第34話 pattern

 スマホの画面を見せたが、彼らは首を左右に振った。

 すると後方にいた者からすかさず、明石から逃げ始めた。

 小さくなる背中を見届け終え、明石が振り向く。


「ごめん、収穫ゼロだよ」

「あんな奴らぶっ飛ばせよ、お前ならできるだろ」

「できないよ。僕は、喧嘩は得意じゃないんだ」


 嘘つけ、と思わず声が漏れた。

 相手を押す、引く、だけでノックアウトできる大きな手を持っている明石が、喧嘩が不得意とは思えない。


 思えないが、彼にとってそのシンプルな行動が喧嘩の手段と思っていなければ納得だ。

 分かってはいたが改めて、恵まれた体格と小動物のようなメンタルだ。


「うーん……ダメ、やっぱりわたしの電話にも出てくれないよ」


「ならもう後はあいつの写真を見せて聞き込むか、地道に歩いて探すしかねえな。おい明石、別行動でもいいよな?」


「その方がいいと思う。一緒にいても効率は変わらないだろうし……あ、でも」

「なんだよ?」

「僕は、きっと今みたいに恐がられちゃうよね……」


 今更な事に悩み、落ち込む明石へ江戸屋が強烈な蹴りを入れた。

 足裏が額に衝突したが、江戸屋も明石も、顔色一つ変えていない。


「うだうだ言ってんなら手伝わねえぞ。あいつを見つけたいなら恐がられるくらいのショックなんて我慢して続けろ。男だろうが」


「…………うん」


 そして、三手に別れてすぐである。


『見つけた』


 二名がそう呟いた。




 窓の外から見える公園で、楽しそうに遊んでいる少年少女の姿を、幼い頃の陽羽里はベッドの上から一日中、眺めている事しかできなかった。


 遊びに行く事を禁じられていた。

 彼女は生まれつき体が弱く、今でこそ激しい動きをしたらダメと言われるくらいには回復していたが、当時は小走りでも危なかった。


 少しでも感情が高ぶってもダメだった。

 だから喜ぶ事もできなかった。


 一度発症してしまうと、咳が止まらなくなり、そのまま呼吸困難になる。

 何度も心臓が止まった。

 止まった時を覚えていた事は一度もなかった。


 病気だから仕方ないと分かってはいる。

 だけど執拗に禁止されてしまうといじわるをしているのではないかと疑ってしまう時もあった。


 こんな体に自分を産んだ母親が嫌いだった。

 でもたくさん世話をしてくれて、命を案じてくれている母親を嫌いになってはいけなかった。

 

 こんな体に産みたくて産んだわけではない。

 分かっている。


 でも、そうしないと同年代の子を見て生まれた嫉妬や羨望が――憎しみが止まらなかったのだ。


 人の笑顔を見ても笑えなかった。

 笑えば心臓が止まってしまうから。

 そうでなくとも、自分がこんな目に遭っているのになに笑ってんだよ、という、八つ当たりの感情だけが、当時の陽羽里の心を占めていた。


 それから体調が回復しても完全とはいかず、陽羽里が再び体調を崩す事が何度もあった。


 一応、彼女にも友達はいた。

 部屋から出て学園に通い始めれば自然と知り合いは増えていく。


 最初は陽羽里の病気を知っても普通に接してくれていたが、誰もが途中で優しさに似た追放をおこなった。


 渡會さんには危ないから……体調が悪くなったら責任が、ね……もし倒れられたら怒られるのわたしたちだし……正直めんどうなのよね、遊んでいる最中に中断しちゃうの……渡會さんって、邪魔……?


 渡會さんって、怖いんだもん……。


 体が弱いからこそ誰にもなめられないように、言いたい事は我慢せずに言ってきた。

 相手が男子だろうが関係なく、素手の喧嘩だってした事がある。


 大人にだって一歩も引かずに意見を貫き通した。

 病人だとか女だとか、同じ人間なのにどうしてこうも扱いが違うのだろう――。


 立場? 


 力の差があるから? 


 そんなのは言い訳にならない。

 今挙げた二つのケースのどちらも、陽羽里は勝利している。

 ようはただの腕力ではなく、人間としての、力。


 どんな場合でも通用する実力でねじ伏せれば、誰が劣等であるか、なんて考えが生まれる事はない。


 それを示すための舞台が、彼女には必要だったのだ。


「妊婦さんが座ってるでしょ? 満席のレストランなんだから、ちょっとは待ちなさいよ」

「ああ? なんですかお前はー? 島の外の人間か? 残念ながら、この島では女よりも男が優先されるんだ。妊婦だろうがオレらがどけと言ったら、どけ」


 ドリンクバーを取りに行った陽羽里は、島の中では珍しくもない光景に怒りを覚えた。


 何度目だろう。

 もう数えてすらいない。


 どれだけ言っても、こういうクズ野郎は湧いて出てくる。

 相手が妊婦でもお構いなしとは、駆除するべき害虫だ。


 周りの人は見て見ぬ振りをして顔を伏せている。

 被害に遭っている妊婦も諦めているのか、席を譲ろうと立ち上がりかけて、しかしお腹の痛みを訴えて再び座ってしまう。


「おい、座んな、立て」


 言われて立ち上がろうとする妊婦の肩を優しく押し、座らせる。


「立たなくていいわ。この席はあなたのものよ」

「てめえッ! いい加減にどけよォッ!」


 陽羽里は素早くテーブルの上にあったフォークを握り締め、相手の男の眼球に目がけ――、


 彼女の目は本気だった。


「陽羽里ちゃんストーップ!」


 河澄の声が聞こえた事で陽羽里の手が反射的に止まった。

 切っ先が眼球に触れるほんの寸前で、である。


「ミト」

「ドリンクバーに行ったきり遅いなと思ったら……また喧嘩してる!」


「喧嘩じゃないわよ、駆除よ、駆除」


「駆除もダメ! 陽羽里ちゃんは体が弱いんだから。あんなクズのために陽羽里ちゃんが倒れて苦しむ事なんてないんだよ?」


 河澄に手を引かれ、陽羽里は自分の席へ。

 しかし問題は解決していない。


 揉めていた男たちの標的はもう陽羽里へ移っていた。


「待てよコラ!」

「なによ、今度は睾丸でも潰してほしいの?」


 陽羽里の視線に一瞬だけ怯んだ男たちだったが、すぐに店内であるという事も忘れて派手に陽羽里へ飛びかかった。


 その男たちを止めたのは、じゃらっ、と音と共に視界の端から端まで横切った鎖である。

 一瞬で数人の男たちを縛り上げ、救助要請を頼まれ颯爽と現れた彼女が警察帽子を脱ぐ。


「こんな感じでいいのかい?」

「そのおもりで全員の頭蓋を割ってもいいよ……ただし自己責任で」


「うぅん……? あんた、江戸屋扇に似てきたわね……?」

「あんなのと一緒にしないで」


 心の底からの拒絶である。

 パートナーなのに? という疑問で美里が首を傾げた。


 助けられた妊婦は何度もお礼を言って、そそくさと店を出て行った。

 さすがにこんな目に遭えば長居もしたくないのだろう。


 自分の席に戻ってきた河澄と陽羽里。

 二人は注いだドリンクをストローですする。


 沈黙が場を支配していた。

 夜ももう遅いため、今からなにかを食べる気分でもない。


 河澄の飲み物の減りが、陽羽里よりも倍も早かった。


「明日、試合ね」

「う、うん……そうだね」


 会話の取っかかりを作ったが、河澄にはまだ扱い切れないものだったらしい。

 河澄ミトは明らかに変わった。


 だがそれは江戸屋扇に対してであり、陽羽里含め、その他の者への接し方はさほど変わってはいなかった。

 そのため、いつものように陽羽里から切り出すしかなかった。


「悪いけど、明日はミト相手でも手加減はしないから」

「……それはわたしも……、陽羽里ちゃんは、勝ちたい理由でもあるの?」


「別に。勝ちたいわけじゃないのよ。全てをやり終えた後なら負けたって構わない」

「…………?」


「試合になんて、興味ないのよ」

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