第33話 night

 幸い、骨に異常はなかった。

 ただ酷い打撲であるため、動かさないようにと診断された。


 つまり河澄は片腕が使えない。

 利き腕でなかったのが救いだった。


 ドームを出て近くでやっている出店エリアに足を運んだ二人はここで食事をする事にした。


 焼きそばとたこ焼きを買い、歩きながら腹を満たす。

 江戸屋がプラスチックの容器を持ち、河澄が箸でつついて食べる……利き腕は使えるが、片腕が使えないため、容器を持つ事ができないのだ。


 口に出したわけではない。

 だが互いに自然と、そういう行為ができるまでには距離は縮まったのだろう。


「どけ!」

 と出店に並んでいた女性を突き飛ばし、割り込んできた男性がいた。


 女性は抗議の声を上げるが、周囲の誰も、女性に味方をしなかった。

 そんな光景が周囲でちらほら見えていた。


 泣き寝入りしている女性は怒りもあるが半分は戸惑いだろう。

 抗議の声を上げている時点で彼女は島の人間ではない。

 異を唱えればなにかが変わるかもしれないのに、周囲の流れに飲まれてしまっていた。


 今にして思う。

 大人でも同調圧力には怯えてしまう。


 なのに、


「陽羽里ちゃんは、怖くないのかな」


 学園でも、町中でも、どんな場所だろうと、不当な扱いを受ければ異を唱えていた。

 大人数を相手にしようが、屈強で、強面な男を相手にしようが……まあ隣に最も強面な男がいるのだから慣れてしまったのかもしれないが。


 彼女は始めて会った時から、変わっていなかった。

 女性が下に見られているこの風潮をどうにかしようと抗い続けてきた。

 興奮してすぐに倒れる事も多く、車椅子姿も何度も見た……そんな弱い体で。


 彼女のどこに、そんな力があるのだろう……?


「あいつだって怖いだろ。でもそれ以上に許せなかったんじゃねえか? お前も、痛みから逃げたいけど俺に見下されたくなくて、立ち向かうじゃねえか。それと一緒だ」


 江戸屋の持つ容器のたこ焼きに、つまようじを突き刺す。


「なるほど」


 だとしてもやっぱり凄いな、と河澄が呟いた。


 渡會陽羽里は、河澄ミトにとって一番最初に声をかけてくれた一人であり、今もまだ関係が続いている友達である。


 彼女のためなら嫌な事にも立ち向かってもいいと思えるし、困っていればどんなに面倒でも手伝ってあげたい気持ちになる。


 体調の心配もするし、明石では釣り合わないよなんて無粋なお節介を焼きたくもなる。

 それくらい彼女は大きくて、大事なのだ。


 その気持ちは、島を勝手に出て行った自分を、戻った時に怒って、迎え入れてくれた時に湧いた感情だ。


 多分、それを人は、親友と呼ぶのだろう。


 そんな彼女と、明日、試合をする。


 河澄ミトにとって、私情を優先した、負けられない戦いだ。



 その日の夜、江戸屋たちの部屋の扉が鍵がかかっているにもかかわらず開いた。

 姿を見せたのは猫背になって天井に頭を打たないようにしている、明石王雅である。


「て、手伝ってほしいんだ!」

「てめえ、扉、直したばっかりなんだぞ……?」


 せっかく元に戻っていたドアノブのバーは再びだらんと真下に向いてしまっていた。


「どうしたの?」


 ベッドに座って棒付きアイスを口にくわえながら、河澄が用件を聞いた。

 その時、彼は意外そうな表情を浮かべて河澄を見つめていた。


「……僕が、怖くないの……?」

「え、だっていつも会ってるし……」

「いつもは隣に陽羽里さんがいたから」


 確かに、思えばそうだ。

 明石と江戸屋が二人固まる事はあれど、明石と河澄が二人きりの状態になる事はない。


 陽羽里が傍にいる事で、明石の強面が緩和されているのだと思い込んでいたのだ。

 その陽羽里がいない今、明石の強面はじゅうぶんな威力を発揮するはずなのだが……。


 河澄はなんとも思っていなさそうだ。


「さすがに慣れたよ。それに、江戸屋くんに比べれば顔が怖いくらい全然マシ」


 明石王雅は顔が怖いだけでそれ以外は誰よりも優しいと、これまでの接し方から知っているのだ。

 同姓よりも優しいかもしれない。

 蟻も踏みそうにない性格である。


「それは、踏む勇気もないだけだよ……」

「雑談する暇があるなら扉を直せよ」


「あっ、違うんだ江戸屋君! 陽羽里さんを一緒に探してほしいんだ!」

「どうせ近くのコンビニに行ったくらいだろうから過保護に守る必要もねえよ、少し待て」


「――彼女は体が弱いんだッ!」


 明石の怒声に河澄の肩が震えた。

 くわえていたアイスが落ちて、太ももにぽとっと落ちる。


 冷たさに跳びはねた河澄の間抜けな行動で、江戸屋の湧いた闘争心もすぐに収まった。


「一人で外に出て、どこかで倒れていたらどうするの……無理はしないと思うよ、でも、今の陽羽里さんの状態じゃ、誰になんて言って問題になるか分からないんだっ」

「お前、あいつになにを言ったんだ?」


 大体、こういう時は男側に責任がある。

 体験談から出した答えなので説得力があった。


「どうせ余計な事でも言ったんだろ? 自己満足で相手の行動を制限でもしたのかよ」


 説教じみた事を言う江戸屋を、河澄は横目でじっと見つめていた。

 江戸屋は気づいていながらも無視している。


 自分の失敗は棚上げにしたのだ。

 忘れたわけではない。


「余計な事なのかな……」

「なんて言ったんだよ」

「決勝戦、陽羽里さんは出ない方がいいって……」


 確かに、余計な事ではないだろう。

 体が弱い陽羽里の事を思って言った明石を責めるのは違うはずだ。


 かと言って、相手の思いやりに耳を傾けず、癇癪を起こして出て行ってしまった陽羽里を責めるのもまた違うはずだ。


 どちらも間違いではない。

 ただ、正しいとも言い切れなかった。


 体が弱いながら試合に出る事を陽羽里は望んだ、それは理由があるからだ。

 河澄にもあるような、譲れない事情が。


 明石は、それについては聞かされていないと言っていた。

 陽羽里と明石の関係は安定しているが、冷めているのだろう。

 近いようでいて遠いのだ。


 見えづらいが、確実に間には壁とは言わないまでも、板が挟まれている。

 それを二人とも、破らないように気を遣っているのだ。


 だから陽羽里は、明石にその事情を話すところまで、打ち解けていなかった。

 今日のような家出が起こったのは、二人の関係の進展のなさのせいとも言える。


「まあいいや、とにかく探すぞ」


 決勝戦に出る出ないはともかく、喧嘩別れして苛立っている今の陽羽里は、不満に思えば誰彼構わずちょっかいをかけるだろう。

 それによって倒れてしまえば、彼女の命が危ない。


 持病を持っていながら厄介な性格だ。

 いや、そんな持病を持っていたからこそ、そんな厄介な性格になったのだろう。



 人が多いところと言えば島に一つだけあるショッピングモール付近だろう……陽羽里を探しながらここまできたが、彼女の目立つような金髪は未だ見かけていなかった。


 時刻は既に夜の九時を過ぎている。

 元々そういう輩が多いとは言え、この時間帯から野蛮な連中が台頭してくる。


 しかも今は島を一般公開している最中であり、観光客はホテルなどで一泊し、本番とも言える明日に備えている。


 一日目に訪れるのはメディアや優先的に観光できる権力者に集中するが、その家族なども含めて、一般客もいる。

 その中に混じって、江戸屋たちと同じ世界の住人も観光しにきていた。


「おい、そこのでけえの。てめえ今、オレらの事を睨んだだろ」

「そんな事……睨んでなんか」

「ああ? 聞こえねえんだよ、ボゲッ」


 大学生くらいの四人の男たちが明石に絡んでいた。

 島の者であれば明石の存在を知っているし、グリズリーと呼ぶくらい恐れているのだからこんな光景はあり得ない。

 つまり、島外の一般客だ。


「なんだお前、でけえだけだな」


 彼らの蹴りが明石を捉えていたが、鉄のように硬い明石の体よりも、蹴った男たちの方が痛みを感じていた。

 暗がりで分からなかったが、街灯の光が当たった明石のはっきりと見えた顔を見て、男たちの腰が引けた。


 尻餅をつく彼らの表情が歪み始める。


「ひっ、ば、化物……っ」

「あの――」


 慣れたもので、明石は恐れられた事については触れなかった。

 ……自分に降りかかる危機については、否定する勇気を踏み出せないくせに、陽羽里の事となると口がよく回る。


「この子を見ていませんか?」

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