第22話 葛藤

 その夜、真剣な表情のバズがムネチカの部屋へやってきた。

「わるいな。何があったのか知らないが、モイラの強い希望だ。おまえには一か月やる。そのあいだに次のフラットを見つけて、出て行ってくれ」

 ムネチカはあっけにとられて、言葉に詰まった。

「おれにもよくわからないが。あんなに暗いあいつを見るのは初めてだよ。腹を刺された時でさえ、ハッピーだったのにな」


 ハイドパークでの口論以来、ムネチカとモイラの接点はなくなった。もちろん、キッチンや廊下で顔をあわすことはあるが、唐突に、なんの気遣いもなしに、ムネチカの部屋の扉をあけるようなことは完全になくなった。

 ムネチカは、徐々にドラッグに手を出さなくなった。

 恐怖がそうさせたといっていい。

 ドラッグのせいでリストカットをしなくなったのかもしれない。しかし、ドラッグのせいで人間関係が崩れようとしているのも確かだった。

 幸運にも、ケタミンは依存性の低いドラッグだったので、禁断症状も体験せずに済んだ。そして、煙草やアルコールのほうが、よっぽど止めづらい、ということを知った。

 同じころから、スクアットパーティやウィルアックスのところにも行かなくなった。

 一度、学校から帰宅したとき、仕事前のモイラと階段でばったりはち合わせたことがあった。モイラの目は焦点があっておらず、真夏でもないのに汗をかき、おぼつかない足取りで壁にぶつかりながら歩いていた。相当量のケタミンを摂取しているようだった。

 そんなモイラを見ても、ムネチカは「おはよう」ということば以外、何もいわなかった。

 しかし本当は、さけび出したいくらいに孤独を感じていた。それでも、ドラッグをやって部屋にひとり閉じこもっているよりは、腕を刃物で切り裂いて悦に入るよりは、このクソッタレな孤独と共に生きるほうが、よっぽどマシだと心底おもっていた。

 だからバイトのない日は、シラフで学校へ行き、語学を学んだ。今は将来なんて、どうでもよかった。ただ、同じ日々を繰り返して、生きることだけを考えた。

 モイラはどうなのだろう。今日も客を相手に愛の存在を実感しようとしているのだろうか。


 二週間が経ったある日、ムネチカは、キッチンで食事をしているバズに、

「次のフラットは探さない。ぼくは日本へ帰る」

と、伝えた。

 バズはさほど驚いた様子もなく、

「じゃあフェアウェルパーティ(送別会)をしなくちゃな」

と、いった。

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