025「そろそろ、アタシはタイムリミットだ」

 ライブの夜の空模様は、コウからすれば酷い砂嵐だった。

『砂の■星』の前奏とともに、ステージの脇から登場する。砂漠の夜空はどこまでも暗く、スポットライトの光が、宇宙の果てまで届いてしまいそうだ。


「みなさん、こんにちは」


 轟くほどの歓声が、真っ黒な空に響いていく。

 コウは口角を引き裂き、ダイヤモンドのような笑みでめいっぱい拳を上げた。

「さあ、干乾びるまでついてこいよーッ!」

 そうしてコウは歌いだす。観客はみな砂漠の民、ステージを囲うのは廃墟の街だ。何も難しいことを考えなくても、この曲には誰もが自分を重ねられる。

 シェルターを覆う半透明なドームには、絶えず金色の砂が滑っていた。じりじりと照らされる太陽の下で、人々はこの地が干乾びるその日まで耐え抜いてゆくのだろう。

 そういえば、かつてユダヤの神は砂漠から生まれた。けれどもこの列島に絶対神はいない。


 だからこそ必要なのだろう。

 現実を受け入れるための虚構が。

 あるいは、現実から逃避するための虚構が。


(きっとそろそろ、アタシはタイムリミットだ)


 パーカッションのリズムに身体を揺らしながら、コウはそんな予感を感じていた。

 ただ一つの分岐イベント―—そのためにコウは存在している。

 終幕か、継続か。

 ニシキが選ぶための分岐イベント。

 その「とある選択」を暗に提示し、遂行させることこそ、コウの存在意義のすべてだった。

(といっても、もう五回目、、、だし……。アタシが期間限定イベントだって、ファンのみんなも分かってくれているはず)

 ステップを一つ一つ踏みながら、そんな打算を組み上げていた。

 今までの四回は、コウというプログラムがまだ成熟していなかった。アイドルとしてはニシキの足元にも及ばなかったから、今日という日まで辿り着けなかった。

 けれど今回ばかりはうまくいった。

「ありがとうございました! 『砂の■星』でした!」

 恒星のもたらす熱量を越えて、歓声がステージを震撼させる。

 こんなに人々を魅了できたのは、現在のコウがはじめてだ。

 だからこそ―—今回が本当の分岐点。

 ニシキが、どちらの世界を選ぶか選択する日がやってきたのだ。


(まあ、ぜんぶニシキ次第だけどね)


 舞台袖では、水色の少女がスタンバイしていた。

 その表情は、かつてよりもどこか力が抜けていて、コウは驚きに眉を上げる。

(なにか秘策でもあるのかな)

 人気なんて時の運。だからこそ、これから先のニシキに必要なのは、勝利ではなく進化すること。星が墜落して恐竜のように滅ぶまで、進化し続けることなのだろうと思う。

 しかし新曲を用意した程度では、いままでのニシキと大して変わらない。

 一体、どうするつもりだろうか。


「コウ」

 すれ違う瞬間声をかけられて、コウはそっと歩みを止める。

 ニシキにちゃんと名前を呼ばれるのは、はじめてだ。


「今日のボクのこと……ちゃんと見ていてくださいね」


 振り向けばステージライトの逆光となって、不屈の笑みが咲いていた。

 どうやら心配は無用のようだ。


  ❅


 アンデリカはパソコンの前に座り、ただそのときを待っていた。

 画面に映るのは、もちろんフジ・シェルターでのライブ中継である。

 コウによるパフォーマンスも終わり、そろそろニシキが登場するはずだった。


「あっ……! アンデリカ! ニシキが!! ニシキが!!」

 隣で身を乗り出すクリストファー。

「あんたのせいで見えないわよ」

 アンデリカは顔を歪めて、クリストファーの頭を片手で押さえつけた。

 しかし、

「―—え?」

 ニシキの姿を見止めた瞬間、彼女は思わず素っ頓狂な声を上げることになる。


「なんなの、これ」

「ね! ボクもびっくりした……!」

 二人はモニターに釘付けになる。

 ステージに現れたニシキはなぜか、十歳にも満たない少女の姿をしていたのだ。


  ❅


 遡ること、一週間前。

 まだクローンの国に滞在していたニシキは、常にクリストファーの後を付いて行動していた。


「あの……ニシキさん? どこまで俺に付いてくるんです?」

「どこまでもです」

「えええ……?」


 会長クリストファーは、気まずそうに長いえりあしを指に巻き付けていた。

 ここは宿泊していた施設のロビーだった。二人の他には誰もおらず、ソファに座れば窓の外にはちらほらと青空が見えていた。


「すみません。次のライブまでにどうしても、あなたのことをもっとよく知っておきたいんです。新曲は見つけられそうですけれど、それだけじゃ何か足りない気がして」

 ニシキは次の新曲を、このクリストファーのために歌うと決めていた。

 それならば、もっと彼のことを知るべきだ。

 自分のことをそんなにも好きでいてくれる、一人のはかない人間のことを。


「この国にいる間は、なるべくあなたを近くで見ていたいのですが……。もしかして嫌だったですか?」

「い、いや……。ファンクラブのメンツから殺されないか心配なぐらい光栄だし……気が狂うほど嬉しいんですが……。その、俺にも俺のプライベートってものが……」


 クリストファーは何かを隠すように身をよじる。心なしか、その顔は火照って潮紅していた。よく見ると彼は、脇に小型タブレットを携えていた。


「もしかして、そのタブレットで隠れて見たい動画でも?」

 クリストファーの肩がたちまち跳ねた。

 どうやら図星みたいだ。

 確かに、せっかくこの国では、旧世界のネットワークに接続できるようになったのだ。クリストファーだって、隠れて視聴したいあんな動画や、こんな動画があるのかもしれない。


「わ……分かりました。じゃあボクは一度外に出ているので、その……終わったら呼んでください」

「ちょ、待って! やっぱりニシキさんも一緒に見よう!」

「へっ……!?」

 ニシキはぎょっと顔を赤くする。

「大丈夫。俺だってはじめて見るからドキドキしてるけど、すごい良いって他の奴らも言ってたし!」

「え……ええと」


 ニシキのハードは大混乱していた。まさかこのクリストファーが、そんな大胆なことを言ってくる人間だとは思っていなかった。ニシキはAIだから、厳密には性別というものはないのだけれど、一応少女型なのだからあまり彼のプライベートに近づきすぎるのも健全ではない。そもそもアイドルとしてアウトのはずだ。


「再生準備できました!」

「あの、やっぱボク、」

「いいから気にせず、一緒に見ましょう……! クリストファーに話題の名曲を!」

「……はい?」


 ニシキは目をぱちくりと瞬かせる。


「あれ、知りませんか? れでごの曲ですよ。れでご~~♪って曲。あの曲の原典となる動画が、旧世界ネットで見つかったんです」


 そのときニシキは思い出した。いつかミナトク・シェルターで出会ったクリストファーが、そんな歌を歌いながら階段を駆け上がっていたような気がする。「クリストファーの遺伝子に刻まれた曲」とも言っていた。

 まさか、あの曲の動画を、旧世界ネットで見ようとしていたのか。

(はぁああ~……)

 思わずへなへなと脱力するニシキ。


「な、なんでそんなに恥ずかしがったんですか……」

「だって、ニシキさん以外の音楽に浮気しているのが申し訳なくて……」

「なるほどそういうことだったんですね……。ボクはてっきり、もっとアレな感じの動画なのかと……」

「アレな感じの動画!?」

 クリストファーが再び耳まで潮紅させるので、かえってニシキは口をつぐんだ。人間の情緒はやはり予測できない。

 にしても隠れて見たがるとは、彼もよほど「れでごの曲」とやらが好きらしい。クリストファーがみなニシキを気に入るように、その曲もクリストファーの心に遺伝子レベルで刺さるサウンドなのだろうか。


「で……では再生しますよ」

「どうぞ」

 ポチ、と画面がタッチされ、その動画は再生された。

(嘘。……これって)

 ニシキはたちまち目を丸くする。 

 てっきりミュージックビデオなのだから、自分と同じような服装のアイドルが、ステージで歌っている動画なのだと想像していた。

 

 けれど違う。

 動画のなかに広がっていたのは、虚構、だった。

 非実在の舞台で、非実在のキャラクターが、歌い、吹雪の夜を進んでゆく。その手のひらから魔法を繰り出していく。


(この歌はそもそも、物語のワンシーンだったんだ……)

 ニシキはこのとき、自分の歌も虚構で―つまりは物語であったことを想い出した。

仮想バーチャル」を越えた、「虚構フィクション」。

 ただ一つの差異は、物語性。

 はじめから物語を歌っていたのに、いままでそれをほとんど意識してこなかった。

 けれどこの動画はどうだろう。吹雪のなかで歌う彼女(ヒロイン)は、このワンシーンのうちに変化していく。言葉はモノローグとして放たれ、旋律の連なりは、心のありようを流動化させ、彼女の変化を加速させる。失意から曙光へ。曲の最高潮を迎えた朝焼けのシーンでは、もはや歌いはじめたときの彼女とは別人だった。


「……すごい」


 物語として演出された音楽は、約束され尽くしたような美しさを内包していた。

 音楽も物語も、時間という見えないパッケージによって進行する。二つは元からよく似ていたのだ。どちらも時間の流れを利用した人工的な魔法で、メロディーも起承転結も、時間の経過によって記述される。


(だからこそ変化がよく映える。こんな魅せかたができる力が、ボクにもあったら……)


 そう思い至ったときだった。

 ニシキの脳裡に、いつかのコウとの会話が蘇る。


『―—だってニシキは、普通にやればアタシなんか簡単に圧倒できるアイドルだろう?』


 コウは頻繁に、そんな不可解なことを口にしていた。

 ニシキはそれがずっと、心のどこかでは気になっていたのだ。


『まったく意味が分かりません。現時点でボクに圧勝しているあなたが、どうしてボクの勝利を確信しているんですか』

『それはもちろん、知っているからだよ』

『何を』

『ニシキが持っていて、アタシには絶対マネできない能力をだよ』


「—―!」

 ニシキは身体を震わせた。

 ニシキにも、手のひらから繰り出すことのできる魔法なら、あった。

(そうだ)

 毎日、コウにホログラムの料理を作っていたことを想いだす。


 自分にあってコウにない能力―—それは、ホログラム生成能力、、、、、、、、、に他ならない。


「ありがとうクリストファーさん! 分かりました!」

 動画を視聴し終えたニシキは、勢いよく立ち上がってクリストファーを振り返った。

 ホログラム生成能力と、物語性―この二つが鍵なのだ。

 これらを使いこなせば、いままでよりもっとずっと、クリストファーに響くパフォーマンスが可能になる。


 トラックの上で泣いたあの夜から、止まっていた時間は動きはじめる。

(これからボクも、変わり続ける)


 そんな一つの確信が、ずっと刺さっていたつららを溶かすような熱をもって、ニシキの胸を焦がしていた。

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【200PV大感謝】虚構少女は終末ライブの夢を見るか  液体金属 @nasuo3

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