終曲『汚れた旋律、綺麗な夢』

 ああ。

 尖った牙を、擂り潰すような音色が聴こえます。

 吐き戻しそうな感情を、煮えたぎった酸で跡形もなく溶かすように。怒りを、悲しみを、引き裂きたいのを耐える弓鳴り。望みを絶たれた願いの末路に、瞳を閉ざし咽び泣く重鳴り。

 それが今の貴方の波形ですか。

「…はい!もう、本当に素晴らしいですよね!」

「これでこの若さですからね。音楽に明るくない我々でも、将来が楽しみな人材の一人です」

「我々って一緒にしないでくださいよ!」

「『ははは…』」

「ではビシッと、ご感想を」

「えー、ええ。言葉に表せない、実に美しい演奏でした!」

「『はっは…』」

「…はい!以上、若き天才ヴァイオリニスト神波玲多かんなみれいた復活の話題で」


 誰かがテレビを消しました。


 そんな音で、わたしに何を語りかけようとしてくださったのでしょう。

 或いは何を乞うていらっしゃったのでしょう。

 何も悪くありません。誰も責めてはいけません。


 ひび割れたポリフォニーは、どのみちもう、壊れてしまうしかなかったのです。


「…」

 わたしの中に、鳴り始めた旋律は。

 誰もいない場所まで歩いて来た、孤独なか細い波形でした。

 そしてわたしはまた、深い眠りに耽りましょう。


 どうか最後の歌だけは、嘘でもいい、綺麗な夢でありますように。

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ポリフォニーはひび割れて 美木 いち佳 @mikill

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