第32話 lost
大門の指示が当てにならないのは、向こうに得体の知れない問題が起きたからだと推測した。
だから美里は指示を仰ぐ事はしなかった。
目の前に見える河澄ミトを追えばいい。
河澄ミトは、一人なのだから。
「え……」
だが、彼女はふと足を止めた。
河澄ミトの背中が僅かにぶれ始め、半身だけだが、重なり合って進む二人に見えた。
今度は視界が歪み、雨の日に乗る車のフロントガラスのように、彼女の輪郭が曖昧に溶けていく。
やがて美里は目の前が壁である事も気づかずに、帽子のつばが壁に接触した。
とんっ、という音と共に帽子が脱げ、彼女の足下に落ちた。
彼女は拾わない。
手の平を壁に触れさせ、探るように。……呟いた。
「……見えない」
まぶたが上がりこれでもかというくらい目を見開いているのに、見えるのは暗闇だった。
いや、見えていないのだ。
今の美里には、視力がなかった。
途切れた足音に気づいて河澄も足を止めた。
その時、すぅっと、隣にいてくれた誰かの気配がなくなった気がした。
遅れて、耳元から聞こえる。
『戻らなくていいぞ』
「じゃあ、今の内に宝箱を見つけた方が――」
『それも必要ない』
河澄が首を傾げる。武器はないと困る。
彼は知っているのだろうか、素手で殴る方も、殴られた方と同じくらいに痛いのだと。
やがて、河澄の疑問を晴らすように司会者が戸惑った声で試合終了を知らせた。
呆気ない幕引きだったのは、美里の状態に観客は誰も気づいていなかったからだ。
それは梅田美里の強さでもある。
控え室に戻った時、対角線の向こうにある別の控え室から、大門の声が響き渡ってきた。
ドレスもそのままに部屋を飛び出して、途中でナビゲーター室から出てきた江戸屋を連れ、声のした方向へ走る。
河澄がここまでの行動を起こしたのは、美里に降りかかった得体の知れない違和感は、自分にも降りかかるかもしれないという危惧があったからだ。
美里と大門の控え室の扉を開けると、彼女が舞台では決して見せなかった弱みを、不意に目の当たりにしてしまった。
美里が声を殺しながら涙を流し、大門の肩に全体重を預けていた。
訪れた河澄と江戸屋に気づいた大門が、しー、と人差し指を唇に当てる。
落ち着くまでは、思っていたより時間はかからなかった。
「――あ……! 見えて、きた……っ」
美里が自分の両手を目の前に上げ、手相の線の一本一本を確認するように見つめる。
大門の顔が見えて安心したのか、彼に飛びついてそのまま床に押し倒してしまった。
多分、彼女は河澄と江戸屋がこの場にいる事に気づいていない。
「おい、そろそろいいか?」
と、堪えかねた江戸屋が声をかけた。
一旦出直そうと提案していたが、河澄は全てを蹴ってこの場に居続けていた。
江戸屋にもそれを強要していたのだ、我慢してくれた方である。
美里は声に気づいて、恐る恐る、後ろを振り向いた。
彼女は顔を真っ赤にしていて、癖になってしまっているのか、鎖を探したがいつものように手に巻き付いているわけもない。
ない事に戸惑っている姿を晒してしまって、重ねた羞恥で今度は顔を両手で覆ってしまった。
そんな状態などお構いなしに質問をするのは、当然、江戸屋である。
「梅田。最後、お前の身になにが起きたんだ?」
聞きたいことはこれだろ、と視線を送ってくるので河澄はうんと頷いた。
返事はなかったが、答えは別方向から投げられた。
「儂が説明する。エフェクト機能を使用する事でその身に起きる、代償の話だ」
千葉の背には車椅子に腰かけた陽羽里と、それを押す明石の姿があった。
事前に説明していなかったため、こうして選手を集めたのだ。
既に脱落した二組は代償による危険性はないと分かっているため、説明する必要もない。
そんな重要なギミックがありながら説明しなかったのは、無責任と言われても反論はできない。
だが、知らされていれば萎縮してしまっていたのも事実だった。
「安心してもらっていいが、命に別状はない。お前さんなら分かるだろうが、もう以前と同じくらい見えているだろう?」
言われて、美里は自分の視力が回復している事に気づいた。
千葉の顔のしわまでよく見えている。
「代償ってのは? 無制限にエフェクト機能が使えるとして、裏がありそうとは思っていたが……お前らの旨みは俺たちを広告塔に使ってプロジェクトの参加希望者を増やす事だろ? こいつらに代償を払わせる必要があるのか?」
「儂はないと思っておる。が、そうなるとエフェクトを平等な力関係にする事が前提条件になるだろう、炎を生み出すエフェクトと電子機器に干渉するエフェクトが戦闘において平等とは言い難いからな」
作ったのはお前らだろ、とは、話が脱線するため江戸屋も言わなかった。
「平等にできないのであれば、力関係が上のエフェクトに早めの代償をつければいい。代償とは言ったが、なにも使った段階で視力が奪われるわけではない。使い過ぎれば、だ。電子機器に干渉するエフェクトは、大分余裕があったはずだ。長時間、ずっとスイッチを入れ続けたように使ったままにしていれば、代償もやってくるに決まっておる」
本来であれば美里の代償がやってくる時間はまだ先であった。
だが、それが早まったのは彼女のエフェクト機能が制御できない動きをしたのと同時、意図せず出力が跳ね上がってしまったために、代償の間隔も短くなってしまったのだ。
河澄ミトのエフェクトのせいで。
「気に入らなかったんでしょ、どうせ」
そう言ったのは陽羽里だ。
彼女の言葉に千葉が目を伏せる。
「たとえ実際には触れない、感じ取れない、ただの電子的なエフェクトだとしても、あたしたち女が超常的な力を手に入れる事を、嫌った……違う? あたしたちが自分の力に勘違いをしないように、使えば失明する枷をはめて操りやすくしたんでしょ?」
「理由の一端だの」
それとは別に、視力を完全に無くす事によってナビゲーターがさらに重要視され、戦略性が上がるだろう意図もあった。
だが、本音を隠す建前でしかない。
陽羽里が言ったように、この島に根付いてしまっている風潮が、そういう思考への発端だ。
「どうして事前に説明しなかったの? 萎縮する? 実際に命に危険がないと分かれば戦略に組み込めたわよ。なのにこうして一人目の犠牲者が出なければ説明をしないのはなぜ?」
「それは……」
「口止めされているのね。……知っていたわ、女性が男性の下であるこの島の風潮をなんとかしようと思わない政府なのよね、当たり前か。……この状態を維持したいらしい。代償を教えなかったのも、勘違いして反逆する者を炙り出すためなのかもしれないわね」
話は終わり?
とでも言いたげな溜息を吐き、
「しんどいから部屋で休むわ。王雅、押して」
返事なく、明石が車椅子を押し、陽羽里と共に控え室を出る。
千葉は止めなかった。
「……すまんの、代償の話、していなくて」
「できなかったんだろ? そういう口止めをされていて。命に別状がねえならギミックとして割り切ってる」
陽羽里の炎も舞台が映した現実にも思える映像であり、炎の熱さは身に纏ったドレスが五感に伝えている。
目を欺き、感覚を騙して進行しているのがこの試合である。
ただ、一回戦一試合で見た黒焦げになってしまった対戦相手、あれをギミックとして割り切るには時間が必要だった。
あれも脳が火傷をしたと思い込んで実際に体に出てしまったという一例だろう。
あれに比べたら、失明くらいなんともないと思えてしまう。
……しかしあの時。
陽羽里の炎を見て、観客席にいた江戸屋は確かに、熱いと感じていたはずだったが……。
これもまた、思い込みによって感覚が騙された結果だろう。
「今日の試合はもう終わりだろ? 帰っていいか?」
「ああ、……言い忘れていた。勝利、おめでとう」
「久しぶりに聞いたな、そんな言葉」
勝ち続けていた江戸屋に、もう誰も与えてはくれなかった。
そんな懐かしい響きに少しだけ浮き足立ったのは、初心に帰ったからだろうか。
通路に出ると、脇にいた河澄が不安げな表情を浮かべていた。
「医務室に行くぞ。お前、肩の骨、多分砕けてんじゃねえか?」
しかし、河澄は自分の肩の怪我などどうでもよさそうに、
「……陽羽里ちゃん、なにをあんなに思い詰めていたんだろう……?」
今にも走り出しそうな気がしたので、河澄の胴を肩に乗せて米俵のように運ぶ事にした。
彼女は嫌がらなかった。
脱力し、楽をしていた。
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