第5話「血の色だけが同じ赤」

 燃え盛る焔のような夕陽が寺近くの雑木林を染めている。少年はそれを見ている。木立の薄暗がりが徐々に黒く濃くなっていく。その中に蠢く何かが見える。彼には見える。赤松には見える。彼にはずっと小さな子供の頃から、人間ではない何かが見えている。

 彼は忌々しげに睨む。少年とは思えぬ形相で木陰を睨む。そうすれば、連中は勝手に逃げていく。連中は彼を恐れて逃げていく。

この衝動を発散させる相手は何処にもいない。それが赤松を更に苛立たせ、世界と己を憎悪させる。



 赤松が自分の特異性を初めて知ったのはまだ七歳にもならない時だった。毎晩毎晩、家の隣にある墓地が煩くて眠れない時があった。赤松の家は大きな寺で、父親は忙しかった。それに家庭を殆ど優先することのない男だった。幼い長男の訴えを聞く暇など無かった。仕方なく手伝いに来ている檀家の老婆に言った。幼い赤松と小さな彼の弟、それとほぼ寝たきりの母親を、檀家の妻や娘が持ち回りで世話をしていた。

 赤松が「家の隣にある墓が煩い」と訴えると、老婆は首を傾げていた。

「お墓が煩いって、夜中に?」

「そうだよ。なあ、墓場でなんでさけんでるヤツいんの?」

 毎夜、墓場で誰かが叫んでいる。大勢の誰かが叫んでいる。狂ったように笑っている。それが煩くてとても寝てはいられない。だから仕方なく弟と昼寝なんかしている。

 赤松がそう訴えると老婆は一瞬怯える。それから「怖い話しないでよぉ」と彼に笑い掛けた。家に出入りしている人間全員に聞いても、誰も理解を示さなかった。だから仕方無く、弟を証人にしようと思った。



深夜。眠っていた赤松は墓場から聞こえてくる絶叫で目覚めた。赤松は隣で寝ていた三歳の弟を叩き起こした。幼児のくせに泣きも笑いもしない弟は、起こされて不機嫌そうに唸るだけだった。

 弟の首根っこを掴んで赤松は窓へ向かう。兄弟が寝ている部屋は母屋の二階にあり、その窓からは墓場が見えた。

「おい、おいねるなセイショー! ホラそと見ろって!」

 乱暴な兄の声で仕方なく青沼は背伸びして窓の外に目を向ける。赤松も同じように墓場を見ていた。

 闇の中に墓場がぼうっと浮かんでいる。代々、寺で供養している死者達の眠る場は静謐な夜に佇んでいる。赤松の生まれた国定の家は、手入れを欠かすことは無くきちんと菩提を弔ったはずだった。

 御影石が月明りを拾って、輪郭を輝かせている。墓地は広い。墓石は群れを成している。その合間に、白い何かが見えた。それは人の形をしていた。目鼻も耳も無く、到底生きている人間には見えない。ぽっかりと、大きな口を開けて叫んでいた。

 それ等は大勢いた。

「あああああしああああああねあああああああああああああしあああああねあ」

「あああしあああねああああしああああああああああねああああああああああ」

「あああああああああしああああああねああああああああああしああねあああ」

「ああああああしああああああああああねああああああああああああああしね」

 激しい絶叫が、赤松には聞こえている。白い人影が叫んでいるのを見ている。

「な、なあおい! 見えるか!? 見えるだろ!? なあ!?」

 隣に立つ弟の肩を揺さ振って、赤松は訴える。自分だけが見えていると思いたくなかった。せめて弟にも見えていて欲しいと思った。だが答えは無常だった。

「みえない。もういい? ねる」

 青沼はそう言って、さっさと寝床に戻ってしまった。赤松は自分ひとりだけが見聞きしていることを思い知り、そして激しい怒りを覚えた。

そう生まれついてしまった自分に怒りを覚えた。



 赤松が小学生になると、周囲と自身の違いを否が応でも感じた。見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる。頭の中で暴れ狂う衝動に苛まれる。なんでも良いから壊したいし殺したい。目につく人間を殴ってやりたい。そう思うのは赤松だけだった。

 度重なる注意によってどうにか人間の定めた法律を理解した赤松だったが、成長するにつれて我慢が利かなくなっていった。中学では売られた喧嘩を買って同級生上級生合わせて二十人近くを病院送りにした。道端で年上のチンピラに絡まれ、返り討ちにして警察に連れていかれたこともある。

 赤松は暴力を伴う行為を「楽しい」と思う。それ以外娯楽らしい娯楽が彼には無かった。それでも人間を殴るのは宜しくない、と長年の学習で理解していた。いつも殴って良くて、壊して良いものを探していた。



 ある晩。赤松は街を彷徨っていた。学校が終わって、大嫌いな家に帰る気になれなくて歩き回っていれば夜になっていた。気付けば深夜だった。

 流石に不味い。この前は警官に見つかって補導された。赤松は苦い体験を思い出して渋々だが帰路についた。幸い、警官に見つかることなく家の近くへと戻ることができた。赤松は家の隣にある墓地の前を通る。やはりあの白い人影達はいた。

「あああああしああああああねあああああああああああああしあああああねあ」

「あああしあああねああああしああああああああああねああああああああああ」

「あああああああああしああああああねああああああああああしああねあああ」

「ああああああしああああああああああねああああああああああああああしね」

 弟を証人にできなかったあの夜以来、赤松は彼等を無視した。今日は無視することができなかった。

「うるっせぇえええぇぇええぇぇッ!」

 墓地の塀を飛び越えて赤松は走る。墓石を飛び蹴りで倒す。白い人影を殴る。全て壊すつもりだった。全部台無しにしたかった。何もかも自暴自棄だった。

 墓石を蹴り倒した感覚は正しく「墓石を蹴り倒した」感覚だったが、人影を殴った感覚は「人間を殴った」感覚だった。それが人生で一番素晴らしい感覚なのだと赤松は思い、喜びに胸を震わせ、哄笑を上げながら人影を殴り、蹴り、引き裂いた。彼等は赤松に殴られると黒い靄となって消えていった。

 赤松はそれを「幽霊」だとは思わなかった。幽霊であるならば、心を病んで死んだ母親の姿が見えないのはおかしかった。

 彼と兄弟達の母親は、赤松が中学一年生の時に自殺した。自分を産んだ女から愛情を向けられたことなど一度も無かった。だから悲しみを覚えることは無く、清々した気分だった。

死んだ母親が彼の前に現れることは無かった。赤松自身も期待などしていなかった。

「俺、人間じゃねぇのかな。血の色だけが同じ、赤いだけの、別の生き物なんじゃねぇのかな」

 夜中の静寂に満たされた墓場にひとり立っている赤松はそんなことを呟いて、世界と自分を呪いたくて堪らなくなった。



 赤松は中学を卒業してすぐにでも家を出るつもりだった。父親を含む家族が大嫌いだった。このまま家で暮らし続けるくらいだったら死んだほうがマシだと思っていた。義務教育を終えてやるのだから好きに生きていきたかった。路上で野垂れ死んでも構わないと思っていた。

 今日も学校から帰ってすぐに鞄を自室に放り、台所に置いてある、生活費が十分過ぎるほど入れられた共用の財布から金を抜く。子供達の小遣いもこの財布に入れられていた。今日から夏休みが始まる。暫く家に帰らずに済む。

 勝手口から出て行こうとしたところで、弟に見つかった。弟の青沼はいつも通りの顔をして赤松を見ていた。

「赤松」

「なんだよ、止めんのかよ」

「今日、お前の担任が電話を掛けて寄越した。『もう三年生になるのに高校を受験する気が無い』と」

「悪いかよ。高校なんか行かねぇし、こんな家出て行ってやる。お前もさっさと出て行った方が良いぜ」

「行く当てはあるのか?」

「ねぇよそんなもん」

 青沼は呆れたような顔をした。

「計画性を持て。なんでそう考え無しなんだお前は」

 四つ下の弟にそう宥められて赤松は頭に来る。

「なんでテメェはいつもいつもそうスカしてやがんだ、頭に来るぜ」

「気が合うな。私もお前の脳味噌の足りてなさに腹が立つ」

 カッとなった赤松が青沼の胸倉を掴む。その瞬間、青沼は手近にあった醤油の一升瓶を掴み、即座にシンクの縁に叩き付けて割り、赤松の顔面に向かって振り下ろした。瞬きの間に殺しに掛かってきた弟に驚いて赤松は手を離した。顔に鋭い痛みが走り、熱い何かが頬を伝う。血だった。

 小学生の弟に凶器を突き付けられて赤松は怒鳴る。

「危ねぇだろうが!」

「先にお前が手を出した」

「限度ってモンを弁えろイカレ野郎!」

 「痛ェなクソ」と悪態を吐いて、赤松は傷を手で覆う。傷は左の眉を裂いている。青沼は気が済んだのか、割れた瓶をシンクに投げ込む。耳障りな音がした。

 弟は何事も無かったかのように話し出した。

「多分、お父さんが心配する。そういうのは駄目だ。面倒が多い」

「知らねーよ」

「知らねーよ、で通るか馬鹿。せめて『親戚の家に下宿させてもらって高校に通うことにした』ぐらいにしろ」

「お前の指図は受けねぇ」

 兄の言葉を聞いて青沼は溜息を吐き出しながら、シンクの中に捨てた瓶を再び掴む。赤松は「だからそれやめろよ!」と叫ぶ。諦めて彼は弟に言った。

「とりあえず先に病院行くわ」

「保険証持って行けよ」


 結局、赤松は中学三年生の途中から県を一つ跨いだところにある親戚の家に下宿することになった。殆ど連絡を取り合っていなかった親戚の家だった。

 赤松は家を出る資金を作るために夏休みのアルバイトを探していた。彼は体格が良かったので、年齢を詐称すれば構わないと思っていた。そして読んでいたタウンワークで「国定」という名字が社名に入った解体業の広告を見つけた。もしかして、と応募してみると父親の従兄弟が経営している会社だった。赤松にとっては叔従父になる。面接の際「バイトしなくても小遣いはもらってんだろ?」と言うので、赤松は正直に理由を話した。「家を出たい」という彼の希望を聞いて、叔従父はそれまで殆ど親交が無かった赤松を雇うことにした。赤松は夏の間、叔従父の家に住み込みで働かせてもらえることになった。

 二週間ほど生活を共にした頃、叔従父に進学を奨められた。

「このままウチで働いて欲しいから土木系のある高校行かない? 費用出すぞ?」

 親父の血筋は全員金の使い方が変なのだろうか、と赤松は思った。流石に今回ばかりは死ぬほど嫌いな父親に連絡した。叔従父が話した進路先について伝えた。すると父親はいつものように、無関心に言った。

「お前がそれで良いなら、こっちでお金を出すから下宿させてもらいなさい。お前は、家にいたくないんだものな」

 赤松はその言い草に怒鳴りそうになった。それでもどうにか堪えた。「全部テメェのせいだろうが」という恨み言を、どうにか飲み込んだ。


 赤松が父親を嫌うのは、父親の性質が気に入らないからだ。父親は悪い人間ではない。他者へ施す慈悲があり、誰でもその手を取って救ってやりたいと思っている。だがその中に「家族」は含まれていない。父親にとって優先すべき相手は他者なのだ。家族ではない。赤松はその性質が気に入らない。父親のせいで母親以下家族は頭を病んでいる。自分もそうだ。破壊衝動に毎日苛まれている。

 家族が駄目になっても父親は「困った」という反応しかしない。殺してやりたくなる。だから父親が嫌いだ。父親を赦す家族が嫌いだ。その最たる青沼が嫌いだ。



 父親の許可が下りたので、赤松は無事に叔従父の家で暮らすことになった。夏休みが終わった後は学校まで従業員が現場に向かうついでに途中まで乗せていってくれた。

 叔従父の家族は転がり込んだ彼にとても優しかった。叔従父には妻と「禮猩」という名前の娘がいた。家族は彼女を「リセ」と呼んでいたので赤松もそれに倣った。リセは小学校中学年で、思春期間近のただでさえ気難しい時期が始まるはずなのに、赤松によく懐いた。リセは礼儀正しい娘だったが、「お金持ちのお嬢様」というより「ヤクザのお嬢」という雰囲気の少女だった。社員によく「今日は機関銃お持ちじゃないんですか?」と揶揄われていた。父親はそれを聞いて笑っていて、事務職を担当している母親は「ショートも似合うよきっと」と微笑んだ。

 こういうのがきっと「普通の家庭なのだろう」と赤松は憧憬を抱いた。そんな赤松に、リセは兄弟のように接していた。

「セキショーくん、高校受験頑張れよー。ウチは人手不足なんだからさ」

「りっちゃんはオヤジさん想いなんだなぁ」

「違うよ。自分の寝床は確保しておきたいんだよ。セキショーくんは舗道とかで寝られる人?」

「おう、全然寝られるぜ。小学校ン時に段ボールと新聞紙で家作るオッサンに弟子入りした」

「信じらんねぇ。私は屋根と布団が欲しい。あと布団乾燥機」

 赤松は思わず笑ってしまった。俗物的にも程がある。彼女の幸せは自分の家があることなのだろう。赤松の持ち得ない感情だった。リセは笑う彼に膨れ面をする。

「笑ってんなよー。あ、まだ欲しいモノあるわ」

「まだあるのか。風呂?」

「セキショーくんだよ。私の寝床にいれば完璧だな」

 その言葉に、赤松は思わずビクリとしてしまった。あまりにも少女が真っ直ぐな瞳で彼を見て、言葉を向けるものだから、心臓が変な跳ね方をした。だから「オヤジさんに殺されちまうぜ、俺」と言葉を濁して赤松は逃げた。



 高校に進学した赤松は、今度は教師に奨められて大学にも行き、そして叔従父の会社に就職した。彼が高校に入学した頃からリセの好意は色合いを変えた。リセは昼食の弁当を作って彼に持たせたり、休みになれば二人きりで出掛けたいと言い出したり。赤松も彼女のことを憎からず想っているが、流石に世話になっている家の一人娘に手を出すのは勇気が必要だった。

 リセの言い寄られるままに、彼女の好意を無碍に出来ないために、気付けば赤松とリセは親公認の交際をしている仲ということになった。

 赤松が就職し、国家資格を幾つか取り、取引先から表彰を度々受けてキャリアを積んだ。そんな時に、リセから唐突に「結婚しよっか!」と言われた。リセは卒業を控えた美しい女子大生になっていた。

 卓袱台の上に並んだ家庭的な夕餉を中心に、四人の食卓で夕飯を囲んでいた。隣に座っていたリセから唐突にプロポーズを受けて赤松は噎せた。赤松は彼女の両親を気にしながら宥めた。

「唐突過ぎない? なぁりっちゃん、もうちょっとよく考えなよ」

「うるせぇー! 私との結婚に文句あんのかー!?」

 リセは成人してから父親と毎晩晩酌している。酷いことに彼女は酒癖が悪く、怒るとすぐに手が出る。デートの誘いを断ればビンタされ、某有名テーマパークでの記念撮影時に要求されたキスを拒否すれば殴られた。この時も赤松はリセに頬を引っ叩かれた。あまりに力が強くて赤松は思わず床に倒れた。口の中で血と焼いた鯖の脂が混ざる。

 それまで穏やかとは言えない顔でビールを啜っていた叔従父が娘の暴力を咎める。

「コラ! すぐ殴るなリセ! お父さんは結婚に反対しないが、お前の馬鹿力で殴ったら赤松が死んじまうだろうが!」

 母親も父親に賛同する。

「お父さんの言う通りよリセちゃん。力加減を考えなさい。婿養子を殺しちゃ駄目よ」

 赤松は地面に倒れたまま「何故か結婚する方向に話が固まっている」と思った。どうにか起き上がり、赤松は「いやあの」と口を挟んだ。

「オヤジさん達も、もうちょっと考えてくださいよ。大事な一人娘の結婚相手ッスよ?」

「赤松テメェ俺の娘じゃ不服だってかァ!?」

「そんなこと言ってねぇですって!」

「赤松くんが婿に来てくれると嬉しいんだけど。ほら、リセちゃんすぐ手が出るから頑丈なのが良くって」

「俺は家電か何かですか!?」

 ドン、とリセがグラスを卓に置く。

「なんだよセキショーくん、私との結婚に文句でもあんのか? あ?」

 凄み方がヤクザなんだよなぁ、と赤松はしみじみ思う。それから佇まいを正した。

「俺じゃ駄目なんだよりっちゃん。つかまだ女子大生なんだし」

「歳は関係ないじゃん。私がしたいっつってんだよ」

「お、俺以外にしなって。俺みたいなんじゃなくてさ、りっちゃんのこと幸せにしてくれる人と結婚しなよ」

 赤松が言い終えた途端、もう一発ビンタが飛んできた。彼の視界に星が飛ぶ。父母が諫めるのも聞かずにリセは倒れた赤松を殴る。何度も殴る。

「私はッ! セキショーくんとッ! 結婚したらッ! 幸せッ! なんだよッ!」

 ドスドスと重い音を響かせて、リセは握った拳で赤松を殴る。

「グヘッ! いや、俺、グッ! ま、マトモに、育たなかったから、グェッ! だ、だめなんだよ、な、殴んのやめて!」

「うるせー! 結婚すんぞ! 幸せにしてやっからな!」

 馬鹿みたいな啖呵を切るリセがなんだか格好良く見えて、赤松は「こういうところが好きだなぁ」と思った。「幸せにしてやる」と彼女が言うのだから、その誘いにちょっと乗ってみるのも良いかも知れない。このままリセと一緒になれば、まともな人間になれるかも知れない。それとは別に普通に痛いから殴るのをやめて欲しい。

「す、する! 結婚するから、殴んのやめて!」

 そんなわけで、赤松は妹のように思っていたリセと結婚することになった。赤松が「せめて会社でもう少し偉くなったら」と言ったところ、叔従父は「じゃあお前来年社長やれよ」と言われた。退路は無かった。叔従父がまだ現役の間に無茶苦茶な人事をされても困る。だがどうしようも無かった。



 赤松は結婚式に自分の家族を呼ばなかった。電話で弟に「結婚すっから。そんだけ。親父には縁切られても構わねぇって言っといてくれ」と伝えた。青沼は「そうか」とだけ答えて、通話が終わった。

 結婚式を終えて、帰宅後にリセの父親と二人きりで酒を飲んでいた。母娘は先に就寝してしまった。叔従父は何気無しにぽつぽつと語り始めた。

「後出しジャンケンみてぇで悪いんだけどさ、ウチの娘、つーか嫁の血だな、ちょっとワケ有りなんだわ」

「わ、ワケ有りですか」

「犬神憑き、の亜種だな。全部自分の思い通りになるんだ。俺も赤松みたいな結婚の仕方したんだぞ」

 恐ろしいことを言われているのだと、赤松は思った。だが今更リセから逃げられるとは到底思えなかった。

 赤松は自分の稼ぎで家を建て、リセと共に暮らし始めた。相変わらずリセは暴力的だったが赤松は許容していた。リセとの暮らしはつまらないメロドラマに出てくるような、円満な家庭のようで、赤松には暖かい日々だった。相変わらず何でも良いから壊したいし、誰かを殺したい。だがリセにはそう思わない。リセが怖いからだ。殺せる気が全くしない。だから赤松はリセと結婚して良かったのだと思った。



 結婚して数年が経ち、リセがまた夕飯の席で爆弾を落とした。

「子供作ろっか!」

 赤松はその晩の食卓に並んでいた生姜焼きと白米を噴き出した。ゲホゲホと咳き込んで、赤松はリセに問い直した。

「こ、子供ぉ? い、いや、あの」

「あ?」

 リセがすかさず圧を掛けてくる。赤松は慌てて言い訳する。

「む、無理だって! ホント、俺、子供の世話できねーよ! 愛情のかけ方も、されてねぇから、分かんねぇし」

「うるせぇー!」

 妻の鉄拳が飛んできた。

「り、りっちゃん痛ェよ、殴んないでくれよ」

 殴られた頬を押さえて赤松は懇願する。酒を飲んでいないリセは識者のような面持ちで腕組みする。

「セキショーくん、変なところで自己嫌悪するよね。大丈夫だよ。何故なら私がセキショーくんの妻だから」

「なんなのその根拠の無い自信」

「お父さんとお母さんに愛されて育った女がセキショーくんの嫁なんだから、セキショーくんは私の真似してれば良いよ。子供を無視したり殴ったりしなきゃ、ひとまず人の親としては多分許されるよ」

 赤松は「雑な考え方だなぁ」と思い、リセを羨んだ。両親からの愛情を認知できる妻が、赤松は素直に羨ましかった。

 気を取り直して赤松はリセに言った。

「も、もうちょっとよく考えようぜ。人の人生を左右する立場になるわけなんだしさ」

「考えてんじゃん。私もセキショーくんも」

 リセはそう言って台所へと向かい、晩酌用に買った清酒の一升瓶とコップを持って現れた。

「よし、吞むか!」

「えっ」

「私の酒が呑めねぇってか!」

「早いんだよ怒りの着火が! チャッカマンかよ!」

「アァッ!? 良いから吞め!」

 そうして赤松はリセにしこたま酒を吞まされた。赤松は気絶した。妻の妊娠が発覚したのはそれから二月後だった。「死にてぇ」というのが赤松の最初のリアクションで、即座にリセにブン殴られた。

 赤松は予期せぬ形で人の親となり、伴侶に教えられながら生まれた子供に愛情を与えてみた。生まれたのはやはり娘で、「犲緋」とリセが名付けた。女の子にしては厳つい名前だが、妻が良ければ良いのだろうと赤松は思った。「さっちゃーん」と彼が抱いて呼べば嬰児は笑う。例え猿真似でも、自分から娘へ、愛情が伝わっているのだと赤松は信じることにした。


 赤松は家庭を持ってやはり思うのだ。自分の父親を殺してやりたいくらい嫌いだと。








5話 完



「悼む色は赤」完結




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悼む色は赤 十二月三十一日 十三 @nicola731

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