拉致られて異世界
芋窪Q作
アパートの窓開きます
5月。
開け放たれた窓から、涼しい夜風が入り込んでいる。
日中はそうでも無いのだが、夜はまだ少し肌寒いこの季節。
おれは、目の前に積まれた段ボール箱を感慨深げに眺めていた。
蓋をしていない箱から覗く物は、丸められたまま一度も開かれる事の無かったポスター、作られなかったプラモデル、無意味に集められたトレーディングカードなどのキャラクターグッズの山々。
今のおれを形成する上で非常に重要だったアイテム達……
しかし、おれはそれらと決別しなければなかった。
5月という月は本来、真新しい背広に袖を通した社会人一年生が、理想と現実のギャップに気づかされる季節であり、社会の歯車に組み込まれるか、アウトローを気どって落ちこぼれていくかの選択を強いられる季節である。
この国の社会全体が不景気であり、飛び抜けて能力のある者、コネのある者以外に理不尽に厳しいという現実を噛みしめつつ、おれはそんな選択をする資格すら与えてもらえなかった……
そう、おれは就職出来なかったのだ。
不景気を理由にすることは可能だろう。だが、それを言い訳にするのは、すでにぼろぼろになった自尊心をさらに傷つける ことになる。
それに、なんとなくこうなってしまった理由がおれには分かっているのだから……
就職に適さなかった理由……いくつかあるその訳のなかでその最たるもの……それは、おれがオタクだということだろう。
そう、おれはオタクだった。はっきり、くっきり自覚しているのだが、おれはオタクだ。
別に、自虐的に自分を貶めている訳ではない。
事実なのだ。
今までおれは自分がオタクであるということによって、他者に不利益を与えた覚えは無い。
だが、今回、自分がオタクであるという事実により、初めて実害を受けた。
もちろん、全てのオタクが就職出来なかったわけでは無いだろう。オタクだからといって、彼ら(もちろんおれを含む)、すべてが要領が悪いなどと考えるのは浅はかというものだ。
オタクと言っても千差万別、要領のいい奴は、とことん要領がいいし、頭のいい奴は、下手に天才と騒がれる奴らよりも、よほど優秀だったりする。
優秀であるが故にこの道にはまってしまったという輩も、決して少なくないだろう。
まぁ、だからといって、自分が本当は優秀なのだ。などと、彼らにあやかった形でご託を述べようという訳でもないのだが……
おれは、オタクであるという事実を除いたら、いたって平凡だった。
いや、その事実を知ってしまったが故に、この道にはまってしまったといっても過言では無いだろう。
おれは平凡だった。
それは悲しいほどにリアルな事実だった。
しかも、おれはただ平凡だった訳ではない。平凡な上に無能だったのだ。
断っておくが、おれはマゾではない。自虐的に自分を貶めて悦に入るような精神構造は持ち合わせてはいない。これは、情けないことに事実だったのだ。
就職にも運、不運は存在するだろう。だが、おれはそれを理由とする事が出来ないほど、自分の無能ぶりを自覚していた。
だから、おれは、他のオタク諸氏と違って就職できなかったのだ。
とりあえず事実を事実として認めると、打開策が思い浮かぶ。それは決して凡人の思考限界を超えうるものでは無いのだが、それでも、今のおれに考えられる最高の答えであることに違いは無かった。人間、思いつかないことは実行できないのだ。
その答えとは……
それは、オタクをやめることだ。
客観的に見て、それが最上の答えとは言えないだろう。だが、無能な凡人のおれには、良いところを伸ばすすよりも、悪いところを矯正するほうがてっとり早いように思えたのだ。第一、おれには人より秀でたものなど、何一つ持ち合わせていないのだ。伸ばしたくても伸ばすべき長所が存在しなかった。
もともと、オタクという衣は、本来のおれのものではない。
こう言うと聞こえは悪いかもしれないが、オタクであるということは、おれがおれである場所を確保するための鎧でしか無かったのだ。
だが、その鎧故に、今回のような不都合を被る羽目にあってしまった。
本末転倒なのだが、おれは、その境遇から、早急に脱出せねばならない。
就職出来なければ、家賃も払えないのだ。
明日。
明日、おれは面接を受ける。
本来なら望んでも入れないような企業の書類選考を通ったのだ。
と、言っても別に一流企業だとか、そういう感じの会社というわけでは無い。
会社名を上げても知る人ぞ知るという程度でしかない。
だが、おれにとっては非常に魅力的な会社だった。
そこの書類選考を通ったということは、おれの人生において最大の奇跡といえるだろう。
おれは深く息を吸い、そしてゆっくりと吐き出した。
失敗するわけにはいかない。
おれは畳の上に置いてあったクラフトテープを取り、段ボール箱の蓋を厳かに閉じる。
感慨が無いわけではないのだが、一度決めたことを覆すのは気はさらさら無かった。背に腹は代えられないのだ。
儀式めいた手順でテーピングを済ませ、段ボール箱を部屋の隅に置いた。
これを明日の朝、ゴミ置き場に捨ててくることによって全ての決着がつく。
おれは、軽い消失感を味わいながら、開け放たれた窓枠に腰掛けた。
「とりあえず、こんなもんかな……」
そう口にして、おれは窓外に視線を送った。もちろん、これですぐにオタクじゃ無くなるという訳では無いということは分かっている。だが、どこかにターニングポイントを置かないと、いつまでたっても事態は改善されそうに無かった。
そう、これはきっかけなのだ。
「(くすくす、そんな気張っても性格なんて簡単に変われるもんじゃないよ)」
突然そんな言葉がおれの耳朶を打った。
「!?」
不意の声に驚いたおれは、大して広くもない自室を見回した。
しかし、部屋の中に人影らしきものは無い。
「幻聴…か?」
初めての経験だった。いくらオタクでも、見えないもの、聞こえないものをあるものとしてしまうような輩は滅多にいない。少なくともおれはそういう類のオタクでは無かった。
「(クス、幻聴なんかじゃないよ)」
「だ、誰だ!」
おれは声を荒げて、再び自室を見回した。
しかし、何度見ても人影は見あたらない。
「や、やばいかな、おれ……」
呟いて、封印した段ボール箱を見やる。
そんな自覚は無いが、もしかしたら結構、ダメージを受けてるのかもしれなかった。
「あはははは、お前にそんなデリケートな心があるわけ無いじゃん」
今度ははっきりと聞こえた。
「だ、誰だ、チクショー!」
おれは声のしたほうを振り向いた。
そしてそこに見てはいけないものを見つけてしまった。
そいつは窓外に生えている梢の影に隠れるようにいた。
「な、な、な、な……」
おれは言葉を失った。だからと言っておれを責めるのはおかど違いってもんだぞ。
常識的に考えたら、決してそこに居るわけのないもの…いてはいけないものが存在したのだから……
「なに驚いてるんだよ? 別に珍しくないだろ?」
それは何事も無いかのようにおれの顔を見上げていた。
お、落ち着け、おれ。こんなことがあるわけがない。こんなこと、あってはいけないんだ。仮にあったとしても、現実社会でまっとうに生きていこうと考えているのなら…………そう! 見なかったことにしよう。おれは何も見ていないし、聞いてもいない。
「なに馬鹿なかのこといってんのよ、目の前にあるもの信じられなかったら、この世にあるもの全て信じられ無いってことじゃないのよ」
小さな唇をへの字に曲げ、文句を言ってくる。
いや、おれには見えてないけど……
「なんで、み、え、な、い、の、よ!」
「って、おい! なんで口にしてない言葉にリアクション返してくるんだよ!」
「えへへ、あたしってば、ある程度まで心が読めるのよね」
な、なんだと!?
い、いや、聞こえない。おれには何も聞こえないんだ。明日は大事な面接があるんだ、こんなところで挫けるわけにはいかないぞ。
「あんたってば、けっこう意地っ張りよね。こんな愛らしい半裸の美女が目の前に居るというのに」
いや、半裸はともかく、愛らしいとは思え無いぞ?
「あ、けっこうムカつく~」
「……なんなの、お前は?」
なんか際限が無さそうだったので、とりあえず、目の前に何か変なものがいる事実を認めることにした。
「あたし? あたしはヒューリーだよ」
なんだと問うて名前を答えられても困る。
「いや、そうじゃ無くて、いったいどういう存在なんだと聞いたんだ。人間じゃないだろう?」
そう、目の前のこれはとうてい人間とは思えなかった。
普通、人間の背中に羽根など生えていない。こんなにちっちゃくもないし、第一、こんな布面積の小さい服を着て住宅街で平然としてられる人間などこの国にはほどんどいないはずだ。一部そういう輩もいるにはいるが、オタクのおれから見てもあまりまっとうな人種とは言えないだろう。
「ああ、そのことか。あたしはヒューリー・オドネル、予言審議会に所属する親善騎士よ、って、ああ!! なんで窓を閉めようとするのよ!」
おれが、人として当然の常識を働かせて窓を閉めようとすると、この空飛ぶ非常識が窓枠に身体を押し込んで邪魔をしてきた。
「予言審議会なんて聞いたこともない。親善騎士だ? なんのつもりか知らないが、おれは明日早いんだ。お前の与太話しにつき合ってる閑などない」
おれは、変なものの背中でぱたぱたしている羽根をつまんで、そのまま外へと放り投げた。
「うわわわわわわ」
変なものは、分かりやすい悲鳴を上げながらくるくると放物線を描いている。
もしかしたら、このまま地面に落下するかもしれないので、面白いので観察してたら、地上すれすれで姿勢を立て直した。
ちっ!
「な、なんてことするのよ、このオタンコナス!!」
激高した表情でこっちに飛びかかって来ようとしたそれは、だが、たまたま近くを歩いていた野良犬に捕まってしまった。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
うむ、ザマぁ無い。
「は、離せぇぇぇ!」
変なものは必死で身体をばたつかせ、犬の顎から逃げだそうともがいている。
しかし、当の犬はというと、そんなこと気にした風もなく、悠然と住宅街を出ていこうとしていた。
「は、離して、お願い! あ、あたしには大事な使命が! 出世のチャンスがぁぁぁぁぁ!」
なんというか、傍目で見ると可哀想なのかもしれないという気にもなったが、かといって、再びこの部屋に戻って来られてもこまる。
さらば、オタク時代最後の幻想よ。
おれは社会復帰するぞ!
「ま、まてぇぇぇ! 見捨てる気かぁぁぁ!?」
どうやら多少距離が離れていても心が読めるらしい。
しかし、こっちには、始めからあれを助けなければいけない義理など無い。
「達者でな、二度と来るんじゃ無いぞ」
おれは窓を閉めようとガラス戸に手をかけた。すると、変なのが連れて行かれたあたりで、バチバチという音とともに青白い閃光が走った。
「ん?」
思わず乗り出して見てみると、変なものが怖い顔をしながら、ものすごい勢いでこっちへすっ飛んで来るのが見えた。
「よくもやってくれたわねぇぇぇぇ!!!!」
当たり前と言ってはそれまでなのだが、変なのはかなり怒っているようだった。
「ふむ……」
おれはタイミングを見計らい、ここぞというところで窓を閉めた。
ベチ
分かりやすい効果音と共に、それは窓ガラスに張り付いた。
「いった~い………」
こっちから見てると、潰れたカエルのようで面白い。
「(な、なに笑ってんのよ!!)」
変なものは窓を叩きながら、文句を言っている。
「いや、おもしろいなと…」
「(お、おもしろい、じゃないわよ!!)」
変なものは、ほとんど半べそ状態で顔を真っ赤に怒っている。
目尻に涙を浮かべて、こちらを睨む様相は少し同情を誘わないでもない。
すこしいじめすぎたか?
「(少しじゃないわよ!)」
おれはおもむろに窓を開いた。
「え?」
変なものはキョトンとこっちを見返した。
「例え幻影相手でも、女の子を泣かせる趣味は無いからな。用件だけは聞いてやる。だが、明日おれは大事な面接を控えてるんだ。手短に頼むぞ」
「う、うん」
変なものは、それまでの怒りもどこえやら、素直に頷いて部屋に入ってきた。
「で?」
おれは窓を閉めて、変なのに振り向いた。
「んんっと……、とりあえず、その「変なの」って呼び方を止めて」
「そんなこと、一度も口にして無いぞ?」
「考えてればいっしょよ!」
「めんどくさいやつだな」
「最初にちゃんと名乗ったでしょ?」
「ああ、確か……………」
ええっと…?
「……ヒューリー・オドネルよ」
「そうそう、それだ」
ヒューリーは思いっきりあきれ顔でおれを見上げた。
「ま、いいけどね。んで話なんだけど」
「おう」
「突然だけど、私たちの世界に危機が迫っているのよ。悪の大魔王が復活して世界を滅ぼそうとしているの!」
「…………」
「な、なに窓枠に手をかけてるのよ!?」
「いや、最後まで聞くまでもないかなと…」
「さ、最後まで聞いてよ!」
「………」
とりあえず片手は窓枠に残しておこう。
「それでね、予言審議会の役員達が出した結論てのが、異世界の勇者に助けを求めよう、とまあこんなわけなのよ」
「ほう?」
「…………」
「………で?」
「え?」
「いやだから、それでどうしたんだ?」
「え…っと、だ、だからあたしが派遣されてきたのよ」
「………」
「…………なんか説明足りない?」
「いや、ヒューリーがなぜこの世界に来たのかは理解した……が、なぜこの部屋にいるのかが分からない」
「どうして?」
「お前はこの世界に勇者を迎えに来たんだろ?」
「そうよ」
ヒューリーがちっちゃい胸をはる。
「じゃあ、何でおれの部屋に来るんだよ」
「………」
「…………」
「……あなた勇者じゃないの?」
「……勇者ってなんだ? まともに就職すら出来ない落ちこぼれのことか?」
「………」
「…………」
「……ええっと…、念のために名前確認させてくれる?」
ヒューリーが困惑顔で聞いてきた。
「
おれは、とくに隠す必要も感じなかったので、素直に名乗った。
「……」
「もしかして人違いだとか?」
「ううん……、名前はあってるみたい……」
「……」
「……あのさ、世界に危機が……」
「いや、だからおれは勇者とかそういうんじゃな無いって」
「………」
「………」
「ひ、ヒーローになりたいと思わない?」
「おれは普通に就職したいな」
「………」
「………」
「ゆ、勇者っていうのは立派な職業だと思うけど? 誰でもなれるわけじゃないし……」
「…たしかに、ゲームなんかだと、プレイヤー以外は勇者になれないよな」
「じゃ、じゃあ……」
「……確かに魅力的ではあるな、異世界の勇者が世界を救い、その国のお姫様と結ばれる。王道すぎて、最近じゃ誰もやらないな」
「……けっこう、この世界に勇者って多いの?」
「なぜ!?」
「いや、今、最近じゃ誰もやらないって……」
「それはゲームの話だよ。好きな奴は、最低でも年に一回は勇者になってるんじゃないか?」
「……そうなんだ」
わかったようなわからないような顔で、ヒューリーが頷く。
「あなたも勇者になったことあるの?」
「もちろん! おれはオタクだったからな、ほかの奴らよりは勇者になった数は多いと思うぞ?」
「そっか……、落ちこぼれだとか言ってたから、ちょっと不安になっちゃったよ。でも、経験者なら大丈夫よね?」
「何が大丈夫なんだ?」
「勇者様、どうか私達の世界をお救い下さい」
「……だから、ゲームの話だって!!」
「げーむでもなんでも、経験者ならきっと大丈夫よ」
そう言うと、ヒューリーは突然、空中に怪しげな魔法陣みたいなものを描き始めた。
「ちょ、ちょっと待て! おれは勇者じゃないぞ!?」
「大丈夫よ、大丈夫」
「だ、大丈夫じゃないって、おれは明日面接なんだ! お前みたいのと遊んでる閑なんか無いんだよ!」
「ええ? なに?」
それが、おれが自分の世界で聞いた最後の言葉だった。
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ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございます。
昔のデータを引っ張り出してきたので、いろいろと懐かしいと言いますか、古めな感じですw
反応があれば書き続ける所存ですが、如何せん執筆作業は十数年ぶりなので、このノリで書き続けられる気がしません( ̄▽ ̄;)
リハビリで別作品も上げておりますので、宜しかったら読んでみてください。
そちらは反応薄くても書き続けるつもりなので。
……読み返してみて思ったけど、オタクってそうと決めてなるもんじゃないよなぁ……気が付いたらなってるって言うかなんと言うかw
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