淵は俺の想像の範疇を超えており、何が起こるかはこの時はまだ知らない。
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