第2話 タイラストア
緑色のエプロン姿になった平を見て、俺は笑いそうになってしまった。そこはかとなく似合っている。明るめの茶髪であることを加味すると、ちょっとチャラめの店員ってとこか。
この「タイラストア」は、平の祖母が経営している店だ。
祖母はたぶん60代半ばぐらいだと思うが、見た目はかなり若く、アラフィフだと言っても問題ないくらいの感じだ。俺は小5の頃から通っていて、当時から彼女のことを「マダム」と呼ぶように手なずけられてきた。それは平も同じで、未だにマダムと呼んでいると言う。まぁ、パッと見て「ばあちゃん」か「マダム」かどっちの呼び名にするか選べと言われたら、10人中9人は後者を選ぶであろうから、別に異論はない。というより、今さらそこにツッコむのがめんどくさいのである。
中学に入って平と疎遠になってからは、この店に行く頻度も少なくなったが、当時も週に1回はマダムへの義理もあって通っていた(平本人は遅くまで部活をやっていたこともあり、店で顔を合わせることはほとんどなかったが)。しかし高校に入るとさすがに気恥ずかしさもあって、ほとんど俺は顔を出さなくなっていた。この1年でこの店に来たのは5、6回というところだろう。平自身の近況なども、家族からはほとんど聞かなかった。マダムも、子ども同士にしかわからないことがあるという配慮からか、俺たちの関係について深く首を突っ込むことはなかった。そういう姿勢は俺にとっては有り難かった。
それにしても、この店は6年前からほとんど趣を変えていない。というより、40年前の開店以来、何ひとつ変わってないのかもしれない。商品は雑然と、そしてテキトーに陳列されていて、プライスカードもめちゃくちゃだ。棚の上にはほこりが積もっており、もう取り返しがつかないレベルである。それでいて平然と生鮮食品も扱っていて、マダムの手作りコロッケが人気だという。この熾烈な小売店競争をよく勝ち残ってこれたなと思う限りであるが、逆にこの手作り感が売りなのかもしれない。まぁ、近くに競合店がないというのがいちばんの理由だろうけど。
「あらー!
そう声をかけながら事務所から出てきたのは、平の母親である。それなりの長身である彼女の遺伝子を平は受け継いだのだろうか。長い黒髪を後ろで束ねていて、あまり化粧っ気はなく、「働き者」と形容するのがぴったりの見た目だ。おそらく40代前半というところだろうが、年相応に見える(あくまでいいイミで、である)。とにかく言えるのは、実の親子であるマダムとこの母は、並ぶと姉妹のように見えてしまうということだ。快活な性格もあって、俺はこのお母さんが好きだった。
「お久しぶりです」と俺は答える。
この店は、以前は基本的に平の祖父母と母親、そしてパート二人で回していた。しかし、今年の年明け早々にじいちゃんが亡くなった。生前は多少なり世話になっていたため、俺も葬式には参列した。その時、学校以外で久しぶりに平の姿を見かけたが、なんだか茫然としているような感じで、話しかけづらかったのを覚えている。というか、結局ひと言も言葉は交わさなかった。小学校の頃は、「じいちゃんじいちゃん」といつも慕っていたことを思うと、やっぱりあいつなりにこたえたのかもしれなかった。
しかし、タイラストアはその2日後にはすぐにまた開店しており、「姉妹」も別に喪に服する様子もなく、あっけらかんとしたものだった。「じいちゃんもこんな年明けじゃなくて、タイミング計って逝ってよって感じよねー」というマダムのセリフに対してはなんと返していいものかわかりかねたが、とにかくこの人たちはいつでも明るいのが特徴だ。
平がサッカー部を辞めていたという話を聞いたのは、3日前の始業式の日だった。「いろいろあってな」とごまかしてはいたが、おそらくこの店を手伝うためだろうと俺には思えた。なんだかんだ心の優しいヤツだというのは、小5の時から変わっていない。
「はい、それでお客さま、今日は何をお買い求めですか?」と慇懃に平が聞いてくる。どうやら今日はマダムは店に出ていないらしい。別に何を買うつもりもなかったが、こいつにレジを打ってもらうという初体験に興じるのも面白いような気がしてきた。
「うーん、じゃあコロッケ1コもらおうかな」
「はいコロッケ1丁300万円ー」
どうやら結構投げやりな接客スタイルのようだ。こんな感じでいつまで持つのか疑問である。
「お前、ガチでそれ客全員に言えよ?」
「それは無理ですよー。ユーモアを解するお客さま限定のリップサービスですから」
「ユーモア解する人にそれやったら返り討ちに遭うぞ」
「それはまた手厳しい話だこと」
おしゃべりをしている間にも平は手際よくコロッケを紙に包んだ。今までにもちょくちょく手伝いをしていたらしく、あらかたの仕事はできるようになっているらしい。それでいて頭脳明晰でスポーツ万能とくれば、そりゃあモテるんじゃないか。しかし、こいつの女関係の話は、今までに聞いたことがなかった。
「お熱くなっておりますのでお気をつけくださいまし」
「はいはい。で、今日は何時までなんだ?」俺は百円玉を渡しながら聞いた。
「えー、今日は8時までとなっております」ヤツは十円玉を2枚返しながら答える。
「まさかとは思うけど、そのエプロン付けると敬語しか使えなくなるんじゃねぇだろな? 俺はいま圧倒的に距離を感じて泣きそうになってんだけど」
「なるほど。敬語というものは時に人の涙を誘う場合があるということですね。覚えておきます」
さすがにしつこかったので、俺は平の頭にチョップを入れた。
「あいたー! お客さま、ご乱心ですか? さすがに暴力はシャレになりませんよ」
「あんた、もうふざけるのもたいがいにしなさいよ」
ここで、品出しに従事していたお母さんが助太刀に来てくれた。この時間はそこまで客も多くないらしく、店内には束の間ののどかな時間が流れている。
「レンくんごめんねー。どうしてもいま人雇えなくてねぇ。この子使うしかないのよ」
「その『ごめん』は私に言うのがスジなのでは?」と平はまだふざけている。
「あんたは店の子なんだから当たり前なの。いままで手伝わなくてよかったのが奇跡みたいなもんなんだから」
「ほえー、それはまさにブラック企業が使うような論理だこと。搾取される側は文句も言わずに働けっていうね」
「はいはい。週に3日だけなんだからカンベンしてね。ちゃんとお給料も払うから」
母親とこんなにテンポのいい会話ができるのもうらやましい限りだ。でも、それはこの家庭にぽっかりと一つの穴が空いているからこそなのかもしれない。俺はなんとなく「あの日」のことを思い出していた。
あれは小6の終わりごろだっただろうか。
俺と平は放課後はほぼ毎日一緒にあそんでおり、お互いの家を行き来する仲だった(ちなみにタイラストアは2階が自宅になっていた)。その日も、俺はヤツの家にあそびに行くつもりだったが、家を出ようとしたまさにその時、平がうちにやって来たのだ。ドアを開けると、平は今までに見せたことのないような、当惑した顔をして立っていた。その姿を見て、俺は何も言えなくなってしまった。しばらく二人で立ちすくんでいたのを不審に思ったのか、おふくろが「あれ、
「お父さんが、家に来てるんだ……」
そこからのおふくろの行動は素早かった。「よし、じゃあ出かけよう!」とひと言発すると、戸惑う俺と平を無理やり引っ張って、車に乗せ、少し離れたショッピングモールまで連れて行ったのだ。そこでは普段なかなか食せないファストフードのハンバーガーを食べたり、ゲームコーナーであそんだりして楽しく過ごした。なんだか俺ばっかりが得したような感覚になっていたが、それはやはりおふくろなりの気の遣い方だったんだろうということは、子どもながらに察しがついた。そして、「お父さん」というワードを、あんなに悲しそうに発する人がいるんだということも、初めて知ったのだ。
それからも平から父親の話をされたことは、一度もない。まぁ、無理に聞く必要もないだろう。もしこいつが話したくなったら、その時は黙って聞いてあげようと思う。
丁々発止のやり取りをつづける親子に別れを告げて、俺は帰路についた。タイラストアから自転車で3分の場所に俺の自宅の一軒家はある。
黙ってドアを開けると、廊下に立っていたおふくろが「おかえり、今日はコロッケよ」と何の気なしに言ってきた。あいたー。マダムお手製のコロッケに敵うものなどないというのに……。
2階の自室に入って、そういえば平が神社で気になるワードを言っていたことを思い出した。
「お茶をする スラング」――スマホで調べてみる。すぐに出てきた。
――童貞であること。以前、DTと呼ばれていた名残から、do tea(お茶をする)に派生して生まれた言葉。 ※「お茶をする」は、実際にはhave some teaと記すのが一般的。
【用例】「お前、まだお茶してんの?」「お茶こぼしちゃった(=初体験をしてしまった)」
………。いや、マジか。あいつ、そんなこと気にしてたのか。てか、それに対しての俺の返答、マヌケすぎなかったか? 「あ、おかわりほしいってこと?」って……。そりゃ、あいつも笑うわ。でも、俺はこの手の流行り言葉にはほとんど興味もないし、一切使いたくない性分だから、こればっかりは仕方なかろう。
まぁあいつもお年頃の男の子だってことか。この質問は聞かなかったことにしておこう。
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