第19話 friend
「叔母さん、お母さんに会いたい」
「ダメだ。姉貴はすぐにお前を甘やかす。埃一つもつけたくないみたいに丁寧に。そんな平和な世界にずっと浸っていたらお前は……」
「…………?」
だが、そこで言い淀んだ。
はっきりと主張する叔母にしては珍しい。
「かと言って、過激な世界に身を置かせても、お前が壊れても本末転倒だからな……都心に戻ったらごく普通の学校でやり直せばいい。まあ編入だから既に固まってる人間関係の中に飛び込む形になるが、そこはお前次第だな。俯いてばっかじゃ友達はできないぞ」
「……やだ」
「やだじゃねえ。……転校生特有のぼっち感にすら耐えられないって正直やばいぞ? お前はなんでもかんでもが食わず嫌いなんだよ。一度体験してみれば、いざ目の当たりにすると意外と体は動くもんだ。この島でだって、なんだかんだと友達、できたんだろ?」
陽羽里……明石……友達とはまた違うが、江戸屋……。
生活するにあたって頼れる仲間がいた……飛び込んでみたら自然とできていた関係だ。
どうやって関係を構築したのだろう……?
河澄は思い出せなかった。
荒れた部屋と、騒がしい音を聞いて、たまたま連絡事項を言い渡しに部屋の前にいた陽羽里と明石に様子を見られて……そこから始まった関係ではなかったか……?
そう言えば、意図がなくとも、橋渡しは江戸屋だった。
「あ、そっか……」
この時、当たり前の事に河澄は気づいた。
この島から逃げれば、江戸屋と顔を合わす事はもうないのだと。
まっすぐ帰宅した江戸屋は、いつも通りに過ごす事にした。
河澄がいない事で部屋を自分一人で使える……意外と快適だと、最初は思っていた。
だが、次第に歪みに気づいていった。
「……そういや、飯はどうすんだ……?」
掃除、洗濯、物の整理……どこになにがあるのか、全てを河澄に任せてしまっていたため、部屋の棚を全て開けるはめになってしまった。
あっという間に部屋の中が物で溢れかえる。
出したものを元に戻したはずなのになぜ溢れ出るのか。
どういう収納法をしていたのか、積もった物の瓦礫の中では分からなかった。
時間が経つのも早い。
気が付けばもう日は落ち、夜になっていた。
腹の虫が鳴った。
冷蔵庫の中に材料はあるが、当然、手料理などした事もない。
斬る、焼く、くらいは見よう見まねでできない事もないが……味付けは?
これで腹を壊しては間抜け過ぎる。
今日くらいは、外食にしよう。
明日、明石や陽羽里に聞いてみればいい。
近くのラーメン屋に顔を出し、カウンター席で注文すると、隣に遅れて入った客が座った。
「彼と同じものを」
「……ガラガラにすいてんだから別の席にいけよ」
「お姉さんの隣は嫌なの?」
「なーんか、心中を暴かれそうで鬱陶しいんだよ、お前はジジイの犬じゃねえか」
「誰が犬なものか! ……ふーん、じゃあ、暴かれたくない事でもあるんだね?」
隣の客が不敵な笑みを見せるが、すぐに引っ込める。
「嘘よ。年下のしかも一般人の男の子に編集根性丸出しでアプローチなんかしないから」
そもそも、この出会いは偶然なのか?
仕組まれたものなのか? どちらとも取れる。
まあ、河澄が帰った事くらいは、千葉に知られているとして、なら編集者の桧木が知っていてもおかしくはない。
「助けてくれたお礼、ちゃんとはしてなかったし」
あの時、ファミレスではおまけの取材がついていた。
あれを命を救ってくれたお礼とするにはあんまりだ、という自覚はあったらしい。
かと言ってこうも無理やりねじ込んできたかのようなお礼もどうかと思うが……。
この言いようだと、江戸屋の現状を理解しているようだった。
その時、注文していたラーメンが二人同時に届いた。
香ばしい匂いに包まれる。
「話くらいなら聞くよ? だって私は編集者で、聞くのが仕事みたいなものだから」
それはお前が押しかけて無理やり聞いてるからだろ、とは言わなかった。
言っている内に、ラーメンが伸びる。
「なんも喋ってくれなかったよ」
『お前さんの聞き方が悪かったのだろう』
「いや、おじいちゃんでも無理だと思うけどね。あんな頑なだと……ラーメンは経費で落ちるんだよね?」
『領収書を忘れずにのう』
電話を切って、ラーメン屋の前から歩き出す。
河澄が島から帰った、というのを知っているのは千葉と、彼から聞いた桧木だけだ。
これから政府に報告でもするのだろう――つまり江戸屋がパートナーを失い一人になったのだと同級生が知るのは、彼自身が吹聴しない限り、早くても明日の事となる。
通常通りであれば。
だが、桧木は編集者である。
千葉からも特別、口止めをされたわけではなかった。
「……私って案外口が軽いんだよね」
……案外?
彼女の同級生が聞けば、全員が首を傾げるだろう。
ラーメン屋から帰宅し、自室のドアノブに手を伸ばしたところで違和感に気づいた。
だらん、と力なくドアノブが重力に負けていた。
横に伸びていたバーが真下に向いている。
もちろん、鍵が壊れており、ドアノブを引くと扉が開いた。
こんな事を道具も使わずにできるのは一人しかいない。
そうしろと指示を出したのも一人しかいないが……しかし、こんな強硬手段に出る奴ではないはずだ。
ここまでする理由がない限りは。
だとすれば、あいつがここまでの事をする理由が知られたという事になる。
予想できた。
どいつもこいつも、どこもかしこも、情報規制が緩過ぎる。
「ねえ、なによこの部屋」
渡會陽羽里がエプロンと三角巾を身につけ、埃落としのはたきを持って玄関で仁王立ちしていた。
大きな体の明石は邪魔にならないように部屋の隅で積まれた物の瓦礫を整理している。
「……人の家に勝手に上がってなにしてやがんだ。不法侵入だぞ」
「ミトは?」
質問には答えず、江戸屋は部屋に上がった。
すると、はたきの棒の部分を、江戸屋の後頭部を狙って突き出した。
陽羽里の敵意に気づいていた江戸屋が首を横に倒して避け、突き出された棒を握る。
「それを知ってるから、勝手に上がったんじゃねえのかよ」
「結果を聞いただけ。知りたいのはその内容なのよ。どうして、ミトはこの島から出て行ったわけ?」
「知ってどうする」
「友達なのよ……勝手にいなくなってはいそうですかって納得できると思ってんの……?」
引き抜くために力の入ったはたきを、江戸屋はぱっと離した。
「あたしは、あんたらほどドライじゃない」
あんた……『ら』か。
陽羽里は河澄にも、同じように怒っているようだ。
多分、引き止めてくるだろう陽羽里からも、河澄は『逃げた』のだ。
一度逃げてしまえば後に再会するのも気まずくて、きっと河澄は顔を合わせる事からも『逃げる』だろう。
たとえ些細な事でも逃げ続けてきた河澄。
彼女のこれまでの人生を知れば、逆に言えば、今回の事で『立ち向かう』方があり得ない選択だ。
「説明しなさいよ――どうせあんたがミトに酷い事をしたんでしょ!」
した……のだろう。
だが、しなかったとしても、言葉で説得を試みたとしても、結局、結果は変わらなかっただろう。
江戸屋だろうが、陽羽里だろうが、誰の声も届かないはずだ。
結果がどうせ変わらないのだ、過程がどうねじ曲がろうが、関係ない。
「あいつが試合に出ねえって言うから、ぶっ飛ばしただけだ――そしたら帰った……これで満足か? 予想通りだろ」
「ふざけんじゃないわよッ!」
だが、陽羽里は暴力を振るった事について声を荒げたわけではなかった。
「……テキトーな事を話して会話を終わらせようとしないで、本当の事を話しなさいよ。あんたがそんな事をしないって事くらい、分かってるわよ」
なにを分かったような事を……、そう表情に出ていたのだろう。
「あの時、ミトを傷つけたあんたが後悔をしてるって、分かったから。だから力づくで抑えつけずに、微妙な距離感で困っていたんでしょ? どう接していいか分からないから。一度傷をつけてできたそのひびに触れたら、少しのショックで壊してしまうかもって、恐かったから」
「恐がってはねえよ」
「だからあんたが安易な暴力をミトに振るうとは思わないわ――で、本当は?」
しつこい追及に観念した江戸屋が一部始終を話し終えた。
暴力を振るわなかったものの、島から逃げ出すきっかけを作ったのは江戸屋である。
そこは変わらない事実だった。
「――あんた、どうしてその場で引き止めなかったの? そこは力づくで動かないのね」
河澄がいないだけで変貌した、清潔とはかけ離れた部屋で、散らばった物を屈んで整理しながら。
「引き止めたところであいつは意思を曲げねえよ。無理やり引っ張ってくれば、同じように逃げる追うが続くだけだ。それに、あの保護者の前じゃ乱暴な事はできなかった」
「あんたでも勝てないって?」
「勝てるだろうな。ただ――」
その先は言いたくなかったが、陽羽里はしつこく催促してくる。
「確かにその人のやり方だとあんたの肉体じゃなくて、心に傷を作ってきそうよね。つまり、恐かったのね」
「だから、恐くはねえよ」
江戸屋の否定は考えて出したものではない。
弱みを見せてはならない世界に浸っていたゆえに自然と出てしまうものだった。
だから誰も、一定の成長を遂げた江戸屋の弱さを目にした事がない。
「あんた、自覚ないでしょ」
視線だけを動かした。
なにが、と陽羽里に訴える。
「酷い顔よ。そんな顔、いつものあんたなら決して誰かに見せたりはしないわよね」
確かに全身が嫌に重い気がする……それが表情に浮かんでしまっているのだろう。
「これ、整理したら今日は帰るわ。……急に押しかけて悪かったわね」
陽羽里がしおらしくなった。
彼女のこの態度は今まで見た事のないものだった。
その次に出た言葉は聞き捨てならないものだったが、江戸屋には返す元気もない。
「あんただって、なにも感じていないはず、ないのに――」
その後、河澄ほどではないにせよ、部屋が綺麗になった。
一応玄関まで見送った江戸屋と最後に言葉を交わしたのは、意識して会話をしないようにしていた、明石だった。
「江戸屋君」
間を置かずに彼は言った。
「強さを示したいだけなら、彼女である必要って、なんだろう」
こちらの返答も聞かずに、おやすみと挨拶をして、一方的に扉を閉めた。
……玄関で一人、江戸屋が舌打ちをする。
「ごちゃごちゃしてる頭の中に余計なもんを入れてくんじゃねえよ……!」
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