羅刹界
夢遊猫
第1話 名も無き獣
───この星は繁栄する種族の選択を誤った。
───この星は神の在り方さえ間違えた。
───あらゆる罪に。あらゆる不浄に。あらゆる穢れに。あらゆる命に。
───憐れみと慈しみを以て。
───罰を。決別を。許しを。与えましょう。
────嗚呼。夢を見た。夢を見た。
とても穏やかで優しくて。冷たくて。悲しくて。甘い夢を見た。
───人類は間違いなくこの惑星で最も栄えた知性体となった。地の果ても。海の底も。地球の核も。宇宙(ソラ)の果てさえも解析し尽くし曝き尽くさねば満足しない、無尽蔵の知恵と欲望を有する獣。それこそが人類種である。
だがそれは最早過去の話に成り果てた。
なんの前触れもなく、『ソレ』は世界中に現れた。
宇宙からの侵略者でもない。生態系の変化から生まれた新種でもない。過去からの復讐者でもない。正体も、目的も、出自も、生態も全てが未曾有の規格外(アンノウン)。
ある日突然。誰にも知られず、悟られず、『ソレ』は急速に増殖し成長し繁栄した。否。寄生したのだ。人類種に。
───夜空に浮かび上がる星々をばら蒔いたかのような虚構の輝きに彩られたとある夜の街。
その片隅、人気もない路地裏で聞き苦しい金切り声のような、狂った蓄音機から漏れるノイズのような不可解な呻き声と溝に溜まった汚水と腐敗した死肉が混ぜ合わさったような悪臭が漏れ出る。次いで無機質なコンクリートの壁には緑色のゲル状の血が飛び散り弧月を描くように付着する。
真夏にも関わらず暑苦しい真っ黒なコート姿と白髪と仄かに赤い瞳が特徴的な男の手に今時古風すぎるくらいに古風な、草臥れた日本刀が握られており、その鋒は哀れな被害者の体に深々と突き立てられている。
磔にされているその被害者の有り様は異様そのものであった。表皮は至ってありふれた見た目のスーツ姿の成人男性だ。しかしその顔は半分は爛れ変質しており身体中は何処もかしこも抉り取られその傷口から露出した内臓や骨格、血肉は見て一目で分かるほどにはおよそ人間の其ではない。どころか爬虫類とも甲殻類とも言い難いグロテスクな脚のようなモノもところどころ飛び出し痙攣している。
「ギ、ギザマ…ナ、何故邪魔ヲスル…!?コンナコトヲシテ──!!?」
「タダじゃ済まない、か?笑わせる。羽化どころか発芽もしてない三下如き潰したところで親が動くわけもなし。それなりの数を食ったみたいだがたかが運搬係がほざくな。そら。さっさと逝くがいい。」
「オ、オノレェェェッ!!?」
「嗚呼、しんどい。臭い。汚い。雑魚をチマチマ狩るのは面倒だが一般人に見られるのはあまり好ましくないからな…さて、帰るか。」
不意に刃を鞘に納める音が響くと同時に壁に磔にされ痙攣していたスーツ姿の男の体が真っ二つに裂けた。どちゃり、と生々しくも瑞々しい肉が切り裂かれ地に墜ちる音が響く。直後死骸や飛び散った肉片や血液が異様な速さで霧散し消滅していく。
事も無げに白髪頭のコート姿の男が愚痴を漏らして速やかに現場を後にし夜の街の人混みに溶け込んでいく。只一つだけ異様な点があるとすれば、彼の存在に気付く者は周囲には誰もいない事ぐらいだ。
街の片隅にある今は最早使われていない廃ビルの6階に居を構えている男が事務所風の自宅に帰宅する。乱雑にコートを脱ぎ捨て愛用している刀も床に放り投げて冷蔵庫に貯蔵しておいたビールを一気に飲み干し眠りにつく。
そも、この男もまた人間ではない。さりとて先程のスーツ姿の男の姿形をしていた異形と同族でもない。されども人類の味方という訳でもない。
彼は忌まわしき魔でありながら『異端』を狩る名も無き獣。
──これより始まるは、とある名も無き獣の物語。
羅刹界 夢遊猫 @nekoyume4894
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