決裂

 目が覚めたとき、おれはむせかえるような草いきれのなか、仰向けに倒れていた。

 目の前には澄んだ青空が広がっており、所々にぽっかりと白い雲が浮かんでいた。

 テレビなんかではよく見る光景だったが、実際に見るのは初めてのような気がする。


「ずっと都会に住んでいたからな……」


 おれの言葉に反応したかのように、黒い影が視界を遮った。


「あ、目が覚めた?」


 聞き覚えのある声……


「……大丈夫? 気持ち悪くない?」


 声の主が、心配気に聞いてくる。


「ヒューリー……」


 そうだ……魔法陣に飲み込まれて……

 ってことは!?

 ガバッ

 見渡す限りの平原……


「ちょ、ちょっと、急に起きあがらないでよ!」


 慌てて飛び退いたヒューリーが、膨れっ面で戻ってくる。


「………」


「なによ、惚けた顔しちゃって」


「……ほんとに来ちまったのか……?」


「そうですよ、勇者様」


 ヒューリーがわざとらしく、おおぎょうなお辞儀をする。


「ど、どうすんだよ! 明日は大事な面接があったんだぞ!」


「てててて、ちょ、ちょっと手を離してよ、苦しいじゃない!」


「離せじゃない! 今すぐおれを元の世界に戻せ!」


「む、無茶言わないでよ! このままあなたを帰したら、この世界が滅んじゃうじゃないの!」


「安心しろ、おれがいなくなって滅ぶくらいの世界なら、おれがいたところで大して変わらん、そんな世界は遅かれ早かれ確実に滅ぶ!」


「だ、断言しないでよ!」


「い~や、間違いなく滅ぶ。絶対滅ぶ。文字通り絶滅ってやつだ。そんな世界に勇者なんていらないだろう」


「じょ、冗談じゃないわよ! なんの為にあなたを連れてきたと思ってるのよ!? あなたが勇者としての仕事を全うすれば世界は滅びたりしないわ!!」


「そんなの知るか! 第一、おれにどんなメリットがあるって言うんだ!?」


「メ、メリット……?」


「この世界を救うことによって、おれはどんな利益を得ることが出来るのかと聞いたんだ」


「そ、そんなのあるわけ無いじゃない! あなた勇者なのよ!? 勇者は見返りを求めたりしないもんだわ!!」


「このご時世にどんな酔狂がそんなまねする!?」


「酔狂も頓狂も無いわよ! 勇者は昔からそういうものなの!!」


「冗談じゃない! 見返りもなしに、そんなアホなまね出来るか!? 今すぐおれを元の世界に戻せ!!」


「もとに戻ってどうしようってのよ!? 一縷の希望にすがって面接受けて、それで落ちたらどうするのよ!? こっちで勇者になって、みんなに感謝される生き方のほうが百倍ましでしょ!!」


 こ、こいつ……


「あ……」


 おれはヒューリーに背を向け、歩き出した。行き先なんか分からない。でもあんな奴とは一分でも同じ場の空気を吸うのは嫌だった。

 背後から、慌てた羽音がついてくる。


「ご、ごめん…、ちょっと言い過ぎたわ」


「………」


「ねぇ、ごめんったら」


「付いてくるな!!」


 おれは振り返らずに怒鳴った。

 怯むような気配と同時に羽音の移動が止まった。

 そして、それ以上後を追ってこなかった。





 そろそろ夕闇が近づいてくるという時刻、おれは広大な湿地帯にいた。

 なんの事はない。ヒューリーと別れてからまっすぐ歩いて来たらたどり着いただけだ。

 部屋から直に拉致られたため靴を履いておらず、流石に足の裏が痛かったので丁度良いと言えば丁度良い。ここで休むついでに足を冷やすことにしよう。

 背の高いブッシュが生い茂り、ぶよに似た昆虫(みたいなもの)が飛び回っている。澄んだ水面をアメンボに似た生き物が滑っており、その下には魚だかカエルだか分からないものが泳いでいた。


「……ほんとに異世界なんだな…………」


 そうつぶやいたおれの言葉を遮るように、何とも情けない唸り声が聞こえてきた。

 といっても危険な害獣の声では無い。

 おれの胃袋が空腹を訴えて来たのだ。

 この世界に来てからどれくらい気を失っていた分からないので正確なことは言えないが、少なくとも6時間は何も口にしていなかった。

 あのちびがいれば……

 そう考えておれは、思いっきり頭を振った。

 冗談じゃない!

 いまのこの境遇は全てあいつのせいじゃないか!!

 おれは手近にあった草をへし折り、それを水面に叩きつけた。

 ばしゃとしぶきがあがり、アメンボみたいのが飛び去っていく。


「ふん!」


 完璧なやつあたりだが、少しいらつきが収まった。


「にしても、腹減ったな……、食い物ねぇかな………」


 おれはざっとあたりを見回した。と言っても、背の高い水草のため、視界は良くない。せめて何か人工物でも見えれば良いのだが、生憎、この世界に来てから一度もそれらしいものを目撃していなかった。


「……なんも無いか………」


 そう呟いた途端、背後でガサッと音がした。

 慌てて振り向くと、そこには鼻の長いカバの様な生き物がこちらを凝視していた。目が小さく温厚そうなのだが、足の短いアフリカ象並の質量を持っているようだ。

 おれは動きを止め(正確には動けなかったのだが)様子を伺う。

 変な生き物もおれとの遭遇は予期していなかったようで、つぶらな瞳でこちらを凝視したまま固まっている。

 さて、どうするか………、下手に刺激して暴れられるのも困るし、かといってこのまま固まっているわけにもいかない。

 なにか良い手はないものかと、目だけであたりを見回すが、これといって使えそうなものは無かった。

 ため息をついて視線を戻すと、変な生き物が、その長い鼻を高々と持ち上げていた。


「うわぁ!」


 おれが慌てて飛び退くと、ちょうどおれがいたところに、その長い鼻が叩きつけられた。


 おいおいおいおい! やばいぞ! こいつ、やる気まんまんじゃないか!?


 おれはとっさに退路を探す。四方をブッシュで囲われてはいるが、突っ切ろうと思えば出来無くもなさそうだ。


「よし!」


 冷静にそう判断したおれは、すぐさま行動に出ようとした。


「あれ? あ、足が……」


 どうやら自分で思っているほど図太い神経の持ち合わせは無いようだった。判断は冷静だったのだが、身体がついてこない。

 変な生き物は再び鼻を持ち上げる。

 

 しゃ、洒落にならん!

 

 おれは必死になって足に力を籠めるが、まるで他人の足の様に言う事を聞かない。 

 うなりを上げて振り降ろされる長い鼻に思わず目をつぶる。


 ブゥンッ!


 しかし、予想された衝撃は来ず、耳を掠めるような風切り音と地面を叩く強い音が聞こえた。

 

 外した……いや、外された?

 

 恐る恐る音のした方を見ると、地面に叩きつけられた長い鼻がゆっくりと持ち上げられるところだった。そして、その下に体液をまき散らし潰されたタガメの様な生き物が見えた。

 ハッとなってあたりを見回すと、そこら中にタガメもどきが這い回っている。

 その余りの多さと不気味さに、象カバの攻撃による恐怖とは別の怖気が全身を駆け巡った。

 不意に腰が砕け、足から力が抜ける。

 

 だめだ……倒れる……


 スローモーションで迫ってくる地面を眺めながら、脳内を子供の頃の思い出が駆け巡る。

 初めて幼稚園でケンカしたこと、おぼれた犬を助けようとして川に飛び込み、パニックを起こした犬に噛みつかれ一緒に流されたこと、鬼ごっこをしてて、塀の上によじ登って逃げようとして失敗し、電柱と塀の隙間にはまり込んで抜けられなくなったこと……

 これが走馬灯というやつだろうか……一説には、過去の経験から打開策を見つけようと脳がフル回転して記憶を漁ってるらしいが、役に立ちそうな記憶は見つからなかった……つか、過去の恥ばっかだ……

 そんなことをぼんやり考えてたら、不意に体が持ち上げられ、そのまま象だかカバだかわからん生き物の背に乗せられた。

 象カバは、鼻でおれを背中に押し付けたまま、どしんどしんとあたりを踏みつけて回る。


 あれ? もしかして助けてくれてるんだろうか?


 みるみるうちに辺りのタガメもどきを蹂躙した象カバは、パオ~ンと一鳴きした後、おもむろにオレを地面に降ろした。


「あ……えと…………ありがとう?」


 助けられたのかどうなのかイマイチ自信が持てず、とりあえず疑問形で礼を言ってみた。

 象カバはフンスと鼻息を搗くと、いきなりおれのジーンズを下に引っ張り始めた。


「や、ちょ、まっ、ええ!?」


 なにすんだこのっ、とか思いつつ必死でジーンズを押さえ、脱がされまいと抵抗する。

 しかし、象カバは手を(鼻を?)緩めることなく、ぐいぐいとジーンズを引き下げようとしてくる。

 いかれた妖精に拉致られた挙句、謎の生き物に(性的に)襲われるんなんざ、どんんだけ運が悪いんだ。しかし、これに関しては諦めて流されるという選択肢は無い。童貞で初めての相手が象の様なカバの様な何かだなんて、とてもじゃないが耐えられそうにない。

 おれが抵抗をやめないと気づいたのか、象カバは地団太を踏み鳴らし、ビタンビタンと長い鼻を地面に叩きつける。その勢いは先ほどのタガメもどきを叩き潰す勢いを遥かに凌駕し、思わずおれのゾウさんが縮み上がる。ちびらなかったのは僥倖と言えよう。

 象カバは座った目で、おれを見据えると、その長い鼻を目の前に突きつけ、そのまま鍵の字に曲げ地面を指す。

 まるで古い洋画の悪役が親指を地面に向けて死刑宣告をするかの様だ。

 しかし象カバは、そのポーズのまま動きを見せず、ただただ眼力を込めて無言の圧力をかけてくる。

 正直言ってわけがわからん。どうしろって言うんだ?

 おれが途方に暮れてると、象カバは鼻先を下に向けたまま、上下にゆする。その仕草はまるで下を見ろと言ってるようだった。

 おれとしてはこの生物から視線を外すのは怖かったものの、見つめあってても埒が明かないので、遅る遅る視線を下げてみた。

 見えたのは所狭しと踏みつぶされたタガメもどきの死骸。そして……


 象の足かと思われるくらいに腫れあがったおれの右足だった。


「なんだこりゃ!?」


 思わず声を上げつつ、ジーンズのすそを捲ろうとするも、腫れが酷すぎて微塵も捲れない。

 先ほどのやり取りも忘れ、ベルトを外しジーンズに手をかける。素早くふくらはぎまで降ろして、それに気づいた。

 青紫に変色したふくらはぎに、赤黒い点があった。まるで虫刺されの様に膨らんだそれを見て、おれは事情を悟った。

 知らぬ間にあのタガメもどきに刺されていたのだ。

 気づく前は平気だったのに、気づいた途端に全身に悪寒が走る。やたらに震えが出て歯の根も合わないくらいだ。そのくせ右足だけは火鉢に突っ込んだかの様に熱い。痛みは無いが、体に力が入らない。そして、そのまま尻もちをつく様に後に倒れてしまった。

 象カバはしたり顔で頷くと、その長い鼻でぽんぽんとおれの頭を叩いた。

 まるで、心配するなと安心させるかのように……

 最早抵抗する気力も体力も無く、象カバのするがままを黙って見ているしかなかった。

 象カバは鼻先を器用に使ってジーンズを引きはがすと、おもむろにオレの右足を咥え込んだ。

 流石にここまでくると食われるとも思えないが、如何せん右足に一切の感覚が無く、実は噛み千切られていても気づきようがない。

 なんだかどっと疲れが出て、それならそれで良いか、という気分になってくる。

 理想の死は、恐怖を感じことなく、気が付いたら死んでたというパターンだと思うのだが、心がマヒしてる現状で、しかも痛みが無いのなら、これはこれで上々かもしれない。

 おれはその場に横になると、オレンジから紫に変わりつつ空を眺め、そしてゆっくりと目を閉じた。



 就職したかったなぁ……


 










――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


あれこれ書き直ししてたら思ったよりも時間を取られました。

ストックはあと二話分くらいかな?

とりあえず、そこまではアップしようと思います。


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拉致られて異世界 芋窪Q作 @imokubo

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