パンナコッタミステリー

黒てんこ

パンナコッタミステリー 問題編

「このパンナコッタ、おかしくないか」


 海藤さんが突然そう呟いた。


「えっ、そうなんですか。パンナコッタ見たの初めてなんで分かんなかったです」


 私はオシャレな皿に盛られたパンナコッタを色々な角度から見てみる。しかし、初めて見るパンナコッタの何がおかしいのか見当もつかない。それでも海藤さんが言うからには何かがおかしいのだろう。


「いや、見た目じゃない。味だ。味がいつもと違う」


「味ですか」


「そうだ、味だ」


「最近味を変えたとかあるんですかね。私はこのレストラン初めてなんですけど、海藤さんはよく来るんですよね?」


 海藤さんはパンナコッタを一口食べたところで手を止めていた。そして、顎髭をなでながら、難しい顔をする。


「よく来るどころか、実を言うと俺は一時間前にこのパンナコッタを食べている」


「えっ」


 ここはイタリアンレストラン『鎌倉』。コース料理の他に、お手頃な一品料理なども出してくれるお店で、若者達からも人気が高いらしい。そして、今私たちの目の前にあるデザート『パンナコッタ』は、テレビでも特集されたことがあるほどの人気商品だ。


「一時間前? どういうことですか」


「それがな。俺はどうしてもパンナコッタが食べたかったんだよ。なのにお前は待ち合わせに遅刻。仕方ないから、お前が来る前にパンナコッタだけ食べて、それでまた、待ち合わせ場所で待ってたって訳だ」


「そうだったんですか。なんかすみません」


 私は少し頭を下げて謝罪の姿勢を見せた。自分が悪いと思っていなくとも、謝ったほうがいいときは謝るべし。大人になって学んだことの一つだ。


「終わったことはもういい。それよりもな。一時間前に食べたパンナコッタはいつも通りの味だった。それは確かだ」


 海藤さんがそう言うなら間違いない。一時間前のパンナコッタはいつも通りだったのだ。


「なるほど。ということは、この一時間の間にパンナコッタの味が変わったということですか」


「そうとも言えるな」


 海藤さんの眼つきの鋭さが増した。それは仕事をしているときの眼。


 つまり、『探偵』の眼だ。


「それでそのパンナコッタ、食べられないくらい不味いんですか」


「そういうわけじゃないけどな。とりあえず、お前のパンナコッタを一口くれ。味を比べたい」


 そう言って、海藤さんがスプーンを向けてくる。


「……いいですけど、少しだけにしてくださいね。私、パンナコッタ食べるの初めてなんで」


「分かってる。なんなら俺のパンナコッタを一口やろうか」


「いや、それはいいです」


 私がそう答えると、海藤さんは私のパンナコッタから小さく一口分掬って食べた。


「うまいな。これはいつも通りのパンナコッタだ。口に入れたとたん、雪のようにゆっくりと溶けていき、それと同時に口いっぱいに甘さが広がっていく」


「そんな食レポみたいなこと言うんですね、海藤さん」


「たまにはな」


 珍しく海藤さんが少し笑った。


「それで私のパンナコッタがいつも通りということは、海藤さんのパンナコッタだけがおかしいってことになりますよね」


「そうだな、その可能性は高い。だが念のため、もう一つ新しいやつを頼んでみよう。ついでに店員にも話が聞けるしな」


「もしかして海藤さん、パンナコッタをたくさん食べたいだけとかじゃないですよね?」


「さすがの俺も、一日に食べられるパンナコッタは二つまでだ」


「そうですか」


 海藤さんが、近くのテーブルを片付けていた店員に声をかける。その店員は爽やかな見た目をした大学生の雰囲気を纏っていた。


「はい、注文ですか?」


「パンナコッタを一つ。あと君に訊きたいのだが、この店のパンナコッタは注文されてから作るのかな?」


 海藤さんが仕事用の言葉遣いでそう尋ねた。


「いえ、パンナコッタは開店前に作ったものが冷蔵庫で冷やしてあります。そのため、すぐにお持ちできますよ」


「そうかい、ありがとう。私はここのパンナコッタが好きでね」


 海藤さんが仕事用の笑顔を浮かべる。


「ありがとうございます。それでは少々お待ちください」


 店員は質問の意図を勘違いしていたが、それでも海藤さんは十分な答えが聞けたと判断したのだろう。すぐに店員との会話を切り上げた。店員は機敏な動作で店の奥に戻っていく。


「今の質問で何が聞きたかったんですか」


「ちょっとした確認だ。気にしなくていい」


 海藤さんは深く椅子に座ると眼をつぶった。何か考え事をするとき、海藤さんは必ずこの体勢をとる。


「いいじゃないですか、教えてくださいよ」


 私がパンナコッタを口に運びながらそう頼むと、海藤さんは渋々といった感じで答えてくれた。


「一個一個作っているなら何か別のものが混じる可能性も高くなるが、一度にたくさん作っているならその可能性も低いだろう。まあ、こんなこと聞く必要はなかったんだが」


「ふーん」


 良く分からなかったがとりあえず頷いておく。


 それにしても、このパンナコッタは本当に美味しい。海藤さんが頻繁に通う気持ちも分かる。私ももう一つ食べたくなってきた。しかし、これ以上食べることは体型維持の崩壊を意味する。


「お待たせしました」


 そして、私と海藤さんがそんな会話をしている内に、さっきの店員が新しくパンナコッタを持ってきた。


「ありがとう」


 海藤さんは店員からパンナコッタを受け取ると、すぐに一口食べた。


「やはりうまいな。間違いない。いつも通りのパンナコッタだ」


「ということは?」


「俺が食べたパンナコッタだけがいつもと味が違うパンナコッタだったということだな」


 そこで海藤さんが真剣な眼で私を見た。


 何と力強い探偵の眼だろうか。そんな眼で見つめられた私は少し緊張してしまった。手汗がジワリと滲む。


「まあ、そうなりますよね。でも結局どういうことですか。海藤さんのパンナコッタだけ味がおかしいって」


「つまり、俺を狙ってこのパンナコッタに薬が入れられたということだな」


 一瞬、時が止まる。


 突然の物騒な単語に驚いてしまった。


「薬? 薬を盛られたんですか、海藤さん!?」


 私の焦った言動とは裏腹に、海藤さんは落ち着いた態度を崩さない。


「ああ、これは味を巧妙に偽装されているが、何かしらの薬だな。おそらくは睡眠薬。このパンナコッタのクリームに混ぜてあった」


「ええ、どうするんですか、こういう時って。警察ですか。警察を呼ぶんですか」


「いやいや、落ち着けって」


「落ち着けませんよ。海藤さん、毒盛られてるんですよ!」


「毒じゃない、薬だ。それにだいたい目星は付いている」


「目星? ……本当ですか」


「本当だ」


 そう言うと、海藤さんは新しくきたほうのパンナコッタを綺麗に食べ切った。そして、小さく「ごちそうさま」と呟く。


 私は少し喉が渇いていたが、さっき注文したアイスティーはすでにもうなくなっていた。無意識の内に飲み切っていたらしい。喉が渇いたまま、私は海藤さんの次の言葉を待つ。


 この間が、私には数秒にも数時間にも感じられた。


「それでお前、なんで俺のパンナコッタに薬入れたんだ?」




■□■□■□




*次の一文あたりで一時間経過。

"海藤さんが、近くのテーブルを片付けていた店員に声をかける。"


*睡眠薬がパンナコッタのクリームに混ぜられるのかどうかは不明です。





 

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