パンナコッタミステリー 解決編

「それでお前、なんで俺のパンナコッタに薬入れたんだ?」


 俺がそう告げると、水川はポカンとした間抜け面を見せた。思いもよらないことが起きたときに彼女が見せるその表情を、俺は少し気に入っている。まるでひょっとこみたいだからだ。


「冗談はやめてくださいよ、なんで私なんですか」


 いかにも犯人が吐きそうなセリフを堂々と口にする水川は、喉が渇いたためか店員にアイスティを注文した。


 水川は明らかに緊張している。普段から共に行動している俺だからこそ分かる細かい違いだが、水川の顔のこわばりから何かを隠していることは確かだ。


「いや、お前しかいない。消去法だ。お前以外の人間には俺に薬を盛る理由がないんだ」


「おかしいですよ、それ。お客さんも店員さんも、たくさんいるじゃないですか」


 水川が周りを見渡しながら反論してきた。しかし、それは探偵に向かって言ってはいけないセリフだった。なぜなら探偵が犯人を断定したとき、それはもう確信を持っているからだ。


「客も店員もあり得ない。なぜなら俺は、今この店の中にいる人間全員を知っている」


「全員?」


「そうだ。俺はこの店によく通っている。だからこそ、何かあったときのためにこの店のことを徹底的に調べたんだ。この店は誰が経営していて従業員は何人いるのか。客層はどうか、どんな客が集まるのか。すべて把握している」


「……さすが探偵ですね」


 水川は少し呆れた表情を見せた。そしてその後に満面の笑み。彼女は普段の生活において時々、狂気に満ちた笑みを浮かべるのだ。すでにクライマックスが近いようだが、油断はできない。


「今店の中にいる人間は、みんな余裕を持って生活している。パンナコッタに薬を盛るなんて発想をするのは水川、お前くらいだ」


「それじゃまるで、私が余裕ないみたいじゃないですか」


 水川は楽しそうに笑った。彼女は狂気に満ちた笑顔を見せるが、その笑顔が何よりも美しいのだと俺は思う。


 彼女はとても変わり者だ。いつも面倒くさそうに仕事をするが、楽しむことには人一倍敏感だ。だからこそ探偵に向いていると思い、助手として雇った。


「楽しそうだな」


「楽しいですよ、海藤さんといるといつも楽しいです」


 やはり彼女は美しく笑う。


「海藤さんがそう言うなら、たしかに私が一番の容疑者のようですが、それならどうやって薬を盛ったというんですか。海藤さん相手に薬を盛るなんて不可能です」


「それは簡単だ。俺がトイレに行ったときに盛った」


 俺は店の端にあるトイレを指差した。この席からトイレまでは23メートルの道のり、往復で46メートルだ。また、通り道は広く、誰かと道を譲り合うことなども起こりにくいことに加えて、トイレ自体も広く混みあうことはない。


 つまり、トイレ行って帰ってくるまでの時間は短い。


「トイレに行ってたのは一分くらいですよ。しかも人目もある。飲み物に入れるならともかく、そんな短時間でパンナコッタに薬は盛れません」


「正確には58秒だ。俺の視界に入る時間を除けば50秒くらいか。たしかにパンナコッタに薬を盛るためには難しいように思える。だけどな、水川。お前、一か月前から練習してただろ?」


 そう言って俺は、ポケットからクシャクシャになった一枚の紙を取り出した。それは事務所の近くにあるコンビニのレシートだった。


「これは?」


「これは一ヶ月前に事務所のゴミ箱から拾ったレシートだ。そしてここには『パンナコッタ』を買ったことが記されている。もちろん俺のものではない。お前が捨てたものだ」


「なんで私なんですか」


「事務所には俺とお前以外は入れないだろ」


「たしかに」


 水川は納得したように頷いた。


「そして最も重要なことだが、さっきお前は『パンナコッタを見るのは初めてだ』と言ったな。つまり嘘をついた」


 俺は探偵であり、どんなときであれ、他人の言ったセリフを聞き逃すことはない。俺は一か月前に水川がパンナコッタを食べたことを知っていた。そして、水川は先ほど「パンナコッタを見るのは初めてだ」と言った。それはつまり嘘をついたということになる。


 人が嘘をつくときというのは、何かを隠そうとしていることが最も多い。


「この店に来て練習するのはリスクが大きいと考えたお前は、コンビニでパンナコッタを買って薬を盛る練習をしていた。しかも一ヶ月もの間。これはかなりの計画的犯行だな」


 俺がそういうと同時に、水川は新しく注文したアイスティを一気に飲み干した。


 水川が俺をまっすぐに睨みつける。その顔は何かを決心した顔だった。


「もう決着ですね。そうです、私が犯人でした」


「随分あっさりだな」


「もう全部バレちゃいそうですから。ならいっそのこと、自分から言います」


 全部バレる、その言葉に違和感を感じた。その言葉の意味をまっすぐ受け止めてみれば、水川はまだ隠していることがあるということだ。犯人だと告白したのにも関わらず、まだ隠していることがある。


 どういうことだ。久しぶりに俺は難題にぶち当たった。ここ数年、俺を苦しめた事件などなかった。しかし、今、俺の頭はフル稼働で問題解決のために回り出していた。


 しかし、答えが見つからない。


「まだ何か隠してるのか?」


 仕方なく俺は尋ねた。


 すると、水川は先ほどの真面目な表情のまま言ったのだ。


「海藤さん、好きです。付き合ってください」


 実にまっすぐな言葉だった。あまりに綺麗で純粋な言葉だったため、すべてを疑うことを信条にしている俺の脳みそは、危うく熱暴走を起こしかけた。


「どういうことだ、それ」


「そのままの意味です。返事をください」


「その前に、パンナコッタに毒を盛った理由を話せ」


「毒じゃなくて薬ですよ、海藤さん。睡眠薬です」


 立場が逆転しそうになる。俺が探偵であり被害者、そして水川が犯人である。それなのに、なぜか俺が押されているのだ。あるまじき事態であり、早急に現状を復旧しなければいけないのだが、こういうときの水川は強いということを、俺は長い付き合いから知っていた。


「なんで薬を盛った?」


 俺がそう尋ねると、勝ち誇ったような笑顔で水川は答える。その顔は癪に障った。


「寝顔が見たかったんです。海藤さん、絶対に人前で寝ないから。事務所だと警戒心強いし。だから一ヶ月も用意して、海藤さんが一番リラックスしているこのお店で仕掛けたんですよ」


「何言ってんだ、お前?」


「海藤さんには分からないかもしれないですけど、恋する乙女は好きな人の寝顔が見たいんです。海藤さんには分からないでしょうけどね」


「二度も言うな」


 もう訳が分からなくなってしまった。すでに探偵としての自信を失いかけている俺がいる。どうすればいい。何が正解なんだ。


「それで返事は?」


 水川はここぞとばかりに詰め寄ってくる。


 上司として、何としても負けるわけにはいかなかった。


「続きは事務所に帰ってからにしよう。いくぞ」


 俺はすぐに席を立つ。


「私の勝ちですね」


「いや、引き分けだ」




■■■ おしまい ■■■

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パンナコッタミステリー 黒てんこ @temko

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