追うに追えない
「アタルカ、大丈夫?」
アタルカの頭から血が垂れていることに気が付き、トクロが慌てて服の袖で地を拭った。
「やめろ、汚れるぞ」
「でも他に止血するものが……」
「いい、少し放っておいてくれ」
アタルカはよろよろと立ち上がると、力なく歩き出し、机の前に置かれた椅子へと落ちていく。
「あー……」
目を閉じると頭がくらくらとする感覚が起こり、上を向きながら椅子の背もたれに体重をかけた。
鳥地を連れて行った兵士の一団は、すでに姿が見えなくなっている。
小屋の中には蹴とばされて外れたドアと、衝撃で本棚から零れ落ちた数冊の本が散らばるだけである。
「本当に、良かったの?」
「仕方ないだろう。ランドンさんに迷惑を掛ける訳にはいかん」
ランドンというのは、この国最高の天文学者であり、アタルカの生活を支えているトクロの父親の名前である。
トクロは呆れと怒りが混ざったような調子で答える。
「アイツらが本当に、私たちがあんたの研究を支援してるのを隠してくれるって? 騙し討ちだって自分で言ってたのに」
「学生はしっかり釘を刺していたではないか」
「カグラちゃんじゃ、お人好し過ぎて簡単に丸め込まれちゃうかもよ」
「……」
アタルカはむっつりと黙る。
トクロが言っているようなことを、アタルカも考えなかった訳ではない。
このまま放っておいていい結果になる訳が無い。
そうは思うのだが、どうにも動き出す気が起こらない。
臆病風に吹かれたのか。
アタルカがここまで弱気になるのも珍しい。
いや、本当は弱気になることは何度もあった。
しかし、自分を追い込むことで目を逸らし続けてきた。
それらのツケを今、一気に目の前に叩きつけられているのだ。
何故、何故だ。
何故、あの学生のためにこんなにも。
動き出せなくなってしまうのは。
「カグラちゃんも考えがあってああ言ったんだからさ、別に拒絶されたわけじゃないと思うよ?」
トクロはそう言いながら、扉を抜けて外へ出た。
その言葉を受けて、アタルカは座ったまま、目を伏せながら思考を巡らせる。
拒絶?
いやそんなまさか、しかし。
自分は、学生に拒絶されることを恐れているのか?
いやいや、あんなお人好し……
「とりあえず、私アイツらのこと追いかけてくる。何かできるか……そもそも追いつけるかも怪しいけど……」
心細いような表情で歩き出すトクロ。
その横から、細長い足が伸びる。
「えっ?」
「俺が行く」
トクロが驚いて振り返ると、額から血を流したままのアタルカが、険しい顔つきで立っていた。
「でもまだ血も止まってないのに……」
「だが俺が行った方が速い。それに、方法もある」
旅やフィールドワークに慣れたアタルカは健脚である。
「……うん、行ってらっしゃい」
アタルカの決意の籠った目を見たトクロは、安堵したように微笑む。
「うん、二人で無事に帰って来てね」
「お前の家にも、手出しはさせん」
「うん、お願い」
トクロが最後の言葉を口にしたときには、アタルカは走り始めていた。
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