第12話 ショップリフター

「ムネチカ、あたしタトゥ入れたい」

 唐突にモイラが部屋に入ってきた。

 今日も瞳孔が開いている。

 すでになんらかのドラッグを吸っているらしい。

「今から?」

「うん、今から」

「なんで今なの?」ムネチカには語学学校の課題が残っている。

「あたし、タトゥ入れたーい」モイラがムネチカの背中に抱きついてきた。

「さっき聞きました」

「入れたい、入れたい!」モイラが駄々をこねる。

「よく知りませんけど、そういうのってもっとよく考えてから決断するものじゃないんですか?」

「あのねー、人生に大切なのは、ノリと金なの、キミには全部欠けているー」

 モイラの台詞と体重に耐えきれずに、ムネチカは机に突っ伏した。

(うーん)

 もちろんムネチカにとって、タトゥスタジオは初めての経験だし、興味が無いこともない。 

「ゲロ動画ネットにさらされたくなかったら言うこときけ」

 脅迫するモイラ。

 はぁ、とため息をつき、ムネチカはペンを置いた。

(ついて行くだけなら、まあいいか)


 日曜の午後、二人はそろってフラットを出た。

 ホロウェイロードまでバスで向かう。

 途中、窓からテントウムシが一匹、迷い込んできて、前のシートの背もたれに止まった。

「お、幸先いいじゃん」モイラは小さな乱入者を指先に乗せて、スマホで写メを撮った。


 タトゥショップには誰もいなかった。

 カウンターのベルを鳴らし、待っていると、奥からすらりとしたベリーショートの女が現れた。

 モイラがタトゥを彫りたい箇所を話すと、女はカルテのような用紙を出してきた。

 それにモイラが記入している間、ムネチカは壁に飾られたタトゥデザインを見て歩いた。

 花やドクロ、ライオン、エキゾチックな女性の肖像画など、多種多様な絵が飾られている。どれも写真と見間違えそうなほどに精密に描かれている。

 店内にはシトラス系のスパイシーな香りが漂い、オリジナルのロゴがプリントされた洋服や、ボディピアスも売られていた。

 モイラが「三十分ほど待つってさ」と言いながらやってきたのでムネチカは「うん」とうなずいた。


 二人とも何も話さずに数十分が過ぎた。その間、モイラは一度トイレへ行き、ドラッグを吸って帰ってきた。暇つぶしにラリっているようだ。

 四十分が過ぎようとした頃、モイラは急に立ち上がり、店内の洋服を物色し出した。

 そしておもむろにTシャツをハンガーからはずすと鞄の中に突っ込み、何も言わずに店を出て行ってしまった。

 呆気にとられていたムネチカは、急いで後を追った。

「アイツら、はなから彫る気なんてなかったのよ。なのにあんなに長いこと待たせやがって」モイラはヘラヘラと笑った。

 ムネチカは笑わなかった。

 店の壁には、酔っぱらいの来店を断る旨の貼り紙があった。

 ましてや、見るからにラリっている客なんて相手にしたくなかったのだろう。


 翌日、ムネチカが学校から帰ると、フラットの玄関の扉のど真ん中に、派手なピンク色の貼り紙があった。

 そこには、怒りのこもった荒々しい文字で、

「カルマは存在する。このジャンキーなTシャツ泥棒め!」と書かれていた。

 ラリっていたモイラは、どうやらカルテに住所を書き込んでいたらしい。

 ムネチカはすぐにそれを剥がし、モイラの部屋の扉をノックした。

「あいてるよー」

 扉を開けると、ほろ苦いマリファナの匂いが鼻をつく。

 モイラは昨日盗んだTシャツを着て、マットレスの上であぐらをかいていた。

目がうつろだ。

 オーバーサイズのドクロ模様のティーシャツを着ている。

「だっさいよね、これ」悪びれる様子もなく、モイラが笑った。

(たしかにダサい。全く似合っていない。こんな物のために、カルマを背負い込むんだ)

 ムネチカは肩を落とした。

「なんでモイラはドラッグをやめられないの」

 モイラは口の端をちょっと上げて、

「動物園にキリンやライオンがいなきゃ、ただの公園でしょ」と微笑んだ。

「意味がわかんない」

「ふん、じぶんもやったくせに。楽しかったくせに」

 モイラはテーブルの上の手鏡に、小さじ一杯ほどの白い粉を乗せ、カードで細かく刻み始めた。

「きっと、あたしたちの祖先は満点の星の下で、轟々と火を焚いて、その周りをぐるぐると回りながらダンスをしてたんだよ」

「だから?」正面の椅子に腰をおろしながらムネチカが訊いた。

「わかんないかなぁ。この街じゃ星なんて見えないじゃん」

「うん」

「だからVJがいて、照明がある。そして、動物の皮を張った太鼓や、大勢の雄叫びの代わりにテクノミュージックがあるわけ。でも、それさえも所詮は自然界の真似事でしょ?だからドラッグが橋渡し役として、活躍するんじゃん。太古の自然と、進化したあたしたちを繋ぐのがドラッグなんだよ」

 束の間、不思議な静寂が部屋をつつんだ。

「わお」モイラは驚いて目を見ひらいた。

「いまあたし、ヤバくなかった?」

 喋りながらも、カードを器用に使い、白いラインを二本ひく。

 そして一本の線をストローで吸い込むと、「ボナペティ」といってムネチカへ残りを差し出した。

「今日はパーティじゃないのになんでドラッグを?」呆れ顔のムネチカがストローを受け取った。

「大海に水がなかったら、ただの砂漠じゃん」モイラはニヤりと笑うと、ムネチカが吸いきるのを嬉しそうに眺めた。

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