第5話 思い出したくもない思い出


 ここでどうしても、中3の時の話にさかのぼらなきゃならないだろうか。いや、「遡り」たくないのは山々で、何なら「澤登さわのぼり」という往年のサッカー選手の話をしたいぐらいの気持ちなのだが、どうしても遡らねば話が通じなくなるだろう。ということで、意を決して遡ることにする。


 西崎と俺は中3で同じクラスになった。当時西崎はメガネをかけていて、見た目からは「優等生感」が存分に出ていたものだ(胸元はすでに相応の発達を遂げてはいたが)。それまでは、こんな人が同じ中学にいたことすら認識していなかった。あの頃の俺は比較的快活な性格を携えていて、男子たちと一緒にバカ話に興じることもあった。思えば、その時期に平と疎遠になっていたのは、俺自身も周りの「友人」に囲まれていたからだとも言えなくもないかもしれない(しかし、その「友人」たちと放課後を一緒に過ごしたりすることはほとんどなかった。今思うと、結局のところ「見せかけ」に過ぎなかったのだろう。その証左として、そのうちの誰とも今は連絡すら取っていないし、俺と同じ高校に上がったヤツもいなかった)。

「女子」という存在は15の俺にとってはまだまだ未知の領域で、「仲良くなりたい」と思ったことすら一度もなかった。必要とあれば仕方なく事務的に言葉を交わすぐらいのもんだった。

 それが変わるきっかけになったのが、11月に催される合唱祭だった。うちの中学では、クラスをタテ割にして(つまり、1―1、2―1、3―1で1グループという感じで)、合唱祭に取り組むという伝統があった。合計8グループが形成されて、お互いにしのぎを削るという感じだ。しかもそこで行うのは合唱だけでなく、美術、調査、演劇という3班に分け、それぞれが歌う曲にちなんだ発表をするという複雑な構成になっている。だいたい目立ちたがりは演劇班に振り分けられるが、俺はそこで迷わず演劇を選ぶことになった。今考えれば信じがたいことなのだが。


 その発表に向けては、9月ごろから3年生を中心にして綿密な会議が行われ始める。その時、うちのクラスで実行委員長に迷うことなく立候補したのが、西崎だったのである。

 西崎はすでに生徒会長もやっていたが、とにかく多忙を極めるのを己の義務としているような人間で、何事も仕切りたがっていた。ただ、そこに絶妙なさじ加減を見せるのが彼女の特徴で、上から目線によって敵を作るということは巧妙に避けていたような感じがする。そのため、周りからの信頼は厚く、友だちも多くいた。でも、俺はなんとなくその感じが嫌いだった。俺は俺で、その劇の脚本を担当することになった。それまでの「帰宅部」の実績で培った大量の読書の成果もあってか、俺は一風変わった筋の話をこしらえて、みんなから好評を得ていた。

 本番が近づいたある日曜。演劇班の主要キャスト5、6人で、練習のために西崎の自宅を訪れることになった。彼女の家は土建屋で、「西崎組」という看板がかかっていた。「反社なんじゃねぇの」というツッコミを入れたヤツもいたが、真っ当な組織だという話だった。そこで、俺は初めてこの姉に出会ったのである。


 当時高校2年だった姉は、初対面から屈託のない感じで、妹とは似てないなと思った記憶がある。みんながあいさつを交わす中で、姉は俺一人にだけ聞こえる声で、「あ、きみがレンくん? うわさには聞いてるよ~」と意味深な言葉をかけてきた。それに気づいた西崎はあわてて「お姉ちゃん!」と姉をたしなめていた。その時に、なんとなく嫌な予感がした覚えはある。そもそも西崎は俺のことを「レンくん」と呼んだことなんかなかったのだ。

 合唱祭は特にハプニングもなく終了したが、俺は大した達成感も覚えなかった。所詮は「子どものあそび」だという冷めた感覚がどこかにずっとあったのかもしれない。しかし、「仲間たち」は大いに満足そうな顔をしていて、「打ち上げ」と称してファミレスにごはんを食べに行ったりしていた。俺はお腹が痛いと言って欠席した。もうあの時に、俺はこういう「王道」からは外れる運命なのかもな、とどこかで悟っていたような気もする。「放課後に体育館ウラに来て」と書かれたベタなメモを西崎から渡されたのは、そんな時だった。

 遅れてやって来た西崎は、最初からモジモジしていた。今までにはあまり見せたことのない表情だったが、俺は「あぁ、やっぱりこういう感じになるんだな」と妙に客観的に見ていたような気がする。しばらく時間が経ったあとに、彼女は「精一杯の勇気を出した」という感じで、口を開いた。


「あ、あのさ……、楠川くんって……、すきな子とか、いないのかな……?」


 まさに「王道」パターンだな、と思った。それに対する返しも俺はいろいろと想定してはいたが、なんとなく、その場で突如思いついてしまった言葉を言うことにした。おそらく、それは彼女にとってはいちばん「最悪」な答えだったかもしれない。


「えーと、まずその『すき』の定義から聞かせてもらってもいいかな?」


 これはひどいな。今考えてもひどいと思う。そもそも相手をスタートラインにすら立たせないという、非情な発言だ。彼女は一瞬面食らったような表情を見せたが、それでもなんとか答えようと頑張っているようだった。


「え、テイギ……? えっとね……、それは、一緒にいたいとか、もっとおしゃべりしたいとか……、あとは……、手を…つなぎたいとか……、そういう感じだと思うけど……」


 俺は間髪入れずに答えた。


「あぁ、そういうのだったら、いないかな」


 彼女はかなり微妙な表情になった。おそらく、この「定義」うんぬんのくだりをすっ飛ばして、即座に「いないよ」と答えていたら、きっと安堵の表情を浮かべていたんだろう。しかし、その答えによって、俺はそもそも誰かを「すき」になることなんかない、というような決意を彼女に示した形になってしまった。それでも、彼女はどうにかしようとあがいた。


「あのさ……。その……、わたしは、もっと、楠川くんと仲良くなりたいなって思ってるんだけど……」


 ここでも俺はおそらく「最悪」な返しをしたんだと思う。


「なんで?」


 彼女はさすがに驚いたような表情になった。そして、その口調に若干のいら立ちを含めながら、答えた。


「なんでって……。いや、わたしがそう思ってるだけだけどさ。なに? 仲良くなりたいって思っちゃいけないの?」

「いや、いけないとかじゃなくて。なんで俺と仲良くなりたいのか、その根拠を知りたいだけなんだけど」


 ここで彼女はいよいよいら立ちを隠さずに、まくし立ててきた。


「コンキョとか、そんなの知らないけど、だって、わたしは楠川くんのことすきなんだもん。すきだから仲良くなりたいって、あたりまえのことじゃない?」


 おそらくこんな形で「告白」したいとは彼女も思っていなかっただろう。言ったあとに「しまった」という表情を浮かべてはいたが、もう言ってしまったものは取り返しがつかない。俺自身も、ある程度の予測はついていたものの、実際に「すき」と女子から面と向かって言われたのは初めてだったので、多少の動揺はあった。

 しばらくだまっていると、彼女はつづけた。


「ねぇ……、楠川くんは、わたしのこと、キラい?」


 さすがにここで「嫌いだよ」と即答できるほどには無神経ではない。ただ、俺がここで考えていたのは、どうやったらいちばん傷つけずに振ることができるか、という一点のみだった。それが完全に裏目に出たというのは、否定できない。


「いや、まぁ、嫌いっていうか……。俺が純粋に思うのは、どうしてそんなに人のこと仕切りたがるのかなぁっていうことかな」


 ここで彼女の目つきは変わった。おそらく、俺のことを完全に「敵」だと認識した最初の瞬間だったのかもしれない。少し興奮気味に彼女は言ってきた。


「べ…、べつに、仕切りたがってるわけじゃないもん。でも、やっぱり誰かがやらなきゃいけない仕事ってあるじゃん。みんなはめんどくさいからそういう仕事やりたがらないけど、わたしは、そういうのやることに充実感を覚えるっていうか……、それで、うまくいってみんながしあわせそうな顔してるのがうれしいってだけだよ」


 あまり答えになってないような気はしたが、俺は気になる点を指摘することにした。


「でも、生徒会だって実行委員だって自分から率先して立候補してたじゃん。誰もやらないから仕方なくってんじゃなくて、自分から嬉々としてやってるように俺には思えたけど」


 また少し冷たい声になってしまったかもしれない。彼女は泣きそうな顔で、答えた。


「……うん、そうかもね……。ほんとうはわたし自身がやりたいだけなのかもしれない。でも、それでみんなの役に立てるなら、それでよくない? わたしは……、合唱祭だってみんなと一緒にやれてすごくたのしかったし、何よりも……、楠川くんが書いた脚本がすごいって思ったの。こんな物語作れるの、すごい才能だなって…。だから、もっとお話してみたいな、仲良くなりたいなって思っただけなの……。でも…、楠川くんは、わたしのことなんか、すきじゃないんだね……?」


 ついに彼女の目からは涙がこぼれた。いや、参った。俺の人生において、女性を泣かせる日がくるなんて、思ったこともなかった。というか、それだけはやっちゃダメだと思っていたのだが。しかし、もう後戻りはできない。俺は鬼になることを決めた。


「うん、たぶん、俺とは相容れないと思う。ごめんね」


 そう言い残して、俺は立ち去った。晩秋の冷たい風が吹き抜けていたような気がする。



 それから、西崎とはひと言も口を利かなくなったのだ。もう、何を話してもムダだなと思っていた部分もあるし、別に話す必要も感じなかった。同じ高校に進学することがわかった時は、なんとも微妙な気分になったが、彼女の学力だったら当たり前かとも思えた。地元に残るという決断をする以上、他に選択肢はないのだ。

 高校に上がってからは、彼女はメガネを外して、高校デビューを飾ろうとしているようだった。時に廊下ですれ違うこともあったが、言葉どころか、視線を交わすことすらなかった。おそらく、周りにも俺と彼女の間にあったできごとを知っている人はいないだろう。そもそも、平ですら知らないのだ。

 彼女が俺のことをどう思っていたかについては、先週のあの発言によって初めて明らかになった。


 ――あんた・相変わらず・言い訳の魔術師・だね――


 この言葉に全部凝縮されているような気がする。

 そもそも西崎が俺のことを「あんた」だなんて呼んだことはない。そして、「相変わらず」って。俺が西崎の前でゴタクを並べたのは、あの告白の時しかない(中学時代、基本的に周りの人間といる時は俺はおちゃらけていることが多かったから)。だとすると、彼女は俺のあの言い分を全部「言い訳」ととらえたことになる。つまり、俺が「彼女をすきにならないこと」の「言い訳」をしたんだと。これはすごい話だ。でも、彼女としてはそう考えることで自分の精神衛生を保ったのかもしれない。だから高校に入っても相変わらず学級委員に立候補したりと、自分の信念を曲げていないのだろう。いや、ひょっとするとあれは俺への当てつけだったのかも……。

 いずれにせよ、西崎がもう俺に対して何の好意も抱いていないであろうということは、疑いようがなかった。だからこそ、今ここで姉が発した言葉は、俺にはとてつもなく奇異に聞こえたのだ。


   〇


 俺がしばらくだまっていると、西崎姉はあわてたように付け加えた。


「あぁー、ゴメンゴメン! こんなの、姉が立ち入るような話じゃないと思うけどさ、でも、なんかやっぱり気になっちゃって……」


 この姉がなぜ未だに俺のことを認識しつづけているかというと、「西崎組」の事務所が俺の家から歩いて5分という立地にあるからだ。初めて西崎の家で姉と出会った約ひと月後(すなわち俺が西崎をフった2週間後)に、俺はこの姉とばったり自宅の前で出くわした。もちろん俺からしたら気まずいので、無視して通り過ぎようとしたが、そこで声をかけてきたのは姉のほうだった。


「あ! レンくんじゃない? 久しぶりー! おぼえてる?」


 さすがにそこでウソをつくのはためらわれた。「あ…どうも、お久しぶりです」と動揺を隠せずに言うと、「えー! こんな家に住んでんだ! 超リッパじゃん!」と屈託のない声で言ってきたのだ。俺は正直怖かった。だって、もし妹から俺の話が伝わってたら、もう完全な「悪者」として認識されてる可能性があるから。それでいてこんなに明るく接してくるということは、そうやって油断させておいて、あとで煮るなり焼くなり好きにするおつもりなのか。そうだとしたら、俺に逃れる術はないようにも思えた。

 しかし、姉は「じゃーね」とあっさり言うと、その場をさっさと立ち去ったのだ。それからもだいたい月に一度くらいの頻度で俺は姉に遭遇した。正直、別に無視しても問題ないくらいの間柄のはずだが、毎回この人は「レンくーん!」と明るく声をかけてくるのだ。しかし、この姉から妹の話題が出ることは今までは一切なかったのである。いったいどうしたいのか。もう俺は深く考えるのをやめて、最近は「ただのご近所さん」というポジションで彼女のことを考えるようにしていた。しかし、姉にはこれだけの頻度で会うのに、当の西崎とは一度も外で会ったことがない。もしや、類まれなる嗅覚を駆使して、俺の姿を見つけるや否や姿を隠すということを徹底しているのかもしれない。だとしたら、もはや地の底まで嫌われてるって言ってもいいだろうな。


 相変わらず俺が目線を落としてだまっていると、姉はポツリポツリと語り始めた。


「あー、あのさ……、あんまりさやかの話をわたしがするのはよくないかなって思って、いままでは避けてきたんだけど……。一応だいたいのことは聞いたんだ。あ、もちろんカンちがいしてほしくないんだけど、レンくんのことを怒ってるとか、そういうのはわたし、全然ないよ。当人同士しかわかんないことも絶対あるだろうしね。ただ…、やっぱり、わたしもあの日のことを思い出すと未だに胸が締めつけられるっていうか……」


 姉は相変わらずカフェラテのカップをかき混ぜながら話している。もう泡はとっくに消えているし、冷めてしまっているだろうが、そんなことは気にしていないようだ。俺がだまっていると、彼女はさらにつづけた。


「あの、たぶん、レンくんがさやかと…、仲たがい? した日のことなんだけどね。もう2年くらい経つのかな。あ、いや、1年半かな。あの日……あの子ね、わたしの部屋に入ってくるなり号泣し始めたんだ。もう、すごかったんだよ。わたし、いままであの子の涙なんて見たことなかったから、ものすごくびっくりしたんだけど、とにかく泣きじゃくってんの。そして、ひとしきり泣いたあと言ったの。『レンくんにフラれたー』って。なんか、その姿見てたら、わたしまで泣けてきちゃってさ。ふたりでしばらく泣いてたんだよね」


 ここで俺が思ったのは、あぁ、やっぱり家では「レンくん」って呼んでたんだな、というどうでもいいことだった。しかし、相手によって呼び名を変えるのを、どういう心境でやっているのかについては、俺にとっては解読不能である。


「しばらくしたら泣きやんで、フラれた理由を話してくれた。『わたしが生徒会とかやって仕切りたがるのが気に食わないんだって』ってさやかは言ってたけど、合ってるかな?」


 まさかあの時のことを実の姉から蒸し返されるとは思わなかった。この姉は、いったいどういうつもりでこんな話をしてるんだろうか。


「いや、気に食わないっていうか……、まぁ、『俺とは相容れない』って言った記憶はありますけど……」と俺は答えた。


「あー、うん、なるほど、そうか。もちろん、気持ちはわかるよ。あの子、うちでもけっこうハッキリものを言うタイプでさ、わたしとケンカしたことも何回もあるんだ。でも、あの頃はレンくんの話ばっかりしてた記憶がある。今日はこんな話したー、とか、あとはきみが書いた脚本のこととか。ごめんね、わたしも読ませてもらったんだけどさ、純粋にすごいなって思ったよ。こんなあったかい物語書ける人ってどんな人なんだろう、とか思ってね。だから、初めてきみに会った時はなんかうれしかった。想像通りの人だったしさ」


 ん? なんか話がおかしな方向に行ってる気がする。しかもあの話のどこが「あったかい」んだ? いろいろモヤモヤしていると、姉はつづけた。


「あ、ごめんね! わたしの話なんかどうでもいいんだ。でも、たぶんあの子にとっては初恋だったんだと思うんだよね。だから、それに破れてとことんまで落ち込んだっていうのは、よくある話だとも思う。でもさ、さやかはたぶんね……、」


 ここで姉は一度話を切り、まっすぐに俺の目を見つめてきた。そして言った。


「きみのことがまだすきだと思うんだ」


 その目は、何かしらの確信が宿っているかのように力強かった。しばらくこちらの反応を探っている感じだったが、俺はギクリという感じで動揺してしまい、相手の思うツボになった。姉は少し笑って、さらにつづける。


「っていうのはさ、先週ふとあの子の机の上見たらね……、あの時のきみが書いた脚本が置いてあったんだよ。しかも、すごく綺麗に保管してあった。見るのはあの時以来だったんだけど、なんかきっかけがあって開いたんじゃないかなって思えてさ。レンくん、さやかとなんかあったんじゃないの?」


 ここでもさらにドキリとした。「なんか」って、あのひと言しか思い浮かばん。でも、あれをきっかけにしてなんでそういう行動に出るんだ? いや、もう「女心」なんて俺には全然わかんねぇ。

 ここでおもむろに腕時計を見ると、姉は少し大きい声を出した。


「あっ、もうこんな時間だ! ごめんね、なんかわたしばっかしゃべっちゃって。あ、くれぐれも言っとくけど、わたしとお茶したことはさやかにはナイショね!」


 あわただしく店を出ると、外は薄暮の状態になっていた。「じゃあ、またね」と言い残して、姉は俺の家とは反対方向に歩いて行った。

 あぁ、平は今ごろ頑張って働いてるんだろうな、となんとなく思った。

  

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青くもねぇし、春でもねぇ モウラ @moura

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