帰るに帰れない

「おい、お前本気で言っているのか?」

 アタルカが信じられないと言った様子で、鳥地の背中に呼び掛ける。


 一方の鳥地は、「先生が焦った顔をするなんて珍しいな、面白い」などとのんきに考えながら、穏やかに微笑む。


「だって、そうするしかないじゃないですか。先生、トクロさんの実家潰せるんですか?」

 そんなつもりは無かったが、最後は突き放すような言い方になってしまった。


 まあ嫌われてしまった方が、後腐れが無くなっていいか。

 鳥地は更に思考を巡らせながらアタルカをじっと見つめる。


 ああ、そんなつらそうな顔しないでくださいよ。

 僕がいなくなったってケロッとしてるような人でしょ、あなたは。

 ああもう、だから。すいません。


「一つだけ条件がある」

「どうされましたか?」

 鳥地は大柄なアルバダを目いっぱい見上げる形になりながらも、強気な姿勢で交渉を始める。


「ここからイリリクの町へ行く途中にある森。そこに住んでる山賊たちを、どんな形でもいいからうちの家で雇ってほしい」

「なっ……!?」

 鳥地の提案に一番驚いたのは、アタルカだった。


 イリリクへの行き帰りでアタルカ達を襲った山賊はかつて国に仕える兵士だったが、平和な世の中では必要が無くなり、山賊に身を落としていた。

 そんな山賊たちを、鳥地は救おうとしている。


「馬鹿かお前は!! 自分を犠牲にして他人を救おうなどと、おこがましいぞ!」

 アタルカは叫んだが、もはや鳥地には届かなかった。


「そうじゃないですよ、先生。だって、僕家に帰ったら一生食うに困らないんですよ。それってこの世界ではすごく贅沢なことじゃないですか?」

 鳥地はアタルカから顔を背けながら答えた。


 確かに、鳥地の言っていることは正しい。


 アタルカには鳥地から聞いた範囲でしか分からないが、鳥地の元居た世界ではこの世界よりも技術が発展し、インフラが整備されている。

 何より、農業人口が圧倒的に少ないというのに、明日食べるものの心配をする必要が無い。


 この世界ではまだまだ自分たちの食料の確保すら危うく、不作が続けば庶民はあっけなく餓死してしまうこともある。

 アタルカも、トクロの世話になっていなかったら真っ先に餓死していた人間の一人だろう。


 水は井戸から組まなければならないし、夜に明かりを得るには、魔法で火を使うしかない。

 木造建築の多いこの国では、灯りのために付けていた火が原因で家が燃えてしまうことも珍しくない。


 それに、アタルカの小屋にいる間、鳥地はアタルカに怒鳴られ、こき使われながら過ごし、固い布団で寝ている。


 実家のエス家ならば、元居た世界までとは言わずとも、ここにいるよりも贅沢で、楽な暮らしができるだろう。


 だが、もし実家に帰ってしまったら。

 彼が元の世界に帰る方法を探すことはもうできなくなるだろう。


 それだけではない。

 エス家は武力と謀略で成り上がってきた家柄だ。

 エス家の当主は代々、それなりの地位の将軍になるとも聞いている。


 それに彼には、とてつもない魔法の才能がある。

 彼の父親がそれを放っておくはずがない。


 実家に帰れば、鳥地も否応なく武人として育てられることになるだろう。

 他国との戦いや、政争に巻き込まれることもあるかもしれない。


 それは鳥地が最も嫌がっていたことではないか。


「この、ダメッカスが……」

 アタルカは、鳥地を睨みながらそれだけ言うのが精いっぱいだった。


 その言葉に、鳥地寂しげに、しかし決意を込めた目でフッと笑った。


「大丈夫です、僕がなんとかしますから」

「そんなこと誰も頼んでいないだろう」

「さあ、お嬢。もう行きますよ」

 アルバダが、鳥地の小さな体を丁寧に抱きかかえる。


 もう彼は、アタルカのことなどどうでもいいらしい。

 彼の指示の下、兵士たちが次々と小屋から出ていった。


 そして、アルバダが小屋の小さな戸を潜り抜けようとした瞬間。


「アルバダ、もしこの人たちに少しでも手を出したら、僕はお前たちを屋敷ごと燃やし尽くすからな」

「……かわいいナリして恐ろしいこと言いますな。悪い影響受け過ぎだ」

 マントを羽織った背中越しに聞こえた、聞きなれた幼い声の、聞き慣れない低いトーン。


 アタルカは呆然としながら、小屋の小さな入り口から離れていく一団を、ただただ眺めていた。

 枠で区切られた向こう側の景色は、あまりの急展開のために、まるで絵画のように現実感が無かった。

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