023「夢どころじゃ、ないですよ」
探していた彼に間違いない。首筋まで伸びた銀色の髪は、今思えばクリストファーたちのなかでも珍しい髪型だった。
その部屋は狭く、ニシキと彼の他に誰もいなかった。天井には古びたライトが一つだけ灯され、アームが無数に伸びるベッドの上を照らしていた。おそらく彼の脳を取り出す「施術」は、遠隔で行なわれるものだったのだろう。
「……びっくりした。ニシキさんだ」
ふわりと、
彼は泣き出しそうな笑みを浮かべた。
「どうして」
ニシキは声を震わせる。
自分でも驚くほどに、人間的な温度が喉からあふれた。
「どうして、こんなところにいるんですかっ……!? このままじゃクリストファーさん、今度こそ道具になっちゃうんですよ! それなのに―—!」
厚い壁に跳ね返されたその声は、反響することなく消えてゆく。
クリストファーは薄く目を伏せて、「いいんです、これで」と小さくつぶやいた。
「俺が自分から、このコンピューターの基幹になりたいって志願したんです。俺はクリストファーでいるのも、クローンでいるのも嫌だった。自分では俺は俺だって思っても、周りはそうは思わない。シェルターにとって俺はクローンだし、この国の人間にとって俺は、クリストファーの同族だ。……俺は『ただの俺』になりたかったのに」
クリストファーは遣る瀬無さそうに銀髪の毛先をつまんだ。指先から零れた銀色が、はらはらと首筋に落ちてゆく。
「けれど、この国でこのコンピューターを造る計画が進んでいることを聞いて、思いついたんです。このコンピューターの基幹になれば、今度こそ俺は、ただ一人の俺になれる。他のクリストファーとは『別格』になれる。……俺の夢を叶えるには、もうこれしかないって思ったんです」
ニシキはゆっくりと首を振った。気付かないうちに、涙が両目から零れていた。
「いやです……。だって、コンピューターになってしまったら……もうボクのライブに来てくれないじゃないですか」
「でも、俺が応援に行かなくたって、ファンが一人消えるだけだ。他の沢山のクリストファーたちが、いつだって君を応援するよ」
『ファンが一人消えるだけ』
そのときニシキの脳裡に、以前のライブの結果がよぎる。
氷河期派 65349
砂漠派 96532
きっと、数字がすべてだった。
クリストファーさえも、あの結果の前では、ただの数字の「1」に過ぎない。
無数にいるクローンの一人にすぎないのと同じように、数いるファンの一人にすぎない。
大事なのは数字であり、人気であり、結果だった。九万人という、圧倒的なファンの数に追いつかなければ、コウに勝つことはできない。
だから、深すぎる愛なんていらなかった。
どんなにクリストファーたちに愛されても、それだけではコウには勝てないのだ。上位互換が存在するならば、存在意義すら分からない。
いっそアイドルなんて辞めてしまおうと思っていた。
いまだってそう思っている。
思っているのに。
(どうしてクリストファーさんがいなくなることが、こんなに悲しくて、耐え難いんだろう)
はらはらと、ホログラムの涙がこぼれていった。
ニシキはクリストファーの言葉を思い出す。
『―—でも、ニシキさんのライブに行ったときだけは違った。いつだって本当に楽しくて、この気持ちは俺だけのものだって思えた』
声にもならない嗚咽が、喉の奥からあふれてゆく。
彼のことを、このまま消してしまいたくはなかった。
自分という存在が、自分の歌が、スター性が、何一つ目の前の青年を救えなかったことが悔しかった。
「クリストファーさん」
ニシキはかすかな声を絞り出す。
涙を拭ったニシキは、ありったけの思いを乗せてクリストファーを見上げる。
「次、新しい曲を見つけたら、その曲はあなたのために歌います。……人気のためでも、コウに勝つためでもなく、あなたのために歌います、だから……」
そのときニシキのシステム内に、小さな閃光が爆ぜた。たった一つ意思決定が、ニシキの存在を再・規定したのだ。
〈dl〉
〈dt〉dd『ボク』〈/dt〉
とは常に、〈dd〉『進化を求めるモノ』〈/dd〉である。
そして〈dt〉dd『進化』〈/dt〉とは常に、
〈dd〉『なりたい自分:叶えたいことを、余すことなく実像とすること』〈/dd〉である。
〈/dl〉
「だから、まだ行かないでください。あなたをそんなふうに絶望させないためなら―—ボクはもっともっと、魅力的なアイドルになってみせる」
そうして紡ぐ一縷の言葉は、誓いであり、叫びであり―—約束だった。
二人の間にあった透明なだけのつながりは、いま宇宙にも等しい広がりを得て、あらゆるリアルを内包してゆく。
結果も、数字も、定理さえ。
この約束は飲みこんで、熱を与える。
「……はは、」
クリストファーの瞳の奥が、ゆっくりと歪んで、揺れていった。
彼はゆっくりと目を閉じた。銀色のまつ毛からみぞれのような涙をこぼれてゆき、その唇が弧を描いていく。
「……夢みたいなことを言ってくれる」
そのとき浮かべた彼の表情に、ニシキは胸がいっぱいになってうなずいた。
「夢どころじゃ、ないですよ」
これでもボクは〈虚構体〉ですから、そんなふうに付け加えると、 クリストファーがようやく顔を上げた。
その狂おしい表情に、ニシキは目を丸くする。
彼は未来永劫、どんなクローンにも再現不可能なほど、くしゃくしゃでな泣き笑いを浮かべていたのだ。
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