第27話 mother

「まあな」


 ……そんな軽い感じで送るような場所ではないと思うが……。

 さらに河澄の状態が悪化する可能性だって、じゅうぶんにあったはずなのだ。


「そうなったら仕方ないな。……正直な、もう、私たちではどうしようもなかった。だから他人に任せたんだよ。大人じゃ無理だ、信頼関係がある程度ある誰かの声じゃ影響力はない。だから思い切って、はぐれ者たちの中に放り込んでみたら、変化があるんじゃないかってな」


 はぐれ者たちというのは言い得ている。

 普通に社会に溶け込んでいれば、この島にこようとは思わないから。


 プロジェクトの誘いに乗る者は、現状に不満があるからだろう。

 そうなると河澄は相応しくないのだが……。


 そんな場所に、姪っ子を放り込んだのか。


「思いの外上手くいったみたいで、結果オーライだからいいじゃねえか。お前が、あいつを変えてくれたんだから。あの島に送った事を、後悔なんかしてないさ」


 すると、外の景色がいつの間にかコンクリートジャングルから抜け出していた。

 しばらく海沿いの車道を走る。


 ――と、道の先に白を基調とした豪邸が見えてきた。

 住宅街の中に混じってはいるが、その建物だけが飛び抜けて大きい。


「さて、着いたぞ」

「行き先あんじゃねえかよ……つーかここは?」


「ミトの家だ。まあ私の家でもある」

「なんでお前が一緒に住んでんだ」


 叔母は一緒に住むものなのだろうか。

 あまり聞いた事がない。

 ここが祖父祖母も含めた河澄親の実家ならばおかしくはないだろうが……二世帯住宅ではないらしい。


「細かい事はいいだろ、人の家の事情を詮索するな」

「お前が言うのかよ……意気揚々と河澄の過去をべらべら喋ってたくせによ」


 車から下りた江戸屋はそこで、聞き覚えのある声を聞いた。

 豪邸の門の前で執事らしき服を着た男性二人と、なにやら揉めている少女がいた。


 あの後ろ姿…………河澄ミトである。


「あいつ……なんでここに……? いやまあ、あいつの家ならおかしくはねえけど……部屋にいなかったのはここにきてたからなのか」


「私の監視がなくなったらミトなら絶対にここにくるって分かっていたからな。正直、もうそろそろ母親に縋る事もないと高をくくっていたが……まだ甘えたいらしいな」


 車の扉を強く閉め、河澄と揉めている執事の間へと叔母が割り込んで行った。


「いいから、お母さんに会わせてよッ!」

「はーい、残念だったなミト。時間切れだ」


「いっ……! む、今日は江戸屋くんとデートだって張り切ってたのに……」

「なんでそう信じるかねお前は……。ただ嘘でもねえんだけどな――ほれ」


 言いながら親指でくいっと、後ろにいる江戸屋を指差す。

 つられて見た河澄が江戸屋の姿を確認して、特にリアクションもしないまま視線を戻した。


「お母さん! わたし、ミトだよ! わたし、お母さんに会いたいよ!」

「ミト、姉貴は出てこないよ。私に預けた以上、あの人はお前に会おうとはしないさ」

「嘘! わたしが直接会えば――お母さんだって笑って迎えてくれるはず!」


 執事二人の間を強行突破しようとした河澄だったが、大人三人がかりではさすがに厳しいだろう。

 いとも簡単に捕らえられていた。


 テープで口を塞ぎ、後ろで両手を縄で縛り上げて、叔母が姪っ子を車の助手席に放り込む。

 普通に誘拐事件にしか見えない光景だった。


 じたばたと助手席で暴れる河澄が目で、助けて、と訴えてくるが、さすがに手を貸すと鬼のような女からの報復が面倒なのでやめておいた。

 さっき、リアクションをしなかったお返しだと視線で拒否し、その視線を、なんとなく豪邸に向けた。


 三階建ての最上階の窓はさっきまでレースのカーテンが閉められていたが、今は少しだけ隙間があった。

 そこから覗いている、河澄によく似た大人の女性――。


 直感が答えを導き出していた。

 彼女が、河澄の母親だ。


「聞いてきてやろうか?」


 質問したものの、返答など最初から聞く気などなかった。

 口を塞がれているために言葉を発せない河澄は、江戸屋の突然の行動に目を見開いていた。


 江戸屋は執事二人が立ち並ぶ門ではなく……身長以上もある外壁を壁蹴りで登り、敷地内へ侵入した。

 慌てて門を開いて追う執事の二人だったが、江戸屋はあっと言う間に一階と二階の窓枠に手足をかけて跳躍し、三階の窓に到着した。


 下にいる執事がこの部屋にやってくるまでの短い時間しかないだろうが、じゅうぶんだ。

 聞くべき質問はたった一つである。


 来訪者に気づき、窓が内側から開いた。

 ふわりと風が通り、レースのカーテンが部屋の中へなびく。


 窓枠に手をかけた女性は、透き通るかのような白い肌をしており、病弱で儚い印象を抱かせる。


 ……そして若い。


 いや、実年齢は分からないが、若く見えるだけかもしれない。

 少なくとも江戸屋の母親よりは若いのだろうと思えた。


 河澄ミトを成長させたらこうなるのだろう……見た目だけなら。


 中身はもう手遅れなくらいにずぶずぶと沼にはまってしまって、足を抜き取っても泥だらけである。

 とてもではないが、今更目の前にいるような清い人間にはなれないだろう。


「あなたが、江戸屋扇君?」

「…………ああ」


「あの子……ミトは、元気かしら」

「雑談をしたいんだろうが下の門番が今こっちに向かってる。時間がねえんだ、手っ取り早く聞きたい事がある」


 母親の言葉を遮り、本題に入ろうとしたら、今度は江戸屋の口が指で塞がれた。

 彼女の細い人差し指が、江戸屋の唇に触れていた。


「そうなの……じゃあ、少し待っていて」


 小走りで部屋の扉へ向かい、廊下に顔を出して外にいる誰かと話をしている。


「大丈夫よ」

 そう言い終えた後、部屋の扉を閉め、ゆっくりと窓に戻ってくる母親が、


「……こちらにいらっしゃい。少し、話をしましょ?」



 椅子を二つ、向かい合わせにして座る。

 簡単に部屋に上げて無防備な姿を晒している母親は、江戸屋に対して不用心だった。


「こんなおばさんを襲ったりしないでしょ?」


 そういう目的でなくとも、警戒はしておくべきだろう。


「あなたの事は知っていたもの。警戒をする必要がないわ――可愛い息子みたいなものね」


 ふふ、と微笑を見せられる。

 江戸屋も気を許してしまいそうな、のほほんとした空間だ。


「じゃあ、聞きたい事ってなにかしら」

「河澄の事なんだが……」


「あら、私も河澄よ?」

「…………娘の方の、河澄の事なんだが」


「聞いていた通りに意固地なのね」


 どうやら呼ばせたい呼び名があったらしいが、江戸屋も簡単には引っかからない。

 これ以上、茶々を入れる事はなく、母親は江戸屋の質問を聞く体勢になっていた。


「……なんであいつと会わない? たまにぐらい、会ってやればいいじゃねえか。――それとも本当に、会いたくないのか?」

「そんなの、会いたいに決まっているでしょ」


 声は小さく静かだったが、彼女にしては荒げた方だった。

 次の言葉が出るまで、しばらくの時間を必要としていた。


 やっと呼吸が整い、


「でも、今会ってしまえば、あの子は私に甘えてしまう。あの子はいつまで経っても成長ができないまま、大人になってしまう――だからここは、私が我慢しないといけないのよ」


「なら、会う気はあるんだな?」

「もちろん……けど、今のままだと、あの子には会えない」


「成長を示してみろって事か?」


 具体的な成長のビジョンはないが、母親からすれば妹――河澄からすれば叔母である彼女の一存で決まるらしい。


 河澄の口から母親に会いたいと甘えたい感情が消えてなくなった時が理想の再会なのかもしれないが、今のままではきっと河澄は一生その感情を捨てる事はできないだろう。


 ……彼女にとってはそれがモチベーションになっているのだから。


 耐え続ければ、母親に会う事ができる。


 だが抑圧され過ぎて、河澄が今後どんな手段に出るかも分からない。


 今日だって鬼の居ぬ間にこうして母親に会いにきているのだから、今後この行動がエスカレートしていくのは避けられないだろう。


 であれば。

 ――いっその事、もう会わせてしまうのも手である。


「俺と河澄がこれからなにをしようとしているのか……知ってんのか?」

「……うん。大丈夫、なんだよね? 怪我、しないよね?」

「それは分からねえが……怪我なんてさせるつもりはねえな」


 その言葉に安心したのか、母親がほっと胸を撫で下ろした。

 だから信用し過ぎである。


「ならよ、河澄が優勝できたら、会うってのはどうだ?」

「私は……構わない、けど……でも妹にも聞かないと」


「いいぜ」


 と、部屋の外から声だけが聞こえた。

 声の主が中に入ってくる様子はない。


 もしかして、ずっとそこで聞いていたのだろうか。


「にしても大きく出たな、優勝とはな。お前、もしかしてあっさり勝てるとか思ってるわけじゃねえよな?」

「……勝てるかどうかじゃねえよ、勝たすんだよ――俺が、あいつを」


 競技とは言え戦いだ。

 不良同士の路地裏の喧嘩とは訳が違うが、それでも根本的な闘争という意味では同じだ。


 河澄はそんな戦いから逃げ続けていた。

 だけど今、どんな理由であれ一度は立ち向かうと勇気を出した。


 予想される痛みを自覚しながら、逃げようとはしても実際に逃げたわけではない――それは確かに、勇気に蓋をした彼女の、分かりやすい成長だろう。


 優勝した河澄を見て、まだ成長できていないとのたまう親がいるというのであれば、誰であろうと一発殴る権利が江戸屋にはある。


「ふうん……じゃあまあ、そういうこった。姉貴ももちろん、いいよな?」

「ええ、あなたが許可を出してくれるなら、いつだって会いたいわ、あの子に」


「じゃあ精々頑張れよ、ミト」

「…………」


 扉越しの会話だった。

 その先には叔母しかいないと勝手に思い込んでいた。


 その場に河澄がいる可能性だって、ないわけではなかったのだ。


「お母さん」


「…………」


 母親は受け取るだけで返さない。

 喋る事も許されないのか。



「――見てて、わたし、勝ってくるから」

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