第4話 wolf

 倉庫と呼ばれているが、鉄骨が組まれ、上から幕が下ろされた造りかけの建物である。

 夜になると工事は中断されるため、現場の人も全員が帰宅してしまい、不良たちの溜まり場になってしまうのだ。


 簡易的な電球が、ほんのりと倉庫内を照らしていた。

 江戸屋と明石を迎えたのは、集まっていた数十人の不良たち。


 各々金属バットや鎖、工事現場からくすねた武器を手に持っている。

 漏れなく全員、傷が目立っているが、江戸屋がつけた傷ではないはずだ。

 ……多分、だろうなあ、と思うが。


「お、やっとき、た……な?」


 江戸屋が姿を見せたら数の利がある向こう側がぎょっとしていた。

 相手の視線は江戸屋よりも斜め上、そう、顔が大分高い位置にある明石へ向いていた。


「え、僕?」

「な、なんで明石王雅がお前についてやがんだァ!?」


 江戸屋は呆れて言葉を失った。

 お前らが攫った片方の少女のパートナーがこいつだが。


「ふ、ふざけんな……ただでさえどうにもできねえ江戸屋がいるっつうのに、明石まで相手になんかできねぇぞ……!」

「じゃあとっととそいつら離して帰れよ」


 河澄と陽羽里は手足を縄で縛られ、口に猿ぐつわをされている。

 陽羽里が暴れているが、声が出せていないだけでかなり静かだった。

 日常的に、あいつには口にはめておいた方がいいのではないか?


「いや、これだけの人数が一斉にお前に飛びかかれば、たとえ江戸屋だろうとただじゃ済まないはずだぞ……」

「ところで、俺に電話してきた奴、どいつだ?」

「オレだよ! オ・レ!」


 叫んだのは髪を銀髪に染めている青年で、周囲にいる奇抜な格好や髪型の不良に比べると印象が弱い。

 確かに、これでは覚えていないのも無理はなかった。

 かと言って、周りにいる奇抜な不良も覚えているかと言われたら、記憶になかったが。


「お前が、俺に負けた……んだよな?」

「なんで覚えてねえんだよォ! 後ろから金属バットで奇襲しただろうがよォ!」

「みんなしてるよそんなん」


 言うと、周りの不良共がうんうんと頷いていた。

 最近は真っ正面から堂々と喧嘩を仕掛けてくる奴が少なくなったので、尚更背中の警戒を強くしている。

 逆に、奇襲の方こそ分かりやすくなってしまっていた。


「っ、はは、話を逸らしているようだが、数の暴力には弱いみたいだな!」


 逸らしているつもりはなかったが……確かに、数十人で一斉にこられたら苦戦する。

 まあ、多少苦戦するだけだ。

 それ以上はない。


「いいぜ、まとめてかかってこい」

「ははっ、じゃあ動くなよ? 動けばこいつらがどうなるか、分かってんだろうな?」


 金属バットが地面に叩きつけられる。

 カァンッ! と甲高い音が、河澄の体をびくりと震わせた。


「次は頭を打ち砕いてやる」

「…………」


 さて、どうしたもんかな……。

 対抗する江戸屋には策がなにもなかった。


 元々、喧嘩に策を持ち込む事がない。

 本能的に殴り合っていれば、勝ってしまう性分だからだ。


 人質がいる状況というのも初めてだ。

 小学生の時も、中学生の時も、似たような状況になった事もあったが、人質ではなく、男子女子含め、不良仲間であった。

 見捨てて殴られようが後で謝ればそれで済む関係性であるため、脅しには屈しなかった江戸屋だったが……。


 河澄はまずい。

 彼女は関係ない。

 この世界にいていい住人ではないのだ。


 見捨てる事はできない。

 きちんと、元の世界へ送り帰す責任がある。

 河澄ミトのパートナー、江戸屋扇として。


「あの、陽羽里さんを、離してくれないかな?」


 と、縛られている河澄と陽羽里に近づいていた大男が声をかけた。


 人質の見張りであった不良男子が、悲鳴を上げて持ち場から離れてしまう。

 グリズリーを倒したと噂が流れている明石だが、彼がグリズリーそのもののような迫力を持っていた。


「……ありがとう」


 明石は持ち場を離れてくれた二人に律儀にお礼を言う。

 彼は二人の縄を簡単に引き千切り、猿ぐつわをはずした。


「この、でくの坊! 助けるのが遅いのよッ!」

「陽羽里さん、ごめん……それに河澄さんも……」


 見ると、彼女の様子が変だ。


「…………はぁ、はぁ……――っ」


 河澄の体の震えはまだ止まっていなかった。

 落ち着くまではもう少し時間がかかりそうだ。

 それか、特定の誰かの声が必要かもしれない。


「くっ、役立たずめ――やってくれ、兄弟!」


 銀髪の青年が奥から二人の大男を呼び込んだ。

 彼らは明石と遜色のない体つきをしている。


 だが、大きさだけだ。

 質量や圧力を明石と比べてしまうと彼には及ばない。


 だが、二人だ。

 劣化しているとは言え、明石が二人いると考えたら、手の施しようがないのは明石一人分と同じくらいだろう。


「ほぉ、こいつが有名な、あのグリズリーと」

「奥の細っちいのが、一匹狼か?」


 視線と言葉を組み合わせれば、どの呼び名が誰なのかは当然分かった。

 裏では一匹狼と呼ばれているらしい。


 ……ふうん、悪くない。

 笑えるのが、明石がそのままグリズリーと呼ばれているところだろう。


「ん? 武器は使わないのか?」


 金属バットや鎖やトンカチが転がっているのにもかかわらず、大男の二人はなにも持っていなかった。


「ふっ、武器なんざ弱い奴が強い者に対抗するための、創意工夫の結果だ。おれたちには必要がない」

「言うなれば、この両の拳が武器だ」

「そうか……」


 江戸屋がゆっくりと、二人の大男の前へ歩を進めた。

 そして相手の射程距離に入ったところで、ぴたりと足を止める。


「顔に一発、打ってみろ。それで分かる」

「……一発で終わる喧嘩というのもつまらんだろう」

「いいからやれよ。どうせ一発じゃ終わらねえ。てめえじゃ何発打ち込もうが俺を倒す事はできねえよ」


 大きいだけだ。

 中になにも詰まっていない。

 巨大な風船で叩かれたところで痛くないようなものだ。


「なめられてるぞ、兄貴」

「…………なら、望み通りに打ち込んでやろう。その首の骨、折れても知らんぞ」

「お前こそ、その自慢の心を折るんじゃねえぞ?」


 大男兄が、大きく足を踏み込んだ。

 地面が足の形に凹み、さらに亀裂を入れる。

 体に捻りを加え、ぎゅっと握り締められた拳が周囲の空気を突き破って、江戸屋の顔面へ向かう。


 誰もが目を瞑り、一瞬先を想像した少女の悲鳴が倉庫内に響き渡った。

 結果、


 二度目の鈍い音と共に膝を崩したのは、大男兄の方だった。


「か、は――ッ!?!?」

「ちょっと痛かった。だから、腹立ったな」


 江戸屋の額は赤くなっており、僅かに立ち上る煙が見えた。

 ノーダメージではなかったが、首の骨は折れていないし、血も流れていない。


 膝を崩した大男の方が、口から血を流して重傷に見える。

 彼の腹部には、江戸屋の拳の形で、痕が残っているだろう。


「あと、うるせえぞ河澄。俺が倒れると思ってんなら、バカにすんじゃねえよ」

「ちょっと! 心配してくれたミトになんて事を言うのよッ!」

「お前、誰が猿ぐつわをはずしていいって言った?」

「あれ、文句を言いづらいから嫌いなのよ!」


 喋られなくするための道具だ。

 それをされても尚、文句を言いたいのか。


「あんたねえ、いい加減にっ――」

「陽羽里さん、呼吸を落ち着けて」


 倒れかけた陽羽里を片手で支える明石。

 静かになった事で、江戸屋の視線は倒れた大男の隣にいる、弟の方へ向けられた。


「……まだやるか? 付き合うぜ?」

「お、う、うぉあああああああああああああッッ!!」


 銀髪の青年から金属バットを奪い取り、大きな挙動で振りかぶった。

 大きな体、大きな予備動作――大きな隙。


「おいおい、そのバッドが振り下ろされる前に、七発は打ち込めんぞ」


 実際は一発。

 兄とお揃いの場所に拳をめり込ませ――、倒れた大男が積み上がる。


 これを見て、周囲を囲んでいた比べると小さな不良たちは、それでも江戸屋に挑もうとは思えなかった。

 誰もが少しずつ、後ずさっていく。


「お、おい、お前ら……?」


 銀髪の青年が周囲を見回し、去って行こうとする仲間たちに声をかけるが、


「ちっ、付き合ってられねえよ! あんたらだけでやってくれ!」

「命がいくつあっても足りるかこんなん! おれらは別に本当に復讐がしたいわけじゃねえ」

「あんたに乗せられてやったんだよ、もっと良い策を練ってから誘いやがれ!」


「――ちょ、おいお前ら! 俺を一人にする気か!?」


 足音が止み、倉庫内が静まり返る。

 狭く感じていたが、見渡せば意外に広かった。


「……一人になっちまったな。倒れて伸びてるこいつらは別にして」


 金属バットを奪われ、武器も仲間も失った青年が一人、この場に残った。

 一緒に逃げなかったのは評価するが、それも誰かに命令をされたから、にも思える。

 彼の目を見れば、今すぐにでも逃げたいと江戸屋に訴えているのだから。


「は、はは……っ」


 愛想笑いだ。

 にしても、やはり――、


「……あー、やっぱり無理だ。思い出せねえ。お前よりウェブサイトのバナー広告の方が印象に残るぞ?」


 しつこく復讐にくるならいずれ覚えるだろう。

 そういう意味でも比較に出してみた。


「え、ええっと、じゃあ僕も今日はこの辺で――」

「アンタ、逃げたら殺すわよ?」


 青年の媚びるような猫背がぴんっと、棒が立ったように伸びた。


「は、はひ!」


 倉庫の奥、暗闇になっていて分かりづらかったが、確かにそこに誰かいるとは江戸屋も気づいていた。

 だが、この場に似つかわしくないと思って意識からはずしていたのだ。


 不良たちの仲間ではなくとも、知り合いなのだろうと。

 様子を見ているだけの観覧客なのだろうと。


 しかし実際は不良共を集めた青年を操る、裏の顔だった。

 栗色の髪と警察帽子。

 サディストの女王様のような格好をした――女だ。


 片手に巻き付けているのは、鎖だった。


「ふーん、見た目も強さも、格好良いわね、江戸屋扇」

「お前は?」

美里みさと。呼び方はみーちゃん、でいいわよ?」

「ちょっとみーちゃ――」


 青年の言葉を遮り、手元の鎖をまるで鞭のように扱った。

 彼女は冷たい瞳を向けていた。


「あふんっ!?」

「喧嘩も弱い、仲間の信頼もない、策だって穴ばかり。なんでアンタなんかとパートナーなのかしらね」

「そ、それは、体を重ねた時の相性、とか……?」


「死ね!」

「うごぉ!?」


 しばかれ続けた青年が、遂に地面へ倒れた。

 幸せそうな表情で倒れているので、……見た目よりもダメージは少ないのかもしれない。


「変態クズ野郎! ……はぁ、それで江戸屋くん、アタシの話、聞いてもらえる?」


 問答無用で喧嘩、というわけではないらしい。

 緊張と緩和により、強制的に牙を抜かれた江戸屋は、軽い気持ちで返事をした。


「なんだよ」

「パートナー、アタシと組み直さないからしら?」


「……………………え?」

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