第21話 風

 モイラとムネチカはナイトブリッジをシラフで歩いていた。それは珍しいことだった。二人で出かけるときは、たいてい出発前にひとライン吸ってから出かけるのが習慣になっていた。

 高級品を扱う店舗が軒を連ねる通りには、さまざまな国の言語が飛び交い、人々でごった返している。

 二人はそこからハイドパークへ向かうことにした。

 バス停の前のカフェでカプチーノを二つ買い、公園内を散策する。

 やがて水鳥たちが羽根を休める細長い池のほとりまで来たとき、唐突にムネチカが言った。

「身体を売るの、やめない?」

 前を歩いていたモイラが、きょとんとした顔で振り返った。

「なんで?」

 ムネチカは、真剣に、ゆっくりと問いかけた。

「またエイプリルみたいな人が出てきて、刺されちゃったりしたらどうするの」

「あたしにだって学習能力はあるの。もうあんな下手はうたない」そういって、モイラは風を吸い込むように、グンと伸びをした。まるでそんな事件などなかったかのように。

 ムネチカは深刻な口調で、

「またキーモが守ってくれる?彼にそこまで重荷を背負わせてまでやること?」

と、詰め寄った。

 モイラは足元に伸びた長い影を蹴った。すねた子供のように、こちらを見ようともしない。

「モイラはわかってないよ。みんながどれだけ心配したか」

「ずるいよ、そんなこというなんて」モイラは伏し目がちに、哀しそうな顔をした。

「ぼくら友達なんでしょ?」

 モイラは黙った。

「友達がお願いしてるんだ」

 モイラはすっかりうつむいてしまった。

「これがモイラのいう、人生を楽しむっていうことなの?」

 モイラの瞳が追い詰められた小動物のように光った。そしてぎろりとムネチカを見た。

「あたし、ぜんっぜん傷つかないんだよ?得意なことして生きてるだけじゃん。何がいけないわけ?」

 ムネチカは小さな、小さな声で、

「ぼくが嫌なんだ」

 と応えた。

「モイラはぼくのこと、どう思う?ほんとうに友達だと思う?」

 ムネチカの声はだんだんと大きくなり、

「それなら僕の言うことも聞いてよ!」と、大声でわめいた。

「でかい声ださないでよ」モイラが冷たくいった。

 ジョギングしている人や、ベンチに座る老人たちの目が一斉に二人へ注がれる。

 モイラが歩き出した。

 ムネチカは速足でそのあとを追った。

「キーモから聞いたんだ。モイラは愛が理解できないって。だから身体を売るんだって。そんなのぼくのリストカットと同じじゃないか」

 モイラはムネチカの言葉を振り払うようにして歩き続けた。

「ぼくは、将来、っていう、見えないものに対して怯えていたんだ。それでリストカットがやめられなかった。きみは愛に対して怯えているんだ!」

 ムネチカがモイラの腕をぎゅっと掴んだ。

 モイラはその手を払いのけようともがくが、ムネチカは離さない。

「世界は変えられるっていったのは、モイラじゃないか!」

「うるさい」

「モイラだって、自分の世界を変えられるんだよ」

「うるさい!」

 そう吐き捨てるなり、モイラはムネチカの手に噛みついた。

思わず手を引っ込めるムネチカを置き去りにして、モイラは大通りまで走っていくと、そのままタクシーに飛び乗り、黄昏れの街へと消えていった。

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