第4話 西崎姉との邂逅
「いやー、それにしても、レンくんとこんなふうにお茶する日がくるなんて思わなかったなぁ~」
目の前の椅子に座った女性が、朗らかに言ってくる。いわゆる、ゆるふわパーマのセミロングってやつだろうか。ふわっとした白いシャツをジーンズの中に入れている。あんまり誰にでもできるスタイルじゃないだろうなという気もしてくる。
もちろん「お茶をする」というのは文字通り「カフェにてコーヒー、紅茶の類を飲む」ことであって、決して「童貞をキープする」というイミではない(というより、このスラングがどこまで普及してるのかも疑問だが)。ここは、うちの近所にある老舗のカフェ「コントレ」だ。気難しそうなマスターが黙々とコーヒーを抽出している。店の存在は認識していたが、入ったのは初めてだ。
「大人になったんだねー、なんちゃってね」
おどけてしゃべっているこの女性は、西崎の姉だ。なんでこんなことになったのかを説明するに当たっては、とりあえず昨日の話に遡る必要がある。
平に「5点」と断罪された、「暗闇の中での女子との可能性大喜利」に対する俺の回答だったが、別に平は怒っているわけではなかった。教室の中で実際に「おっぱじめる」ということがあまりに非現実的だったからだ(うちの高校の風紀はそこまで乱れてはいない)。しかし、平自身はこの話をするに当たって終始浮かない顔をしており、何かしら心に引っかかるものがあるという風情だった。俺は一応現実的な話もしておいた。
「てか、そんな感じなんだったら、相手もお前のことすきなんじゃないの?」と言うと、あいつは「いや、そればっかりはわかんないんだよな……」と答えた。まぁ、実際にコンタクトを取ってるこいつがわかんないと言うのなら、雀牌レベルの大きさで飛んだり跳ねたりしてる姿しか確認してない俺がわかるのなんて、土台ムリな話だ。このへんで話を切り上げようとすると、あいつはさらにつづけた。恋をすると人は饒舌になるらしい。
「いや、つーか、万一彼女がおれに好意持ってるとしても、いまのおれじゃ絶対彼女とは付き合えないんだよ。てか、付き合っちゃダメなんだ」
平は再び「雀牌吉沢さん」のほうを見ながら、何かしら決意しているかのように言った。こいつのここまで真剣な表情を見たのは、俺自身初めてのような気がする。いや、小6の時にハマってたマリオカートの時の表情に近かったかもしれない。
「つーかな、ほんとはおまえとも、こんなふうにしゃべってたらダメなんだ……。ほんとはな……」
この発言には少し驚いてしまった。「友人と話しちゃダメ」ってのはあんまりないケースだろう。「お母さんに、あなたとしゃべっちゃダメって言われたー」とかいうのならありそうだが、あの母親とマダムに限って、絶対にそんなことは言わないだろう(万一そんなことを言ってたんだとしたら、俺は一生の人間不信に陥りそうだ)。他には何があるだろうか。いや、何もありようがない。こいつ自身が抱えてる問題だろうな。
時刻はもう6時に近かった。空はいつの間にか雲が取れ、夕暮れの茜色に染まっていた。チア部も練習を終えたようで、そろそろ解散しそうな感じだった。その時、平は意を決したかのように言った。
「なぁ、あさっての木曜、おまえに聞いてほしいことがある。たぶん、おまえしか解決できないことのような気がしてる。まぁもちろんおれ自身に責任があることなんだけどさ……。おれは弱いから、ひょっとしたら怖気づいてはぐらかそうとするかもしれん。でも、そん時は一切おれのことを無視してくれていいから。とにかくその話を始めるまではな」
「お、それって、例のファンタジー作品に出てきたような感じの話だな。自分がどれだけ苦しんでいようとも毒杯を飲ませつづけてくれってやつな。どうせなら、何かしらの拷問用具でも用意しとくか?」
「おい、拷問用具ってなんだよ。そんなもんカンタンに用意できるんだったらもうとっくに友だちやめてるわ」
結局この日はお互いに笑顔で別れたが、俺としてはいろいろなモヤモヤが残った。いったい何の話をするつもりなんだろう。いや、しかし、それにしても……。なぜか、俺はあいつ自身の恋バナを聞くことに全然乗り気じゃない自分に気づいた。なんでだろう。まさか、嫉妬……? え? どっちに……?
おいおいおい、ちょっと待て。今の発想はさすがにヤバい気がする。んなバカな。少なくとも俺自身、性欲が女性に向けられていることは日々の一人プレイにおいても実証されてるじゃないか。しかし、なんだろう。平としゃべっていると、なかなか普段味わえないような感覚になるのも事実だ。そして、あいつが最後に発した「友だち」って言葉が、心のどっかを温めてるような感覚もなきにしもあらずかもしれない。
いろんなモヤモヤを抱えながらチャリをこぎ、俺は自宅にたどり着いた。そして、家の前で鉢合わせしてしまったのだ、西崎の姉に。
「あれー、レンくん、久しぶりじゃない?」
パッと見、誰だかわからなかった。しかし、まじまじと見てみると、そこには面影があった。髪型だけでこんなにも人の印象は変わるもんなのか。
「あ、こんにち…こんばんは」とちょっと変なあいさつを返すと、西崎姉はあははと笑った。そして、すぐさま言ったのだ。
「ねぇ、明日もし時間あったら、コントレ行かない? ちょっとレンくんと話したいことあるんだけど」
その時俺の脳裏に浮かんだのは、やっぱり平のことだった。明日はあいつは5時からタイラストアだ。とすると、俺はヒマだ。先週の平日は毎日あいつと過ごした分、昨日の放課後にぽっかりと空いた俺の時間は地味にこたえた。本を読む気にもならないし、映画を観る気にもならない。もちろん、宿題なんてするわきゃない。今までの帰宅部の活動時間をどう過ごしていたのか思い出せなくなるほどの空虚さを感じたのだ。こんな気持ちになったことは今までになかった。それはひょっとすると、「人」じゃなきゃ埋められないんじゃないか、というような気すらしたのだ。
そして、目の前で微笑んでいたこの姉は……。ぶっちゃけた話、「かわいく」なっていた。以前の黒髪ストレートから変えただけなのかもしれないが、なんだか「朗らかさ」まで加わった感もある。ちょっと大人の女性と二人でカフェか。なんか、悪くないような気もする。もちろん、それが西崎の姉だという事実にはめちゃくちゃ引っかかる部分はあるが。5秒ほどでこの全部の逡巡を終え、俺は答えた。
「あぁー、そうっすね。いいっすよ。5時からなら」
「あ、そういえば、さやかとおんなじクラスになったんだってー? 聞いたよー」
姉はカフェラテのカップをかき混ぜながら、朗らかさを崩さずにしゃべっている。ラテアートのハートの絵が、ぐじゃぐじゃになってしまった。そういえば、胸の造形だけは妹とは似なかったんだな、などと不躾なことを俺は考えている。
「あぁ、そうっすね」と答えながら俺は考えた。
西崎はどういうノリで姉にその事実を伝えたんだろうか。「最悪~」って感じで言ったのか、それとも淡々と事実を伝えたのか。あるいは……。そもそも、先週のひと悶着のことを知ってて、それでいて姉は平然と妹の話題を俺に振ってるんだろうか。いや、そんなわけはないか。あれから西崎とはひと言も口を利いていなかった。というより、平以外のクラスの人間とは誰ともしゃべっていない。
姉はここで少し考え込むような仕草を見せると、言った。
「ねぇ、なんかさ……、さやか、最近ちょっと元気ないんだけど、学校でなんかあったりしたのかな? 知らない?」
ほう、それは驚きだ。そもそも西崎は率先して学級委員長に立候補し、それからホームルームもバリバリに仕切っている。勉強もできるため、教師からのウケもいい。となると、そういう「優等生」ぶりに反発を覚えているスケバン的な女子生徒からのいじめに遭う、というような筋書きも思い浮かべることもできるが、残念ながらそういう存在はうちの学校にはおそらくいなそうだ。男子の中にはちょっとハメを外しがちな人間もいることはいるが、少なくともうちのクラスの女子はだいたいマジメそうである。そもそもあのひと悶着の時も、西崎の発言に同意して笑っていた人が大半だったし、その発言を機に彼女の人気は高まったような感じもある。むしろ、そこで凹むべきは迫害を受けた俺のほうになるのが普通なんだろうが、幸か不幸か本人が全然そこに頓着してないんだから、これはどうしようもない。総じて見かけとしては「平和」な日常が流れていた。
「いやー、わかんないっすねぇ。楽しそうにやってると思いますけど」
俺はコーヒーをすすりながら答えた。これは彼女がおごってくれると言う。西崎姉は、今年から短大の幼児教育学科に通い始めているらしい(それでちょっとあか抜けたという部分もあるのだろう)。彼女がその動機についてさっき言っていたことは、少し印象に残った。
――わたしはやっぱ、あんまり学歴とか年収とかそういうの、気にしてなくてさ。ただ単純に、子ども好きっていうだけなんだけど。いや、大人がキラいって言ったほうがいいのかな……。なんか結局さ、子どもってすごいってわたしは思ってて。大人になんか思いもつかないような発想とかすることあるじゃん? そういうのって、たぶん、もう大人になったら失われちゃうんだろうけど、でも、ひょっとしたら子どもと接してたらまた復活したりすることもあんのかな、とか思ったりさ。だから、わたしは子どもを教育するっていうか、子どもたちからいろいろ学びたいなって思ってるの。――
こういう発言を聞いても、やっぱり俺は妹より姉のほうが好きだな、と思ってしまう。
ここで西崎姉はまた少し思案する素振りを見せて、何かを決意したかのように言った。
「あのさ……。レンくんはやっぱり、さやかじゃダメなのかな……?」
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