雨がやむまで待って

水泡歌

第1話 雨がやむまで待って

「雨がやむまで待って!」

 私は母にそう叫んだ。



 今日、私はこの町から出ていく。このことは誰にも話していない。

 1週間前、急に決ったことだから。ちょうど夏休みで学校も休みだったから。

 ……もう、あいつにも会えない。

 その思いが胸をしめつける。

「ちい、もう行くわよ」

 母が玄関から呼びかけた。リビングにいた私は立ち上がり、玄関に向かおうとした。

 その時、何もないはずの床に何かが落ちているのを見つけた。

 引っ越しやさんが落としたのだろうか。しゃがんで見てみる。

 キーホルダーだった。あいつからもらったものだ。

 急に思いがあふれだす。もう止められない。

「ちい、何してるの? 早く行くわよ」

 母がしびれを切らしてリビングに来たとき、その思いと一緒に私は叫んだ。

「お母さん! 引っ越しするの待って!」

「え? 何を言ってるの? そんなこと出来るわけないでしょ?」

 いぶかしげな顔で私を見る母。

「じゃあ、せめて、この雨がやむまで……雨がやむまで待って!」

 私はそう叫んだ。

 母はびっくりした顔で私を見た後、外を見た。静かに言った。

「分かったわ、あなたのそのお願いきいてあげる。けど、本当に雨がやむまでだからね」

 私は無言でうなずいた。

 外に雨が降っていたから。そんな理由で言った私のわがままだった。


 私は携帯であいつを呼び出した。

 青い傘をさして私の家まできたあいつはとてもだるそうだった。

 時間は午前10時。いつもなら寝ている時間のはずだ。

「なんだよ、いきなり呼び出して」

 一つ大きなあくびをしながらあいつが言った。

「うん、実はね。私、今日、引っ越すの」

 軽い調子で言った私の言葉にあいつは眠そうな目を一瞬で見開いた。

「え?」

「びっくりした? けど本当のことだよ」

 無理矢理笑顔を作る。

「なっ、だってお前そんなこと一言も」

「うん、だから今言った。友達のあんたには言っときたくて」

 友達? 心の中の私が悲しく笑った。

「急すぎるよ、バカ。何でそんな大事なこと早く言わないんだよ」

「だってしょうがないじゃない。一週間前、決ったんだよ。荷物の整理とかで忙しかったんだから」

「そっか。……そうなんか」

 下を向くあいつ。

「場所は北海道。東京からだいぶ離れてる」

「そっか」

「……座ろっか。って言っても地べたで悪いんだけど」

 私が玄関のドア前の石段をたたく。

「いや、俺はいいけど、お前はいいのか? そこ、微妙にぬれてるぞ」

「全然大丈夫。私はここが良いの」

 ここにいるタイムリミットがよく分かるから……。

「じゃあ、おじゃまします」

 あいつは傘を壁に掛け、私の横に座った。少しあいつのぬくもりが伝わった。

 少しの沈黙。

「ねえ、これ。覚えてる? 高1の遠足であんたが買ってくれたの」

 私はさっき見つけたキーホルダーをポケットから出した。

「ああ、この変なやつな。おれがギャグでお前に買ったやつ」

「やっぱり冗談だったんだ。確かにこのドラ○モンのまがいもの、全くかわいくないしね」

「よくそんなの持ってたなあ。とっくに捨てたと思ってた」

「別に、何か捨てるのもったいなかったし」

 本当はあの時から1年。ずっと大事にしてた。

「……なあ、俺たちが仲良くなったのってこんな雨の日だったよな」

 外を見ながら懐かしげに話すあいつ。

「そうだね。あんたがびしょぬれになって帰ってた日」

「そう。その日、傘忘れて、しょうがないからぬれて帰ったんだ。ビショビショになって帰ってたらお前が傘を差しだしてきた」

「一応知ってる顔だったし、何か遠くから見て惨めに思えてね」

「惨めって……。まあ、いいけど。それで帰る途中しゃべった。それからのつきあいだ」

 そう、それから私はこいつが好きになっていった。

「うん」

「出会いも雨で別れも雨……か」

 あいつが雨を見つめて寂しげに言う。

「うん」

 2人で黙って外を見つめる。私は思う。雨よやまないで、と。

 どうか、どうか、この人と一緒にいさせて、と。

 やまない雨などないと知っている。これは私の勝手なわがままだ。

「なあ」

 あいつが突然静かに言った。

「ん?」

 少し涙声だ。私。

「引越祝い。何が欲しい?最後だし何でもやるよ」

「何でも?」

「ああ、何でも」

「……言葉」

「え?」

 私はたった2文字の言葉が欲しい。母に無理を言ったのもこのためだ。

「……」

 黙るあいつ。見つめる私。

 雨が小降りになってきた。時間がない。

「……俺、」

 うん。私はうなずく。

「俺、お前が……」

 そこまで言ったところだった。……雨がやんだ。タイムオーバー。

 母が玄関から出てきた。

「ちい、行くわよ」

「うん」

 後ろ向きで私は答える。

 私たちは友達で終わったのだ。

 私は立ち上がり、車に乗った。

 あいつは顔を下に向けて座っている。

 発進する車。

 遠ざかるあいつ。

 瞳から水があふれだす。大洪水だ。大雨だ。しばらくやまないだろう。


 こんな時にやまない雨が降るなんて。

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雨がやむまで待って 水泡歌 @suihouka

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