ひっくり返そうじゃないか

 アタルカは走った。

 汗とともに血をダラダラと流しながら、ぜえぜえと息を切らしながら。


 視界がかすむ。

 こんなにも必死で走るのはいつぶりか。


 子どもの頃から研究のために長時間歩いたり、あちこち走り回ったりすることが多かった。

 その為体力はある方だったのだが。


 今は、ペース配分も何も考えず全力で走っていること、そして血液が失われ続けているせいで、どんどんスタミナが失われていく。


 しかしそれでも、足の動きは鈍らない。

 そして、ようやく兵士の集団の背中を見つけた。


「ふんっ!!」

「うわぁっ!?」

「なんだ!?」

 アタルカは兵士の背中に、走ってきた勢いのまま飛び蹴りを食らわせる。


 兵士の体は軽装の鎧に守られていたが、後ろから押す力には、素直に顔面から落ちていく。

 アタルカもその反作用で、反対側に背中から落ちた。


 周囲の兵士たちがどよめく。

 非力な引きこもりだと思っていた男が、自分たちを追いかけ、あまつさえ攻撃してきたのだ。


「貴様……」

 列の先頭に立っていたアルバダが、憎々しげにアタルカを睨んだ。


 その胸元には鳥地が抱えられ、苛立ったような顔でアタルカを見つめていた。

 アタルカは、そんな鳥地を見つけると僅かに笑った。


「何してるんですか先生! せっかく丸く収まるところだったのに!」

「黙れダメッカス!!」

 アタルカがよろよろと立ち上がる。


 激しい動きのせいでさらに出血が増したようで、目元までべったりと血で染まっていた。

 兵士たちはその様子にドン引きしながらも、じりじりと慎重にアタルカを取り囲んだ。


「なぜ俺がお前の言うことを聞かなければならん!!」

「はあっ!?」

 アタルカの不遜な言葉に、鳥地は思わずおかしな声を上げた。


「そんな意地みたいなことで全部ぶち壊しに来たんですか!」

 鳥地の叫びに合わせるように、兵士たちが一斉にアタルカに剣を向けた。


 いくつもの刃に取り囲まれながらも、アタルカは不敵に笑う。


「いいや、違う」

 アタルカは、降参をするようにゆっくりと両手を顔の高さまで上げる。


「すべてを護りに来たんだ!」

 瞬間、アタルカの両手がカッと眩く輝いた。

 以前にも兵士たちから逃れるために使った、目くらましの魔法である。


「んなっ!?」

 アルバダの腕の力が緩み、鳥地は魔力を使ってふわりと浮き上がった。


 瞳の裏がチカチカする。

 地上の様子が全く分からない。


「先生! どこにいるんですか!」

「ここだ!」

 不意に、鳥地の右足が下に向けてグイッと引っ張られた。


 いや、これは。

 ぶら下がられたのだ。


 少しバランスを崩しながらも持ちこたえ、下に向けて左腕を突き出すと、そちらも掴まれた。


「ちょうど飛んでくれて助かったぞ、きちんと話しておきたかったからな」

「何言ってるんですか!!」

「まあ落ち着いて聞け」

 やっと戻ってきた視界に、アタルカの険しい顔が映る。


「あいつらの言うことは信用できん。こうなった以上は俺達が国に追われるのも時間の問題だ」

「僕がなんとかするって言ってるのに!!」

「そもそも、お前が一人で全てを丸く収められると思っているのが間違いなのだ」

 アタルカが出来が悪い子を見る様にため息をつき、地上を見下ろす。


 さっきから少しずつ上昇していたために、既に二人は地上からは手が届かない高さに辿り着いている。

 そのため、視力が回復した兵士たちは二人に手を出すことも出来ず、悔しげに何事かを叫んでいる。


「だからな、根本からどうにかすることにしたのだ」

「は? 根本から?」

「そうだ。お前が以前に言っていたことだ。この国を、ひっくり返す」

 アタルカの意外な言葉に、鳥地は一瞬、グンと高度を落とした。


「おい! 今足を掴まれるところだったぞ!」

「すみません、あんまりにもびっくりして」

 鳥地は慌ててまた上昇する。


「ひっくり返すって、どうやって?」

「なあに、この国の在り方に疑問を持つ奴なんかいくらでもいる。そういうやつらを刺激してやればなんとかなる」

 アタルカにも大して具体的なプランは無いのだろうと、鳥地はなんとなく思った。


「元の世界に帰るのが少し遅くなるかもしれんが、いいか?」

 これはつまり、自分にも協力しろということだ。


「はい!」

 鳥地は、考えるよりも先に返事をしていた。


「では手始めにお前の実家でも燃やしに行くぞ!」

「うぇ!?」

 早速後悔しそうになった。


「俺のことがまだ広まっていないのならば、エス家をつぶせば終わりだ。お前も燃やすぞと言っていただろう」

「それは危害が及んだらだけど……予防ってのはどうなんだろう」

「おい! ふざけるな!」

 アルバダが地上で叫ぶ声が聞こえた。


 しかし、二人の耳にはすでに声は届かなかった。

 そして、エス家の屋敷へと方向転換し、最高速で飛び出す。


 道中、燃やしはしないまでも、何か脅しを残していくことに決まった。


 自分たちがとんでもないことをしでかそうとしていることは分かる。

 しかしもう引き返せない。


 空を進みながら、二人の顔には笑みが浮かんでいた。




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異世界の歴史研究者 甘木 銭 @chicken_rabbit

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