第3話 「青春」の萌芽


「なんか、結局こうやってる自分らに酔ってるだけで、ほんとは青くもねぇし、だんだん春でもなくなってきてねぇか?」


 放課後のお決まりとなった道端で、平がふとつぶやいた。

 火曜日、午後4時半。たしかに今日は空一面が白い雲で覆われていて、「青空」とは言いがたい。相変わらずグラウンドではサッカー部とチア部の競演が行われている。


「お、それってまさか、『青春』って言葉をなんかオシャレな言い回しに変換しようとして、失敗した感じ?」

「おい、失敗って決めつけんなって。じゃあおまえやってみろよ。青春大喜利だよ」

「うーん、そうだな……。そもそも『青い春』っていうイメージと合わない気もするんだよ。その中身ときたら見るに堪えないもんだったりするし、しかも一瞬で過ぎ去るもんだろ。どうせなら、凄惨せいさんの『せい』に瞬間の『しゅん』をあてて、『せいしゅん』ってあらわしたらどうかね」

「んー、複雑すぎるわ、10点」

「低すぎん?」


 この場所でこいつと放課後に話すのも、もう今日で6回目になる。

 平の店の手伝いは月、水、土だったが、平日はだいたい5時からのシフトだということもあって、学校が早く終わる先週は月から金まで毎日、駄弁だべっていた(残念ながら教室では、富澤の陰謀により俺と平の机を引き離すという悲劇的な措置がとられたので、あまりしゃべれないのである)。

 今週からは授業が本格的に始まったので、月、水はこいつとの時間は取れそうにない。先週金曜にはさすがに話のネタも尽きかけていたが、土、日、月の3日間空いたこともあり、またちょっと新鮮な気持ちでダベリに臨めている。というか、中1の初めから数えると丸4年のブランクがあったと言ってもいいんだが。


 先週の月曜、放課後に誘ってきたのは、平のほうだった。

「ちょっといいとこあんだけど、一緒に行かねぇ?」と、こいつは少しはにかみながら誘ってきた。俺は何かしら気の利いた返しをしなきゃいかんと考え、「風俗だったらお断りだよ」と答えた。するとヤツは、「風俗より気持ちいいことは保証する。行ったことねぇけど」と乗ってきた。たしかに、ここは風も通るし、日陰だし、なかなか気持ちのいい場所だ。あの神社はもっとよかった。ただ、あれからはあの神社までは行っていない。なんだかんだ、けっこう階段がキツかったからだ。


「いやー、それにしても、あのチアの集団はエロいね、いつ見ても」


 おっと? まさか、平がこんなふうに女子の話題を振ってくるとは。まぁ、そもそもこれだけガッツリしゃべるようになったのは小6以来だから仕方ないとしても。俺たち二人は小学生にして下ネタをぶっこむようなマセガキではなかったのだ。

 少し答えに窮していると、平はある一点を見つめながら言った。


「おれ、吉沢よしざわさんすきなんだよなぁ」


 えーーっと? おぉーーー。これは、これこそが、いわゆる「青春」(凄瞬)ってやつなんじゃないか? 突然受けた友からの恋の告白。そしてそれはなんと、自分自身が兼ねてから恋焦がれていた相手だったのだ! しかし、自分は友の気持ちに気づきながらも、ひとり密かに事を謀り、先んじて相手を籠絡してしまう。そのことに気づいた友は、失意に耐えかねて自死を選択する……って、なんかこんな作品もあったような気もするが、残念ながら俺はその「吉沢さん」という人の存在自体を知らないのである。


「だれ?」と俺が素直な気持ちを告白すると、平はさも軽蔑したかのような顔になって答えた。

「おまえ、いくら孤高を貫くとしてもよ、学園のマドンナぐらいは把握してないとダメなんじゃねぇか?」

「うーーん、そもそもこの公立の凡庸な進学校を、『学園』とか称することの合理性から追求しなきゃならんような気もするが」

「そこはいったんスルーでよくねぇ? 『マドンナ』に付随するのはいつの時代だって『学園』じゃんかよ」

「いや、そんなことはないはずだ。『ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネ』でもいいはずだ」

「それだとあの歌姫ひとりになっちまうだろよ」


 あの『ライク・ア・ヴァージン』で一世を風靡したマドンナの本名をなんで知ってるのか、ということにはお互いにツッコまなかった。なんとなく、同じような興味を持ちながら生きてきたのかもしれない。もちろん、あんなに際どい魅力を振りまいてきたセックス・シンボルに小6の時から言及するようなクソガキだったわけでもない。

 こんなくだらない話ばかりしててもしょうがないので、俺は「で、結局だれよ?」と聞いた。

「あれ」と平は無造作に指を差す。この距離だと、グラウンドに立つ人の顔が麻雀牌ぐらいの大きさにしか見えないが、持ち前の裸眼のよさを駆使して、俺はどうにか対象を見つけ出そうと目をこらした。すると、どうやらそうではないかと思える人が一人見つかった。その人は今まさにリフトの上に立ち、ジャンプをしようとしている瞬間だった。

「あ、いまジャンプした人か?」と聞くと、平は「なんでわかった?」と驚きを隠せない表情で答えた。「まぁ、なんとなくな」と俺は答えを濁したが、内心俺も驚いていた。まさか、女性の好みまで似てきてるんじゃないよな。だとすると、例の作品みたいに、どっちかが血を見る結末になるんじゃないだろうか。いや、つーか、最終的にはどっちとも自殺しちゃうじゃんか。救いがねぇぞ。


「吉沢さん」は、遠くから見ても、明らかに周りのチア部員とは違っていた。どちらかというと「清楚」と言える雰囲気で、長い黒髪をポニーテールにしている。なんか、「癒し系」って言葉がぴったりくるような感じだ。そうだな、同じポニーテールでも、平の母親とは大違いだ(これもあくまでいいイミで、だが)。


「で、どこが気に入ったんだ?」と俺は特に興味のない感じで聞いた。

 平はしばらく「吉沢さん」のほうを見たままだったが、ふと目線を地面に落として、語り始めた。


「いや、去年おんなじクラスになったんだけどさ。やっぱ最初からすげー男子に人気あったわけよ。絶世の美女って感じでな。まぁ、おれからしたら高嶺の花って感じだった。そんで、チアに入ったって話聞いて、なおさらムリだろうなって思った。だって、おまえ、チアの3年とか見たことあるか? めちゃくちゃ派手だし、キャピキャピしてっし、乱交パーティーしてるとかいうウワサすらあったし、おれなんかじゃ手に負えないって感じバリバリなわけよ。まぁ、でも……一目ぼれってやつはそうそう覆せるもんじゃない。だから、どうにかあがこうとして、おれも頑張った。髪染めたのも、ぶっちゃけそれがきっかけだった」


 平が髪を明るめの茶色に染めたのを俺が確認したのは、たしか去年の7月ごろだったと思う(ちなみにうちの高校では髪型、色は自由で、その個性に恥じないような実績を上げれば特に問題にされないという風潮がある。平は特に成績面でその模範のような生徒だった)。廊下ですれ違った時に、最初は誰かわからないぐらいだった。目が合って、「あれ?」と俺が思っていた時、こいつはなんだか申し訳なさそうな、一方では誇らしげなような、なんとも言えない表情を浮かべていた。その時ぐらいからこいつは常に俺の知らない「友人たち」と一緒に歩くようになっていて、俺から話しかけることはできなくなっていったのだった。なんだか決定的に距離が離れてしまったような気がしていたものだ。


「まぁでもさ、見た目変えるぐらいじゃどうにもなんなくて、結局一度も話しかけられないままだった。転機が訪れたのは9月の文化祭よ。おまえ、そもそもブンカサイってのが催されてることは知ってる?」

「あぁ、ウワサには聞いたことあるけどね」


 うちの高校の文化祭は、まさに「リア充たちの集い」とでも形容されるのがふさわしいような催しで、「やりたいヤツらだけが思い出作りのためにやる」のが定石だった。これは学年が上がるにつれて顕著になり、3年になると、受験まっしぐらで見向きもしないガリ勉たちがいる一方で、もう諦めの境地に達した人たちの尽力のおかげで、とんでもない展示が完成したりすることもあるのだ。俺はといえば、1学期の時点でもう完全にクラスになじむことを諦め、まっしぐらに退却した人間だった。そもそもうちのクラスが文化祭で何をやったのかも、もはや記憶にない。

 平はひとしきり爆笑したあとで、言った。


「ひーーっ、もう、たまらんなぁ。レンちんのすさみ具合は留まるところを知らんね。もともとそんなキャラだったっけ?」


 この「レンちん」というあだ名は、小学校時代に平が俺に付けたものだった。最初は明らかに何かを「感じ」があったので違和感しかなかったのだが、別にこいつが自分を「イジろう」としてるわけじゃないのは自明だったので、自然と受け入れてしまったのだ。ただ、そのあだ名で呼ばれるのはかなり久しぶりな気がした。


「まぁ、俺の話はいいって。そんで、文化祭で何が起こったんだよ?」


「あぁ、えーっとなぁ……、おれはそこで大道具係の責任者みたいなのになったんだけど、そこに彼女も配属されたわけよ。あ、ちなみにやったのはお化け屋敷だけどさ。まぁ、一緒の係になったのは嬉しかったよ。でもよー、あの雰囲気で大道具って、全然ピンとこないわけよ。テキトーにサボるつもりなんじゃねぇかなって、最初は全然期待してなかったんだわ。ほんで、夏休み中の最初の準備の時、朝9時ぐらいに学校集合ってことにして集まることになってたんだけど、まぁ誰も時間通りにゃ来ねぇだろなって諦めながらおれはひとりで待ってたんだ。そしたらどうよ。彼女、ひとりで来てくれたんだよ。あの時の吉沢さんは、ほんとに女神に見えたぜ」


 平は遠い目をしながら語っている。うーん、これはどうすればいいんだろうか。ツッコむところなのか? いや、こいつにとっては「たいせつな思い出」ってやつなんだろう。放置しておくに越したことはない。

 こっちの内心を知ってか知らずか、平はつづきを話し始めた。


「そんで、来たは来たけど、何もしないのかなとか思ってたんだけど、まさか自分でノコギリとか持って、材料をギコギコ切り始めたのを見た時は、マジでおれもたまがったぜ。あの時スカートからのぞいた生足はもうおれの脳裏に焼き付いて離れねぇよ。ギャップ萌えってのはまさにこのことなんだなっておれは思ったね」


 なるほど。その時の経験をもとにしてあいつは「ベン」のことを「萌える」とか言ってたわけか。まぁ、「チアリーダーのノコギリ引き」と「こま犬のションベン」にどこまでの共通点を見出すかってのは人による気もするが。平はさらにつづける。


「でさ、決定的だったのは、文化祭当日のできごとだよ。あー、おまえはどうせ行ってねぇから知らねぇだろうけど、文化祭の時って、なんか知らんが開会式みたいなしかつめらしい儀式が体育館で執り行われるわけね。しかも全員強制参加で、校長の有り難いお言葉とかも聞かなきゃならないんだわ。まぁいきなり出鼻くじかれる感じだから、みんなから圧倒的に不評なんだけど、しかも全教室に教師が見回りに来て、『体育館行けー』って促されるんだよ。ただ、ここで活きたのが、おれらの教室よ。お化け屋敷だからさ、段ボールで完全に窓覆って、光通さなくなってるわけ。その日もおれは最終チェックやってたんだけど、ちょっとしたほころびが見つかってさ、直前まで直してたんだよ。他の奴らはどっか行っちまってたんだけど、その時教室を見に来てくれたのが、吉沢さんだったんだわ。彼女優しいから、おれのこと手伝ってくれたんだよ。もうこの時点で相当惚れてんだけど、極めつけはそのあとだった。例の見回りの教師の足音が聞こえた時に、彼女、どうしたと思う? いきなり電気のスイッチ消して、『かくれよっ』って言うんだよ。おれたちは息を殺して教室の隅っこに隠れた。ガラガラってドアが開く音がする。そしたらその教師は『誰かいるかー? 体育館集合だぞー』って言ってきた。その時そいつが電気のスイッチを入れなかったのは幸いだった。最後に『まぁ、ここにはいないか』って言い残して去って行ったんだ。そのあとに残されたのは、真っ暗闇の中で息をひそめるおれと彼女の気配だけだ。かすかに彼女の吐く息の音だけが聞こえる。髪の毛からもいい匂いがしてた。教師の足音が完全に去ったあとで、彼女はクスクス笑いだした。なんかおれも楽しくなって、しまいには結構な声を出して一緒に笑っちまった。あの時ほど楽しかったことは、いままでにないな。それからもしばらく電気はつけなかった。そのあと、彼女なんて言ったと思う? 『このままいつまでも始まらなきゃいいのにね』って言うんだよ。でも、さすがにおれはそこで耐えきれなくなって、あわてて電気をつけちまったって話なんだけどな」


 ここで一羽のカラスが「かぁかぁ」と俺らの上空を飛んで行った。「青春だねー」とでも言ってんのか、はたまた「おアツイねー」なのか。もしくは文字通り「かぁかぁ」なのか。たぶん、「かぁかぁ」なんだろうな。こんな話を聞かされると、俺自身も「かぁかぁ」ぐらいしか言えない。

 平は相変わらず自分の世界に浸りきったままで、こんなことを聞いてきた。


「あの時電気つけなかったら、どうなってたのかな」


 うーん、これは何を期待した質問なのか。まぁ、マジメな答えを期待しているわけはあるまい。それだったら、俺なんかに話すこと自体がそもそもお門違いなのだ。俺は自分ができる精一杯の回答をプレゼントした。


「まぁ、おっぱじまってたのかもね」


 平は軽蔑の最上級といった感じの冷めた目で俺を睨み、言った。


「5点」

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