第26話 battle dome

 ドームに設置されたスピーカーから、角笛のような音が鳴り響いた。


『陽羽里さん、スーツのおかげで倒れないと言っても、くれぐれも無茶は……』


 しかし、遠慮なく動けるというのが嬉しいのか、彼女はいつもよりも行動が早い……初手は慎重に、置きにいく陽羽里には似合わない、猪突猛進的な動きだった。


『陽羽里さん! そのスーツはあくまでも麻痺させているだけであって、陽羽里さんの体にはいつもと同じように負担がかかっているって事を忘れないでッ!』


 窓から建物の中に入った陽羽里は、耳元の怒鳴り声によって足を止めた。


 簡素で変化のない部屋から部屋の移動が位置感覚を狂わせている。


 彼女は明石の存在と指示を仰ぐという初歩的な戦略すらも頭から抜けてしまっていた。


「……走り回れる、何度も跳ねる事ができる……これってこんなにも楽しい事なのね」

『……陽羽里さん……』


「ひとまず、知らされたエフェクト機能、教えてくれるかしら」


 明石からの説明を聞き終え、陽羽里はすぐさま敵の炙り出し方を思いついた。

 炙り出す――彼女の策は、それそのものである。



 対戦相手の少女は、陽羽里と同じく建物の中に入り、身を隠していた。

 監視カメラがない場所を探せばほんの隙間だが存在し、そこに身を潜めて、陽羽里の出方を窺っていたのだ。


 彼女のナビゲーターによれば、陽羽里はばっちりと監視カメラに映っており、どこにいるのかは移動と同時に逐一共有していた。


 やがて陽羽里が建物から出た時だ。


 不可解な動きがあった。


 同時に、実況さえも追いつかない速度で、勝敗が決していた。


 建物の全ての窓から噴き出す真っ赤な炎――それを避けるために、対戦相手の少女は指示と同時に脱出を試みたが、しかし次の瞬間にはドレスを真っ黒に焦がしながら、建物内からはなんとか出てはこれたものの……そのまま地面に倒れて気絶していた。


『え、えと、これは――け、決着! で、よろしいんですよね、千葉さん』


『もちろん。……? なにを驚いておる。ああ、エフェクト機能が予想以上の規模だったからびっくりしたかの。リアルだろう? それに、確かに高威力ではあるが……あれがずっと出せると思っているなら間抜けな目を見るだけだ』


『と、言いますと、なにかセーフティのようなものが仕掛けられているという事ですか?』

『そういうものだ。できる事なら、選手たちにはその段階にはいかないでほしいものだが』


『……気持ちがこもった重要そうなセリフが気になりますが、ひとまず予定通りに次の試合に参りましょう――それでは一回戦、第二試合まで、あと二〇分です!』


 控え室に入ると、今日はもう試合がないため、陽羽里がドレスを脱いでいた。

 半分ほど見えている、華奢な体に、下着を身につけた無防備な姿だ。


「ひ、陽羽里ちゃん、ちゃんと更衣室で着替えないと――」


「いや、ここでいいのよ。多分脱いだらあたし、倒れるから。王雅が傍にいてくれないと困るのよね……そうだ、ミト。エフェクトを使った後、すっごい疲れるから気をつけなさいよ」


 陽羽里はびっしょりと汗をかいていた。


 エフェクトが炎だから、ではないだろう。

 顔色も悪い、嫌な汗だ。


 それに彼女の視線がミトと江戸屋をいったりきたりしており、まるで人影が誰なのか分かっていないような仕草だった。


 ドレスを脱ぎ、頭からつま先まで完全に下着姿になった陽羽里がぐったりと気を失い、後ろにいる明石に全体重を乗っけた。


 彼は陽羽里を抱え、


「医務室に行ってくるよ。……二人とも、もしかしたら二人の試合には応援にいけないかもしれない。……ごめんね」


「こっちの手の内を晒さなくていいならそれに越した事はねえよ、いいからさっさと行け。早くしねえとそいつ、死んじまうぞ」


 笑えない冗談だが、明石も江戸屋の言う通りだと足早に控え室を出た。


 体の弱い陽羽里だからこそ、スーツを脱いでから、これまでのガタがきたのだろう。

 他の誰かであればあそこまで深刻なダメージを負うわけではない。


 そう分かってはいても、もしかしたら……自滅でなくとも相手から攻撃を受け、陽羽里に焼かれた相手の少女のような目に遭ったら――そう考えてしまうと河澄も例の癖が出てくる。


「…………」


 彼女は黙って控え室の出入り口を確認した。

 その視線を、江戸屋は見逃さなかった。


「お前、今逃げようと思ったろ?」

「………………全然、思ってないよ?」

「いいのかよ、あいつとの約束」


 人工島に戻ってくる際、競技に出ると聞いた叔母と約束した、河澄のための餌だ。

 河澄をすぐに逃がさないためであり、モチベーションを保たせるためでもある。


 逃げれば江戸屋に見下される、それだけでもじゅうぶんな効果が期待できるが、もう一つ、念を押したのだ。

 叔母の企みは成功し、今になっても河澄は一度も逃げていなかった。


 文句はしつこく漏れてはいるのだが。

 逃げない河澄の理由の一旦には江戸屋も絡んでいるのだが、あまり嬉しくない絡み方だ。


 だが、もう気にしない事にした。

 思えば、江戸屋も人の事は言えない。


「…………はぁ。はいはい、やりますよやればいいんでしょ」


 ふて腐れた河澄がぶつぶつと文句を通り過ぎて悪態を吐きながら、控え室を出る。


 別行動は極力控えるべきだが、対戦時間になれば放送で知らされるのでドーム内、近隣のどこにいようとも放送が聞こえなかったという事はないだろう。


 なので河澄は一旦放っておく事にした。

 ……残された江戸屋は、軽い睡眠を取るためベンチに横になり、目を瞑る。


 あっと言う間に睡魔に負けて意識が沈んでいき――、


 鮮明な夢……、

 だが、実際の記憶から引っ張り出してきたように身に覚えがあった。


 人工島に帰ってくる前、河澄を追ってパーティに出席した、その翌日の事だ。


 彼女の叔母から、呼び出しがあった。



「よお。船、出ないみたいだな」

「ああ、だから当日の便に乗って――」

「じゃあ今日は暇なわけだ。こい、文句を言わずに黙って付き合え」


 島では軽自動車を運転していたが、こっちでは派手な色をしたオープンカーだった。


 問答無用で助手席に詰め込まれ、シートベルトもしないままに勝手に発進している。

 荒い運転も健在だった。

 ……よく捕まらないものだ。


 町中を走ると嫌でも目立つ。

 信号待ちしていただけでもかなりの数の学生に写真を撮られていた。


 怒るかと思いきや、彼女は満足そうに笑みを見せている。

 見られて羨ましがられたいがための派手なデザインなのかもしれない。


「どこに行くつもりなんだ?」

「さあ?」


「さあって、おい……お前が連れ出したんだろ」

「行こうと思えばどこでも行けるぞ、幸いにも二人きりだ」


「不幸にも、だ……そういや河澄は誘わなかったのか? 確か部屋にもいなかったな……」


「あいつはあいつで自分のやりたい事をやってんだろうぜ……にしてもおい、女の前で別の女の話をするなよ、嫉妬しちまうぞ」


「ババアが色気づいてんじゃねえよ」


 瞬間、突風が江戸屋の顔面を激しく叩いた。


「お、まえ――スピード出し過ぎだ、落とせ! 振り落とされるだろ!」


 叔母はアクセルを全開にすると同時に江戸屋のシートベルトをはずしていた。

 オープンカーであるため、シートベルトがないと本当に座席から吹っ飛んでしまいそうな感覚になる。


 速度超過はものの一瞬だったが、江戸屋はぎこちない笑みのまま表情が固まっていた。


「て、てめえ……!」

「二度とそれを口にするなよ、私はまだ二十代だ」


 さすがに、江戸屋も学習した。

 冗談だとしても次、口に出せばシートベルトどころか扉さえも開放しそうな勢いだ。


「…………」

「…………」


 しばらく、二人の間に会話はなかった。

 流れている洋楽をぼーっと聴いているだけだ。

 曲が一周し、ディスクを入れ替えるタイミングで、久しぶりに叔母が口を開いた。


「平等にしておきたいだろ」

「あ?」


「ミトはお前の触れられたくない過去を知ってる。けど、お前はあいつの事をまだほとんど知らないだろ? だから、教えてやろうと思ってよ」

「だから河澄を誘わないで俺だけを無理やり連れ出したのか……」


 最初からそう言えば話は早かったのだが……だがどちらにせよ、江戸屋はこう答えた。


「別に、聞きたくもねえよ」

「あいつは過度な箱入り娘なんだよな」


 人の話を聞かないくせに話は聞かせたがる……まあ、勝手に話しているのならさっきの洋楽と同じでぼーっとして聴く環境音楽とでも思っていればいい。

 だからこれ以上、江戸屋も無駄になる拒否はしなかった。


「あいつは過度な箱入り娘なんだよな」

「…………」


「あいつは過度な箱入り娘なんだよな」

「――怖ぇよ! 分かった、聞く、相槌も打つ。だからその先を話せよ……ったく」


 一字一句違わず話す叔母の表情も一切変わらなかった。

 それを不意に見つけてしまった時が一番ゾッとしたものだった。


「そんな感じするだろ? お前も見てきたはずだ、あの逃げ癖と、疲れるような事はしたくない、すぐに楽をしたがる――裏では人を見下している性根の腐った性格が」


「言い過ぎだろ。……言い過ぎ、だろ……?」


「庇うお前も首を傾げてんじゃねえか。ま、そんなあいつの生い立ちは幸せ一辺倒、優しい両親に恵まれたお嬢様だ。きっと本心から苦しんだ経験なんてないんだよ、だからあいつはずっと両親に甘え続けて、成長を望まなくなった。現状で満足しちまったんだな」


 幸せであるならそれに越した事はない……だが、叔母はそれを否定した。


「なーんか、将来安泰ですって顔してるあいつがムカついたから、ぶっ壊してやった」

「河澄の性格が歪んだのはお前のせいじゃねえのか?」


 もちろん、ただの私利私欲で河澄の幸せを奪ったわけではない。

 ……ないはずだと、信じたいが。


「安心しろ、それは本当だ。ムカついたから貶めてやろうだなんて、誰があいつの事を性根が腐ってるって言えるんだ。私にだって目的があって、あいつを姉貴から奪ったんだよ」


 このままだと河澄は人間的にダメになる。

 だから、たとえ荒療治で性格が変わるような精神的な苦痛を与える結果になったのだとしても、ここでしっかりと、痛みを教えておく必要があった。


「とにかく色々とやらせて、厳しく当たっていったら――ご覧の通り、逃げる事ばかり覚えちまったんだよな。逃げる事が必ずしも悪い事だとは思わないが……にしてもあいつは逃げ過ぎだ。立ち向かう、という勇気に蓋をしたんだ。頑丈に鍵までかけて。その鍵は、私でもこじ開けられなくてな――もうお手上げってわけだ」


 言葉通り、叔母はお手上げのポーズをした。


 もちろん、運転中である。


 江戸屋も、もう驚きもしなかった。


「それで、あの島に送ったのか?」

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