第13話 king
向かい合って座る江戸屋と河澄。
空いた食器を中々店員が下げにこないのは、二人が無自覚に出している空気のせいか。
「やっと二人きりになれたわけだ」
「……わたし、は、なりたくなかったです……」
「家に帰れば嫌でも二人きりになんだろ――ともかくだ、てめえ、騙してやがったな?」
「っ、そんな、ことは……」
「あるだろ、どうせ聞こえないところで俺の陰口を言ってたんだろ。それがお前のストレス発散方法ってわけだ」
言っていなかったのだとしても、まったく思わなかった、わけではないだろう。
桧木が問題視しているからこそ気づいたが、河澄に限らずこの島の女子たちは多少の不満を抱いているはずだ。
直接口には出さずとも――、出せなくとも、だ。
出せないからこそ心の内側で溜まってしまっている。
「お前、文句があんなら言えよ」
「文句なんて……」
と、尚も否定するため、伸びた江戸屋の手が河澄の顔を鷲掴みにした。
「てめえいい加減にしろ。不満を一つ二つ言ったくらいで俺がてめえになにかするとでも思ってんのか?」
「し、してる……、今思い切りしてる……!」
「溜まりに溜まってる文句を洗いざらい全て吐け。でないとこのまま顔面を砕き割るぞ」
その時、周囲がざわっとどよめいた。
ぴちゃぴちゃと水が滴り、床が濡れていた。
カッとなっていた江戸屋は、視界が広がり、かなり熱くなっていたのだと自覚する。
「――冷水を被って頭が冷えた?」
濡れた髪の上に乗っていた氷を手で振り払う。
後ろにいたのは、逆さまにしたコップを持つ、陽羽里が立っていた。
「お前……」
「ミトに乱暴すんなって言ってんでしょ。その手も離しなさいよ。もう一杯、顔面に冷水をぶっかけてあげようか?」
冷房の効いた店内での冷水は意外ときつい。
一度目を体験している江戸屋は素直に河澄の顔から手を引いた。
「なんだ、お前、一人か?」
いつもならば隣に明石がいるはずだが、今日は近くに見当たらない。
あの大きな体格の男が見当たらない、なんて事はあるはずないため、いないのだろう。
「あたしにだってプライベートな時間くらいあるわよ。あいつは今頃、任せた買い出しでもしてるわよ」
極力、陽羽里を一人にはしないようにしている明石だが、それでも限界がある。
四六時中一緒では陽羽里の息が詰まるだろう。
だとしても河澄よりかは溜め込まずに発散しているはずだ。
今のように、陽羽里はこの島では枠に収まらない例外的な存在になっている。
「なによ、文句でもあるの?」
「あ? 別になんとも――」
と答えたが、陽羽里の視線は江戸屋には向いていない。
周りだ。
傍観していた周囲の野次馬共が、陽羽里を異形なものとして見ていた。
主に女性は怯え、男性は今にも手を出してきそうに前のめりだった。
「陽羽、里、ちゃん……あんまり強く出ない方が……」
「ねえミト、あたしがおかしいの?」
自分に非があるとは欠片も思っていない陽羽里に、ミトが気圧されていた。
おかしくない。
おかしいと思いたくない。
でもそれを口に出す事はできないと言った表情だった。
唇を噛んで視線を逸らす。
その態度に、陽羽里は特になにかを言う事はなかった。
「多分、ミトのその対応は正しいわよ。ただあたしだって、間違ってるとは言わせないわ」
陽羽里が喋れば喋るほど、周囲に男が集まってくる。
女冥利に尽きるような状況だが、しかし集めているのは好意ではなく敵意だ。
「女が男より弱いって、誰が決めたわけ?」
「あまり調子に乗らない方がいい」
すると、一人の男が近づいてきた。
名も顔も知らない、本当にただこの場で首を突っ込んできただけの野次馬だった。
不躾に江戸屋の首に手を回す。
恐らく、江戸屋よりも二つ、三つ年上の男だろう。
馴れ馴れしい男だった。
「女ってのは男に依存するもんだ。誰が働き、金を貰っている? 誰が女共のステータスになっているんだ? 女の価値を決めるのは寄り添う男の価値と同じだ。俺たち男が優先され、優遇されるのは当たり前だろう。ここはそういう場所だ――理解しろよ新人ちゃん」
男の視線が河澄に向けられた。
彼女は肩を上下させ、さらに体を小さくさせる。
「こっちの女は分かってるみたいだな。お前ら女はただ俺たち男の背中を見て追ってりゃいいんだ、余計な事はすんな」
なあ、と江戸屋は同意を求められ、……あぁ、と曖昧に答える。
「女に喧嘩はできねえ、できてもたかが知れてる。女じゃこの島の王は務まらねえ、男しか王にはなれねえんだ。そう、強さだ、他にはなにも必要ねえ――ただ一つの強さ! それは、男にしか持てねえもんだからなあ!」
演説をするみたいに、回した腕とは反対の手を広げ、周囲にアピールをする男。
そんな彼の顔面へ。
傍にあったコップを取り、陽羽里が冷水を浴びせた。
「うるさいわね、興奮してんじゃないわよ」
「て、めえ……」
「女が男を支えるべき、って考えが腹立つわ。あんたらは支えられてるって自覚を持って、感謝するべきなのよ。どうせ、あたしらがいなくなったら、あんたらはなにもできなくなるんでしょ?」
家事全般、雑用、全てを押しつけている男なら、満足に生活もできなくなる。
女性が男性に依存しているように、男性も女性に依存している。
その時、小さな針が刺さったような感覚を、江戸屋は錯覚した。
「一人でなにもできない人間が、大きな声で威張るんじゃないわよ」
「ぶち殺す!」
陽羽里へ手を上げようとした男の顔面は、一瞬で崩れる事になった。
彼の体が数メートル飛び、店内の壁ガラスに激突して大きな破砕音を立てる。
複数の甲高い悲鳴が上がった。
そして騒動の中心点には、江戸屋扇が立っていた。
「確かにな、威張るな、だ。弱ぇ人間の言葉に力なんか宿らねえんだ」
周囲へ視線を向ける。
これから江戸屋に立ち向かおうとする男はいなかった。
呆れて、思わず溜息が出た。
たった一発、今のを見ただけで心が折れたのか?
なら――、江戸屋はとんっ、とテーブルの上に飛び乗った。
さっきの男のように、両手を広げて自らをアピールする。
「強さが絶対なら、俺にはその資質がある。ここで挑んでくる奴がいねえならそれが答えだ」
もう一度周囲を見回すが、やはり挑んでくる奴はいなかったし、ふつふつと湧く闘志さえも見えなかった。
江戸屋を満足させられる男は、もうこの島にはいないのかもしれない。
だからこそ、彼の言葉には力が宿っていた。
「――俺が、王だ」
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