第5話 crazy

 もちろん、可能である。

 パートナー同士、互いが了承すれば別の誰かと組み直す事は可能だし、互いに希望すれば特定の相手と組む事もできる。


 だからここで江戸屋、河澄、美里、気絶している銀髪の青年が了承すれば、江戸屋は美里とパートナーになる事が可能だ。


 理論上は。

 だが、そこには必ず、感情論が入り込む。


 視線を集めたのは、思わず声に出してしまった河澄だった。

 彼女は慌てて両手で口を押さえるが、もう遅い。

 美里の鋭い視線に、河澄が視線を逸らす。


「アンタが江戸屋扇のパートナーね」

「は、ぃ……」


 カツ、カツ、とヒールの音が響く。

 屈んだ美里が、河澄の瞳を覗き込んだ。


 警察帽子のつばが、河澄の額に当たる。

 まるで鳥のくちばしにつつかれているようだ。


「――いいわよね?」


 主語はなかったが、状況から推測できる。

 河澄も空気が読めないわけではないのだ。


 多分誰よりも早く空気を読める。

 そして、傷つかない方法を選び取る。


 だが今回は、こうして捕まってしまった。

 河澄は逃げるという事が許されない。


「…………江戸屋、くんが、そうしたい、なら――」

「ちょっと、ミト……っ」


 勢いのない陽羽里が河澄の選択に文句をつける。

 だが、彼女は脂汗を浮かべて、いつものような覇気がなかった。

 明石の腕を背もたれにしなければ、今にも倒れてしまいそうに、表情を苦痛によって歪めている。


「つまり、いいって事よね?」


 ありがとっ、と河澄の頭を撫でて、美里が立ち上がった。

 それから江戸屋に向き直る。


「アナタのパートナーちゃん、変更を許してくれたみたいよ? 後はアナタ次第」

「お前のパートナーには聞かなくていいのかよ」

「あー、いいのよ。どうせそいつはアタシの言う事なら聞くから。事後報告でも文句は言わせないわ」


「そうか。こいつ、お前には深い愛情を注いでいるように見えたがな」

「結局、体目当てよ。それに、アタシは弱い男を好きになったりしないの。江戸屋扇、アンタの子供なら喜んで産んであげるわ」


 江戸屋にとって、この島にきて初めて直接的な事を言われた。

 好きだとか子供を産みたいだとか。

 河澄とそんな話をした事がなかった。

 愛情なんて、出会ってすぐの時に一度崩壊しているのだから当然なのだが。


「本気かよ」

「本気よ。この企画に参加しているのだからそういう願望はあるんでしょ? 一生のパートナーを作って、結婚して、子供を産んで……残りの人生を、幸せに過ごす気が……」


「別に」


 江戸屋は言い切った。

 元より、こんな企画で集められたと知らなかったのだ。


 彼にとってここは騙されて連れてこられただけで、かと言って元の場所に戻りたいとも思えなかったからずるずると日々を重ねているだけに過ぎない。


 美里が語ったような願望は一ミリもない。

 だが、それでも――、


「俺の愛情を、受け取ってくれんのか?」

「ええ。もちろんよ」

「あ、まって――」


 その時、河澄が声を発した。


「アンタは黙ってろ。ここから先は、アタシと江戸屋扇の問題なんだから」

「ち、違う、ん、です……止め、た、のは、アナタの方、で……」


 人見知りしている河澄は視線を泳がせながら、ゆっくりと途切れ途切れに話す。

 それに苛立った美里が河澄の胸倉を掴んで持ち上げた。


「はっきり言いなさいよ! ちんたら喋ってんじゃないわよ!」

「あい、じょうを、受け止める、なんて……かんたんに、言わない、で……」


 はぁ!? と口に出しそうになった美里が、ゾッ――! と。


 背中で感じたものがあった。

 それは、かつて河澄ミトが感じたものと似ている。



 ――二ヶ月前の事。


 江戸屋扇と河澄ミトが出会った時、二人の真っ白な関係を黒く塗り潰す、決定的な問題が発生していた。

 今でも続いているぎくしゃくとした関係の始まりであった。


 それは、江戸屋はそういうやり方しか知らなかっただけで、悪意はなかったのだ。

 だが、その好意を受け止められる者は、この世界にいるのか怪しいものだ。


 幼少の頃から喧嘩ばかりをしていた彼は、戦闘の経験において、同年代を圧倒する。

 その強さは、間近で見てきた者こそ分かるだろう。


 年上だろうと、本物のヤバい相手だろうとも拳一つで向かっていく。

 憎悪、敵意、それ以外にも……、喧嘩が強ければ褒められ、みんなに喜ばれて、絆を感じていたからこそ――彼にとって愛情表現とは、暴力だった。


「…………っ!?」

「俺の拳を受け止めろよ?」


 振り向いた美里の真横を、江戸屋の拳が通り抜けた。

 風を切る音が、しつこく鼓膜にこびりつく。


 偶然、数センチ横にずれていたおかげで直撃は免れたが、もしもこれが直撃していたらと考えたら……美里の全身から、ぶわっと冷や汗が出てきていた。


「母親も、妹も、受け止めてはくれなかった……けど、『あいつら』は受け止めてくれたんだよ。結局、住む世界が違うから無理だったんだ。河澄も、違う世界の住人だから、上手くいかなかったんだ」


 江戸屋がいる世界は、昔から暴力で始まり、完結する世界だった。

 だからこそ、彼の愛情を受け入れてくれるのは、同じ世界の住人だけ。


 今思えば、当たり前の答えだったのだ。


「お前は、こっち側だから、問題はねえだろうな」

「ちょっ――いや、アタシも遠慮しておこうかな……なんてッ!」


 江戸屋の拳を防御する美里の腕には、鎖が巻き付けられていた。

 これで多少は威力を軽減できたかと思ったが、じんじんと、腕の中の芯が痛みを発する。


 そう、骨に響いている。


「痛……っ?」

「やり返してこいよ。お前の愛を、見せてみろ」


 ひうんひうん、と、鎖を振り回し、風を切る音が響いていた。


「一筋縄では手に入れられないと思っていたけどね……ここまでとは想定外よ」


 だが、脂汗をかきながらも、美里には心に余裕があった。

 江戸屋扇に挑んだ不良の中には女子も混じっている。

 男子に比べ、女子への攻撃は甘くなる傾向があると知っていた。


 されないわけではないが、威力は軽めだ。

 さっき偶然避けられた拳も、実は江戸屋がわざとはずした可能性が高い。

 振り回している鎖は回転数が早くなるにつれ、見えなくなる。


「さぁ、受け止められるものなら受け止めてみなさいよ!」


 飛行機のプロペラみたいに、回転した残像によって円盤状に見える鎖が、江戸屋のこめかみを狙うが――ぱしっ、と。

 あっさりと掴まれた。


「なっ!?」

「ふうん、先端に、おもり、ね。今の速度で当たってたらヤバかったな」


 拳大の鉄塊が、江戸屋の手の平の上にある。


「な――そんなあっさりと止められるわけないでしょぉ!?」

「でも、実際に俺は止めたしな」

「規格外よ、アンタ!?」


 それは女傑である美里にも言える事だったが。


「後、なーんか勘違いしてる節があるから正しておくが」


 江戸屋はぐるぐると、先端のおもりを、鎖ごと回し始めた。

 美里が回すよりも早く、あっという間に最高速に届いた。


「女に手を出す時は、一応俺も男だから手加減はしちまう。失礼な事にな」


 この場面で男女平等を主張する美里ではなかった。

 今だけはか弱い女を演じて、見逃してほしかった、と彼女の本音が小さく漏れる。


「同じ世界の住人同士、まったく手を上げないわけにはいかねえ。で、直接手を出さないとなると、俺も手加減をしなくても済むんだよ。道具に頼ってしまえば、俺も離した後は干渉できないからな――便利なんだ」


 つまり。

 江戸屋が回していた鎖を、美里の腕に絡ませた。


 彼の手から離れた鎖は段々と美里の腕に巻き付いていき――その先端がやがて、彼女の顔の位置へと向かうようになっている。


「え」

「後は、知らねーぞ?」


 肩をぽんっ、と叩いてその場を去る江戸屋を呼び止める前に、美里の目には、迫りくる黒い塊が見え――。

 そのおもりは、割り込んだ明石の額にぶつかった。


「な、え……アンタ――直撃、して……ッ!?」

「大丈夫ですか?」


 明石は傷一つなく、ぶつかった額が赤くなる事もなく、無事だった。

 おもりを丁寧に両手で包んで、美里の手に返す。


「あなたに怪我がなくて良かったです」

「え、あ……、ありがとう、ございます……っ?」


 巨体に上から話しかけられると、美里でも河澄のようになってしまうらしい。


「江戸屋君」

「ん、なんだ」


「たとえ相手が同じ世界の住人でも、怪我をさせるのは、ダメだよ」

「そいつ自身の武器でもか? そいつが多くの相手に、同じような技を使っていてもか?」


「女の子は、大切に扱わなくちゃいけない」

「紳士だねえ」


「江戸屋君、分かってほしいんだ」


「ああ、分かったよ」

「……ありがとう」


 簡潔なやり取りを終えた江戸屋が、今度は視線を美里に向けた。


「で、どーすんだよ。組むのか、組まねえのか?」

「……誰がアンタなんかと組むかッ! ついて行けるわけないでしょぉ!?」


「お前が望んだ事なのによ……まあいいや、じゃあ、あの話はなしだ」

「当然よ! ……アンタなんかより、こいつの方が一〇〇倍マシよ!」


 そう言って美里は銀髪の青年に肩を貸し、彼の足を引きずりながら倉庫から去って行った。


 残された四人。

 静寂が、騒動の終わりを証明していた。


「……ふぅ、腹減ったし、帰る、か――」

「江戸屋君、陽羽里さんが体調悪いみたいだから、先に帰るよ」


 明石の背中には、ぐったりとして、表情を歪める陽羽里の姿があった。


「おう、お大事にな」

「川澄さんも、おやすみ」

「あ、お、おやすみ、なさ――」

「おい、もう明石いねえぞ」


 最後まで言えなかった事にショックを受けて肩を落としていた河澄だが、その後悔はすぐに吹っ切れる事になった。


「置いてくぞ。お前がいいならいいけどよ」


 薄暗い倉庫に一人で残される恐怖が勝り、後悔などとうに消えていた。


「ま、まって、一人にしないで!」


 小走りで江戸屋の隣に追いつく。

 互いの距離が意外と近い事を、本人たちは自覚していない。

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