行ってしまった夏の話

せらひかり

行ってしまった夏の話

 カメラのシャッターを切る。ずっとスマホ頼りだったから、画面じゃないボタンを押すことや、カシャリと機体が鳴ることが、なんだかねじまきのオモチャみたいで、小鳥をてのひらに載せているみたいで、どきどきした。

 おじさんのくれたカメラは、ちょっと錆びついている。レンズはきれいだけれど、金具のあちこちが銀色ではなくなっていた。

 フィルムは冷蔵庫に入っていて、初めは現像液には触らせてもらえなかった。フィルムのケースには、何年も前の日付。使用期限。とうの昔に切れているが、まだ使える。

「夏はさあ、フィルムにしか写らないんだよ」

 おじさんはそこそこ若いくせに、昭和みたいなことを言う。

 夏休みになると、おじさんは祖父母の家の冷蔵庫にフィルムを置いて、山や川を撮りに出かけた。車で海にも出かけた。ときどき、カメラを触らせてくれて、ナツは上手に撮るなぁ、と笑っていた。自分は、重たくて、取り回しが面倒くさいカメラたちを、それほど好いてはいなかったけれど、おじさんが現像したものは何だか胸のかけらみたいだったから、いつしか、カメラに憧れるようになった。

 高校生になって、古いカメラをくれたのは、おじさんの気まぐれだろうか。

 その辺の写真店で現像すると、あまり望んだ色にならなかった。

 おじさんにもらったフィルムを使い終わるたび、夏を待った。おじさんに会うと、現像を頼む。

 他の現像とは全然違う、何かの宿る写真になる気がした。しばらくして、やっと現像方法も習ったけれど、自分で試してもうまくいかなかった。おじさんの指にだけ宿る、魔法の色みたいだった。

 やがて社会人になって、引っ越しもして、カメラはどこかへ消えてしまった。引っ張り出しもせず、いつ消えたかも分からずに。

 そして忙しくて会わない間に、おじさんの白髪が増えて、おじさんも引っ越して、そうしてほとんど機会も失われた。写真を撮ることも、おじさんに現像してもらうことも。

 あの魔法に出会うことも。


 久しぶりの引っ越しで、写真の入った箱を見つけた。

 高校生の頃までの、自分で撮った写真だった。

 こんなところにあったのか。お菓子の、なんてことない箱の中で、写真たちは眠っていた。


 高校生だった、あの夏。

 おじさんは、私が気に入らなかった写真を、大事そうに指で拾った。

「写真ってのは、同じものは二度と手に入らない。結晶みたいなものなんだよ。大事にしてな」

 どんなものでも。何でもない風景でも。いくらでも代えがあるように思えても。

 確かに、高校の夏休みはあっという間だった。スイカや、プール、近所の子どもが育てていた朝顔、ひまわり、ヘチマ、ゴーヤ、死にかけのセミやカブトムシ、それから、振り返って驚いたような顔をしたおじさん。フィルムを透かすと、なんだか濃い茶色でよく見えない光景は、焼きつけると見慣れた写真になる。


 今、何年も、乱雑に重ねておいたら、プリントした写真の紙はくっついていた。フィルムも張り付いていて、物によってはカビが出ている。

 でも、なぜか捨てたくない。何年も忘れていたくせに。

 こんなことがあったなんて、かけらも思い出さなかったくせに。

 薄情もの、と、おじさんは言うだろうか。きっと言わない。

 二度と手に入らない結晶は、写真の上でくすんで、けれどきらめいている。

 あんな日々を忘れていたくせに、いまさら。

 恋しい、だなんて。

 指先が、あのカメラのシャッターボタンを探す。空中に浮かんだボタンが、カシャリと鳴る。


 私はまだ、行ってしまった夏を思う。

 どこにも、もうない、夏のことを。

 もしかしたら、最初から、なかったことかもしれなかった。

 あの夏に見た、幻の。





web夏企画 お題は

【カメラ、結晶、恋しい】

です。1つ以上選んで制作しましょう。ご提出お待ちしております!

#web夏企画_お題 #shindanmaker

shindanmaker.com/994471


ということで、再録しました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

行ってしまった夏の話 せらひかり @hswelt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ