第31話 rival

「見えているものに圧倒的な反応速度を持っている扇にはきついエフェクトだの。相性は最悪と言ってもいいかもしれない。戸惑うのがあいつだけならいいんだが、指示をする相手も戸惑わせてしまうとなるとこの試合の根本的な部分が揺らぐからのう」


 実況席だけでなく、観客席の上から見下ろしていると分かるのだが、人の目には江戸屋が言う増えたもう二人の姿を見る事はできていない。

 だが、この位置から見えるカメラ映像には、江戸屋が見た、反応しても仕方がない鮮明な光景が映されていた。


「あ、電子機器にだけ映る、分身のエフェクト機能?」


「ご名答。それに加えてあるギミックがあるのだが、あいつならすぐに気づくだろうな。だが気づいたところであいつ自身がナビゲーターとしてのやり方を変えないとどうにもならん。ネタが割れたところで単純な戦闘力は向こうの方が上だからの」


 応戦するにも武器がない。

 しかも河澄ミトは手負いである。

 走って逃げる事もできない江戸屋・河澄ペアに勝ち目はほぼないと言っていいだろう。


 勝ち目がないと言い切れないのは、まだ彼らはエフェクト機能を使っていないからだ。

 しかしその機能も相手と同じく、自身の戦闘能力を上げるものではないため、使ったところで素の戦闘能力に頼る展開になってしまえば勝ち目は変わらないだろう。


 だから。


 江戸屋扇が、自覚し、自ら変わる事が最低条件である。



 江戸屋に見え、河澄には見えていないとなればその謎の答えを導き出すのは簡単だった。


 彼女がなにを見て、なにを見ていないのか。

 江戸屋がなにを見て、なにを見ていないのか。


 同じ場所に立っていないのだから、状況を把握するために見ているものも違う。


「……ディスプレイに干渉するエフェクトか……」


 しかし千葉と同じく、江戸屋もそれが分かったところで勝率が上がったわけではないと気づいていた。

 問題なのはエフェクトの有無ではない。

 機能があろうがなかろうが、相手の素の戦闘力に河澄は劣っているのだから。


 だから見直すべきは――、河澄の動き方。


 圧倒的に河澄には早さと力が足りない。

 当然だ、筋力が江戸屋とは違うのだから、具体的な指示を小数点レベルの時間で彼女に送っても、重要なのは頭で分かっている事ではなく、体がついていくかどうかなのだ。


 わたしは君じゃないんだよ……、江戸屋はやっと、その言葉の意味に気づいた。


「俺が戦っているわけじゃ、ねえんだよな……」


 戦いになると熱くなってしまい、そんな初歩的な事も忘れてしまっていた。

 いや、違う。

 忘れていたのではない、知らなかったのだ。


 こうして誰かと共に戦う事も、運命共同体になる事もなかったのだから。


「河澄――目の前の相手にだけ集中できるか?」

『……? 他のどこに集中するの?』


 もっともな事を言われて江戸屋はぐうの音も出なかった。

 噴き出してはしまったが。


「はっ、確かにそうだ」

『江戸屋くん……笑ってないでどうにかしてよ……』


 退路は後ろ、今きた道を戻ればいい。

 一度通った道だ、他の方角へ向かうよりも戻る方がまだ地理には自信がある。


 ……だが江戸屋は、先に進む事を選んだ。

 勝利のためにはまず、河澄には武器を手に入れてもらう必要がある。


 片腕は使いものにならず両膝からは血が流れている。

 それに比べて相手は未だ無傷である。


 ここから先はどんな小さな失敗もできない。

 したら、もう終わりと思うしかないだろう。


 もし自分だったら、予想外の事が起きたとしても回避できるような、自分勝手な動きの指示はしない。


 確実に、余裕を持って。

 河澄ミトが今のコンディションで負担なく動けるような。


 大胆かつ正確で、相手に時間を与えない怒濤の攻め方をするには――、


「なんだ、簡単な話だったな」


 こうしてディスプレイの中で分割された舞台を俯瞰している映像を見て、まるでシミュレーションゲームでもやっているかのような感覚だからダメなのだ。


 結局、他人事の範疇で指示を出してしまっているから緊迫感がない。

 ミスをしてもいいやと心に穴ができる。


 だから江戸屋は、河澄だけを映す映像を一画面に収め、かじり付くように見つめた。


 彼女の中に、入るかのように。


 河澄ミトの、目になるために。


 江戸屋扇は頭の中で、今彼女が見ている光景を思い浮かべた。

 やがて感覚が完全に入る。


 彼がまるで舞台上に降り立ったかのような緊迫感が走った――そう感じた者は少ない。

 たとえば――、


『あんた……どうやって……?』

『え、なに……?』


 河澄と向かい合う対戦相手――そして。



「実況、よく見ておれ」


 千葉道が実況席にて不敵な笑みを見せた。


「ここから先は、面白いぞ」


 そして、もう二人が、音も届かない別の場所で寒気を感じた。


「……ねえ、今――」

「僕も感じたよ。ゾッとした恐さだった――けど、なんだか吹っ切れたみたいだね」



 江戸屋扇の声がこれまでのものと毛色が違う事に気づいた。

 乱暴で、焦り、逸りがあった落ち着かない声とは違い、頼もしい声である。


 さっきよりも状況は悪いはずだ。

 それでも、劣勢だという事を感じさせない。


 河澄ミトは耳のイヤホンをさらにぐっと奥へ押し込んだ。

 彼の声にはまるで鎮痛作用でもあるかのように、痛む片腕が動いている。


『河澄』

「ミトでいいよ、いちいち言いにくいでしょ?」


『……なら、ミト』

「なあに?」


『一つ頼みを聞いてくれるか?』



「ねえ、江戸屋くんから聞きたい事があるって」

「……アタシに?」


 その内容を聞き終えた警察帽子の彼女は、小さな声で、やっとか……、と呟いた。


梅田うめだ美里。アタシのパートナーが、大門高貴だいもんこうきよ」


「……だって。江戸屋くん、聞こえてた?」

『ああ――しっかり覚えた』


 その後に江戸屋は、こうも付け加えていた。


『忘れたりしねえ。いや、忘れられねえよ。初めてだ……本当に、本気で負けるって思った相手は、お前らだけだ』


 以前の江戸屋のままでは打つ手はなかった。

 たとえあったとしてもそれは河澄が江戸屋と同等に動けてこそである。

 その前提が崩れた今、打つ手無しとなにも変わらない。


 だから意識を変える必要があったのだ。

 それに気づかせてくれたのは、梅田美里であり、大門高貴である。

 そんな相手の名前を未だ知らないというのは、失礼だと感じた。


 名を覚えたという事は、江戸屋扇の中で二人を認めたという事に他ならない。

 その事実に気づいたのは河澄よりも、対戦相手である本人たちの方だろう。


 同じ世界の住人だったからこそ、江戸屋の存在は知っていたし、途轍もなく大きかった。

 一匹狼で、仲間を持たない江戸屋に近づく者は、みな彼にとっては敵である。

 その中でも彼には彼なりの分別方法があった。


 もちろん、銀髪の大門は、視界にすら入らない方だ。

 すれ違いざまに腹に一発、拳を入れるだけで倒れてしまうような雑魚の一人。

 美里の方もそう……女であるためまともに相手にされない。


 傍若無人なその振る舞いと年上にも発揮される圧倒的な強さには憧れを抱いていた。

 勝てなくてもいいから、渡り合いたかった――そんな想いが心の片隅に残っていたのだ。


 無理だって言い聞かせても、諦めたつもりでも、捨てるに捨てられない未練が。

 今、変則的なルールの上ではあっても、彼に認められた事がなによりも嬉しかった。


 だから美里は、緩みそうになった顔を平手で叩いて気を引き締め直す。


「気を抜くんじゃないよ!」


 それは河澄に言ったのではない。自分に言い聞かせたのだ。



 それから先の展開は、河澄の劣勢に見えていながらも着実に攻守が切り替わっていた。


 観客も違和感を感じ始めていた。

 なぜなら、これまで息がぴったりだった大門・梅田ペアにちぐはぐな部分が見えていたからだ。


 些細な聞き間違いというレベルではない。

 美里と大門の見ているものが違うほど、指示には正確性の欠片もなかった。


『なにが起きてるのでしょう……?』

 と解説を求めた司会者に、千葉が答えた。


『自滅ではないの。あれが江戸屋・河澄ペアのエフェクト機能だ。ほおら、画面を見てみるのだ、見にくかった変化もここまで浸食すれば異常に思えるだろう?』


 千葉が指差したディスプレイには、一〇〇人に思える美里の姿があった。

 当然、現実の舞台に美里は一人しかいない。


 しかしディスプレイには、さらにまた増え、各々が勝手な動きをしている……美里の数はあっと言う間に二〇〇人にもなりそうだ。


 これでは指示を出す事ができない。

 どれが本物の美里なのか分からないためだ。


 困るのは大門の方だろう。

 江戸屋の場合、河澄しか見ていない。


 彼女の目に映っている危険を、彼女ならばこうする事で回避できるだろう、という動きだけを指示している。


 増えたところで、実際に河澄を攻撃している美里は一人だけだ。

 なにも困りはしない。


『とは言え、そう簡単な事でもないんだがのう』


 急に飛んだ話題に司会者はついていけなかったが、桧木は理解していた。


「入った、って言ってたよね、さっき。ディスプレイを見ながら、あの子と一緒に舞台に立ったみたいに集中してるって……そういう意味?」


『実際にその場にいる事で感じる空気感、流れ、そういうものを映像を通して感じる事ができるか? たとえばその場のどこかに潜んでいる者の気配、とかだな』


「……ホラー映画とかの、あ、なんかきそうだなって、あの感じみたいな……?」


『あれはそういう気配を気づかせている節があるからの、だがまあ、近いな。なんの前兆もなく、狭まった視覚と通常より聞こえにくい聴覚のみで、現場の天候、地形、風の向きや乗ってくる匂い、気になってしまう周囲の視線、殺気、不自然に音が止んで生まれた沈黙、それらを全てシャットダウンした上で唐突に死角から迫る敵に、パートナーが指示を聞いて避けられるほどの余裕を持てる間が作れるくらい、いち早く気づく……それが簡単だと言えるか?』


 そう言われてしまえば、不可能にしか思えない。

 だがそれを今、江戸屋扇はやってのけているのだ。


『だが、いつまで持つかのう……』

「やっぱりそれだけの事をしてるから疲弊するわよね……」


『ああ、まあ江戸屋もそうだが、問題はパートナーの方だ』


 江戸屋の方は根性次第でなんとかなる。

 だが、河澄の方は違うだろう。

 エフェクト機能を使えば使うほど、彼女の体に異変が起きるはずだ。


「頼む、早く終わらせてくれ、扇……」


 そう声には出さなかったが、心中で願う。


 しかし、避けたい展開になってくれた方がいいという本音もあり、葛藤が千葉を苦しめた。


 今になって。

 分かった上でやっていた事に、負い目を感じ始めていた。

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