第10話 irregular

『今の道を真っ直ぐ進んで……次の十字路が、右です……それからえっと――』

「見えた」


 江戸屋が視線を上げれば、鉄骨を渡っているエイリアンが見えた。

 それを追うシーカーたちの姿も同時に確認できている。


 手を伸ばしてエイリアンを捕まえようとするが、目標は重力を無視して鉄骨の下へとぐるんと回って逃げる。

 縦へ伸びる柱の鉄骨を伝って、エイリアンはさらに上へ。


 五階建ての建物の最上階まで到達したエイリアンだったが、上から先回りしていたシーカーと下から追い詰めるシーカーたちに挟み撃ちにされていた。

 エイリアンは逃げる場所を探すため、僅かに動きを止めた。

 その一瞬の隙を、彼らは見逃さない。


「あいつ、いっちょ前にどこへ逃げるか迷ってんのか」


 迫ってくる手を、狭い足場の中、小刻みに動いて躱す。

 平地ならあっという間に捕まっていただろうが、鉄骨の上という不安定な場所では、八本足のエイリアンに利があった。


『江戸屋くん……? どこに向かって――』

「隣の建物だ。どうせあいつは一か八かで飛び降りるだろうぜ。だから、そこを狙う」


 エイリアンとシーカーたちが集まっている鉄骨組みの建物の隣、同じような五階建ての鉄骨組みを一分もかけずに登って最上階へ。

 端まで追い詰められたエイリアンを背中から眺める。


「粘るにしてもそろそろだな……俺だったら、今、飛び降りるぜ?」


 同時、エイリアンが方向転換もせずにそのまま鉄骨から飛び降りた。

 追い詰めていたシーカーたちが手を伸ばすが、まったく届いていなかった。


 エイリアンは空中で半回転、着地点をそのカメラレンズで目視しようとしたが――、その機械的な球体に、もしも表情があったとすれば、きっと驚愕に染まっていただろう。


 ピントを合わせようとするレンズの動きが、エイリアンが示す驚きの感情だ。


「逃がさねえぞ」


 共に鉄骨から飛び降りた江戸屋扇の手が、エイリアンに触れる瞬間だった。

 八本足がシュッと球体の中へしまわれ、代わりに二枚の羽が生えた。


 さなぎから蝶へと羽化するような――、一瞬の出来事が長い時間のように感じられた。

 機械的な動きとは思えない。


 まるで目の前に本物の鳥がいるかのようななめらかな羽ばたきだったし、滞空時間も長い。

 やがて、江戸屋とエイリアンの距離が離されていくが、江戸屋が一方的に離れていっているだけだ。


 羽がない江戸屋は、重力には逆らえない。


『江戸屋くんッ!』

「ちっ」


 咄嗟に落下途中にあった鉄骨に手を伸ばすが、指がかかっただけで体重を支える事はできなかった。

 が、落下位置をずらす事には成功した。

 三階部分の鉄骨に、足が届く。


「耳がきーんとすっから大きな声を出すな」

『ご、ごめんなさい……でも、いきなり、飛び降りるから……下にはなにもない、ただの地面ですし……』


「そんなことより、あいつ、飛びやがったぞ」

『う、うん……あ、飛んでいっちゃう』


 こんな変態をするとは聞いていない。

 説明時に言わなかったのは、驚く江戸屋たちのリアクションが見たかったからなのか……千葉の満足げな表情が思い浮かぶ。


「あのジジイ……!」



 毒づく江戸屋の視界の端で、僅かなフラッシュが焚かれた。

 暗闇と鉄骨のせいで分かりづらかったが、一階部分に、確実に誰かがいる。


「河澄に聞くまでもねえか」


『え……?』

 と戸惑う河澄を無視して鉄骨を下っていくと、大きな揺れが視界を揺さぶった。


 見上げると、最上階の鉄骨に着地する、明石の姿があった。


「あいつも、捕り損ねたか……」


 大きな手の中にはなにも収まっていない。

 羽を生やしたエイリアンはもう遠くに逃げ、その姿も小さくなってしまっていた。


 制限時間は一時間……残りはもう、半分もない。


「これで振り出しか」


 その時、顔をしかめたくなる不快音が江戸屋の耳に届いた。

 同時に、明石が体重を預けていた鉄骨が――落ちた。


「うぉっ――!?」


 一つの歪みが全体に影響を及ぼし始める。

 落ちた鉄骨が別の鉄骨に当たり、まだしっかりと組み立てられていない鉄骨組みの建物のバランスが崩れ始めた。


 まるで雨のように。

 ボルトなどの小さなパーツを含め、上階部分の鉄骨が降ってくる。


「おいおい……こんな状況でもまだそこにいてくれるなよ……」


 だが、



「……なに、これ……?」


 鉄骨の裏の見えにくい場所に、尻餅をついて動けなくなっていた少女がいた。

 首にはカメラを下げ、キャスケットの帽子とデニムのジャケット。

 動きやすそうなハーフパンツだ。


 ……その少女と目が合った。


 彼女はなにも言わなかったが、体を丸めて首から下げていたカメラを優先に守った。

 一方的に、江戸屋が助けるために動くと確信した態度だ。


 命は守ってくれるはず、だからカメラを守ろう――そんな判断をしたのだろう。


「……図々しい奴だ」


 それに、勘違いをしている。


 助けるか助けないかは、こちらに選択権がある事を忘れてはならない。

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