第2話 小1の七夕のこと
突然だが私の地元には、その年入学した小学一年生の児童のいる家庭には笹が配られ、飾りつけをするという謎の習慣があった。
どこから笹が配られていたんだろう。市からかもしれないし、自治会からかもしれないし、小学校の校区からかもしれなかった。
七夕の笹、で私の記憶に残っている一番古いもの。
自宅のダイニングテーブル(というほど洒落たものではない。今から45年ほど昔の話だし)で母が両肘をついて、手で顔を覆っている。泣いているのだ。
短冊に書かれた母の文字。「はやくお父さんが帰ってきますように」
祖母も居たはずだし、四つ違いの兄も居たはずなのに、私の記憶の中では、私と母の二人しかいなかった。
向き合って座って、母が泣いている。短冊の文字。薄暗い部屋。細い黒のマジック。
タネを明かすと単純で、当時両親は別居していたのだった。
父と母と私と兄の四人家族。自分の両親と兄家族と同居していたらしいのだけれど、折り合いが合わず、まず母が子供二人を連れて実家に戻ることになった。父のことは置いていくつもりだったらしい。
学生時代から地元では結構有名なやんちゃだった父は、あまり家庭を顧みることはしなかったらしい。当時のことを話すと、やっぱり母は今でも泣いてしまう。
生活費もくれたりくれなかったりで、やっとお金が入ったら即、粉ミルクを買いに走ったものだ、とか、娘(つまり私)の初節句に用立てたお雛様用のお金も使い込まれた、だとか。
実家に帰ると宣言した母に姑である父の母親は、「出ていくのはいいが連れていけ」と言ったという。来るわけないわ、と思っていたのだが予想外にも父は母について母の実家にやってきたという。
まぁ予想通りというか、その後も母の母親との同居が苦痛だったんだろう、父は家に帰ってこなくなった。
同じ会社の若い女性と一緒に暮らしていたらしい。
小学校三年の頃くらいまで、どの家庭でも父親というものは仕事が忙しく、年に数回帰ってきて、顔を合わせる程度の存在であると信じていた。
どうして小三だったかというと、そのころ祖母が入院したか亡くなったかで、父がちゃんと家に帰ってくるようになったからだった。
ああ、それでも私は父が好きだったのだ。
一緒にお風呂にも入った。小学校の入学前に一緒に机を買いに行った。
一度だけ、父親参観にも来てくれた。家に泊まっていくことはなかったけれど。
しかし、私の記憶には物騒なものも残っている。私より四つ上の兄は頭がよく、母親思いの子供だった。帰ってこない夫に見切りをつけ、子供二人を置いて身を粉にして働く母を、大切に思っていた。
兄が、怒り狂った父に包丁を突き付けられながら追いかけられている小学生の頃の記憶があるので、今思うと家庭に戻ってこない(わりには父親面をする)父に何か言ったのだと思う。そのくらいはする兄だった。
ある日、それは突然やってきた。
私が中学三年のことだった。
あ、私は父親に捨てられていたんだ。
突然の意識改革だった。何か具体的なことがあったわけではない。
能天気な私は、たまにしか家に帰ってこないことも、拉致するように私と兄を家から連れ出し散々連れまわし、家の前にぽいっと置かれても、それで泣いて激怒した母にぶたれても、家の前に不審な女性がずーっと立っていて、あなたのお父さんにプレゼントをもらったのよ、いつ帰ってくるのか知ってる?と聞かれても、何もわからず、父が好きだった。
なのにいきなり、あ、私は父の人生に必要な存在ではなかった、と自覚してしまった。
母と兄と私。それよりも、ほかの女の人の方が大切だったんだ。その人とすごす時間を選択したんだ、私は、必要とされてなかった。血のつながった実の父親に、必要とされていなかった、と唐突に理解してしまった。
そこから延々と続く、今現在も続く、長い長い反抗期の始まりだった。
父が、泣いた @waka32
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。父が、泣いたの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます