第23話 message

 ここまできたのは逃げた河澄を島に引き戻すためだ。


 だが、どう伝えればいい? 


 江戸屋のやり方に反発して河澄は島から逃げたのだ。

 これまでのやり方と同じ事をすればまた河澄に反発されてしまうだけだ。


 しかし、江戸屋はそういうやり方しか知らなかった。

 だから手を出さないのは尚更だが、口までもが止まってしまった。


 人工島と比べて騒がしい音だ。

 大勢の人の声、車の通行音、高層ビルの巨大ディスプレイ映像――江戸屋が黙ってしまっても沈黙にならないのは幸いだった。


 結局、今更江戸屋に、相手に気を遣うやり方なんてできなかった。


 だから、


「帰るぞ」


「島に帰って、わたしを試合に出すの? 大衆の見世物にして。自分の都合のためにわたしを利用する気なら、江戸屋くんが一人で帰ればいい」


「別に。嫌なら出なくていいだろ。不戦勝で逃げたのだと周りからなめられるようになったなら、また俺の強さを示せばいいだけだ」


 江戸屋の言葉に、河澄が目をぱちくりとさせた。


「……じゃあ、なんのために連れ戻しにきたの?」


「……部屋が、よ。散らかっちまうんだ。俺がやるとどうしてか部屋が汚くなる。飯を作ろうにも器具がダメになるし、材料も元よりも小さくなっちまう。……お前、そういう家事全般得意だっただろ? まあ、だから、だ。今更別の奴と組む気はねえしな」


 お前が良い、というその一言がどうしても言えない。


 江戸屋の中では明確な答えとして自覚していながら、だ。


 四度、別の女子と組もうとしてみた。

 だが江戸屋の中のもやもやは晴れず、逆に一人、また一人と試していく内にそのもやは尚更増していった。


 しかし一旦、河澄と組み直す事を考えてみたら、そのもやが一気に晴れたのだ。


 そうなれば、もう認めるしかない。


 江戸屋扇は河澄ミトに、依存しているのだと。


「ま、そういうわけだ……だから、帰んぞ」

「君は裏切り者だよ」


 突然、攻撃的な視線を向けられ、江戸屋は戸惑った。

 裏切り者と呼ばれる根拠がない。


 互いに信じ合っていたわけではないはずだ。

 他の誰かと組むよりは楽だと感じたから、パートナー関係を続けていただけ。


 裏切るもなにもない。


「なんの話だよ」


 雰囲気といい、言葉に乗った感情といい、以前の河澄とは思えない。


 ドレスや化粧による変化とは違う。

 彼女の中の『本物』が出てきたような感覚だ。


「君は前を向いた。わたしたちは共依存をしていたはずなのに、一人で先に進むなんて……」

「……話が見えねえ。俺は前に進んだつもりはねえぞ」


 こうして河澄を連れ戻しにきたのは、彼女がいなくなって浮き彫りになった、目を逸らしていた自分の『逃げ』を再び覆うためだ。

 立ち向かうべき壁から逃げ続けていた河澄が隣にいれば、自分もそれでいいのだと、自分を騙せていたからだ。


 だから前に進んだつもりはない。


 だが――、


「だけど君は、大勢いる女の子の中からわたしを選んだ。だからこうして迎えにきてくれたはずだよ……。特定の誰かを望む『答え』を出した事は、前を見て進み出したと言えないの?」


 江戸屋は言葉にはしていないが、他の誰でもなく、河澄ミトが良いのだと自覚した。


 これまでと同じとは、もう言えない。


「君はずるい」


「…………」


「初めて会った時、君はこの島に逃げてきたんだと分かった。その強さに頼って、目を逸らしていたのも――あ、君もわたしと一緒なんだなって安心した。だから愛情は受け止められなかったけど、君から逃げたりはしなかった」


 逃げ続けてきた河澄が、あの時だけは逃げなかった。

 思い返せば、確かに……江戸屋も疑問に思っていた事だ。


「だって、君からも逃げたら、わたしは本当に最低まで落ちちゃうよ」

「おい、てめえ俺の事をかなり下に見てるだろ」



 支配下に置かれているフリをしながらずっと、こそこそとほくそ笑んでいたわけだ。


「そんな君が前を向いた。なのにわたしが前を向かなかったら、君から見下されるよ……こうして嘘を明かしちゃったら、尚更。……君だけに見下されるのは、我慢ならない」


「お前……」


 真剣な顔で悪口を言われているわけだが。

 しかし、彼女にも心の変化があったのは確かなのだろう。


「だから帰ってあげる。君が、わたしが良いと言うのなら」


 さっきとは逆に、河澄が手を伸ばしてきた。


 彼女は決して取らなかった、江戸屋の手。


 対抗して江戸屋も取らずにいると、本当に帰ってきてはくれなさそうな気がした。

 この時点で、二人の関係性はこれまでとは逆転していた。


「俺に見下されたくないから逃げずに立ち向かうって……それは前を向いてんのか?」


 痛みや傷よりも嫌な事から逃げているだけにしか見えなかったが。


「そんな君も、わたしを利用しようとしているのは見え見えだし。なにがしたいのかは全然、さっぱりだけど――お互い、これ以上の詮索はしない。今までもそうだったよね?」


「そうだな。いなくなって初めて、お前がいた方が良いと思っただけで、それだけだからな」


 そうして江戸屋は、伸ばされた河澄の手を取った。


 ……開花祭まで、残り二日。



『悪いが船が諸事情で出せなくなっての、一般公開日に出る船に優先で乗れる券をそっちに送っておくからそれで向かってくれ』


 千葉とやっと連絡が取れたのは、開花祭が翌日に迫った時の事だった。


 一般公開のため、与えるべき情報とそうでない情報の仕分け、人員の管理やお披露目する競技の事などで千葉の方は仕事量がパンクしそうらしい。


 ぎりぎりのところを綱渡りで歩いており、桧木が手伝ってはいても老いぼれの体には響いている。


 長時間の労働は元からできないので、小まめに休憩を挟む必要があるのだが、そうなると時間が足らなかった。


 連絡が取れないのもその辺りが起因する。

 船についても、外部からの人間を安易に引き込んだり、桧木のような不法乗客もこの忙しい時期に入られても対応できないため、船も一時運行中止にしている。


 貨物について、三日前には必要なものは全て運ばせている。

 それ以外は当日以降でも可能なため、運行の延長。

 毎日入荷する商品は今日の分だけは仕入れる事ができないという対応になっていた。


『当日の船で島に着いたら、建設途中だったドームが完成しているはずだからそこへ向かってくれ。恐らく儂も桧木も連絡は取れんと思うからそのつもりでのう――ではの』


 と、こっちの言い分も聞かずに、一方的に通話を切られてしまった。

 それくらい忙しいという事か。



 ――そして当日、早朝から世間の話題はこればかりだった。


 開発途中の人工島、恋愛島プロジェクトの一般公開日。

 マスメディアがやはり多いが、その中にも一般客が混じっている。


 公開日は二日あり、日曜となる二日目の方が一般客が多いだろう。

 一日目はほとんどが報道関係で、世間へ情報公開するのが目的だ。


 それらに混じって、江戸屋と河澄が優先券を使って船に乗り込む。


「陽羽里ちゃんと顔を合わせづらいなあ……」


 なにも言わずに島から出て、しかも着信を無視している。

 その後に折り返しもしなかった……きっと怒っているだろう。


 うだうだといつまでも悩んでいる河澄の隣、江戸屋は船の最上階から海を眺めながら、


「大丈夫だろ、怒られるだろうけどな」

「全然大丈夫じゃないよ……怒られるのが嫌なのに」

「じゃあ我慢するんだな。けど、怒られるから、大丈夫なんだろ」


 河澄は首を傾げ、意図の分からない江戸屋の言葉に困惑する道中だった。


 その後、河澄が江戸屋の言葉の意味に気づいたのは、陽羽里と顔を合わせてからだ。


 彼女は船から下りて、島に辿り着いた二人を駅で待ってくれていた。

 到着したのを確認してずんずんとこちらへ近づいてくる。


 陽羽里に気づいて後退しようとした河澄だったが、船から下りる後続があるため、逃げ場が自然と塞がれてしまっていた。


 気づけば陽羽里が目の前まできている。


「ひ、陽羽里ちゃ」

「――こんの、馬鹿ミト!」


 と、陽羽里が河澄をぎゅっと抱きしめた。


「え……、え!?」

「だから、大丈夫だってさっきからずっと言ってんだろうが」

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