022「天才科学者の脳ならば」
そこは、いわばこの国のランドマークとなる遺跡だった。
ビルは中腹でボキリと折れるように倒壊しており、かつての先端部が地に深々と刺さっていた。
辛うじて原型をとどめている入口には、真鍮製のプレートに「クリストファー国立研究所」と書かれた看板が吊るされている。
(研究所……しかも国立)
この国にはクリストファーしかいないのに、わざわざクリストファーと明記されているあたりにムズムズとするニシキだった。
とにかく、このなかに彼がいるはずだ。ニシキは勇んで足を踏み入れたが、しかし。たちまち三方向から伸びてきた警棒が、ニシキのボディに突きつけられる、
「関係者以外、立ち入り禁止だよ~」
「ニシキちゃんだろうと通せないよ!」
「……これも仕事なので」
聞き覚えのある口調の三人。
(この子達は……)
彼らは先日ニシキとともに格闘ゲームに興じた、ちびっこクリストファートリオだった。
三人とも鍔のついた警官帽を被って、ニシキを奥に通すまいと迫ってくる。
「あの、ボク、会長さんに会いたくて……」
「あぁあ~……。だよねえ……」
「そろそろ来ると思っていました」
「……困った」
ちびっこクリストファーたちは、三人とも苦々しい顔でニシキから目をそらそうとする。
しかしニシキとて、国中探してここまで辿りついたのだ。このままではフジ・シェルターへの帰り道も分からないし、とにかくここで引き下がるわけにはいかない。
ニシキは強硬手段に出ることにした。
「会長さんのところに案内してくれた方には、後でボクとツーショットを撮る権利を差し上げます」
「「「うっ……!」」」
「お望みでしたら、サインも付けますが、いかがですか」
「「「こ……こちらへどうぞ……」」」
効果は抜群だ。三人のクリストファーたちはプルプルと震えながら、施設の奥へとニシキを案内してくれた。
彼がいるのは、どうやら地下五階であるらしい。薄暗い螺旋階段を降りて、鉄の壁が分厚い通路を、奥へ奥へと進んで行った。
「ここの部屋の、どこかにあの人がいるはずです……」
生体認証をあっさりと完了させ、分厚い扉が開かれる。
「これは……」
目に飛び込んできたのは、地下階層を突き抜けて設置された大水槽だった、ゆうに十メートルの高さはあるだろう。表面の硝子はブラウンに着色されているみたいで、なかの液体は緑色に見える。
「一体何ですか、これ……」
「開発中のコンピューターだよ!」
「これが完成すれば、この国は他のどんなシェルターにも負けない国力を持つことができるんです」
「……まさに超兵器」
三人のクリストファーたちは口々に応える。
それでニシキはピンと、クリストファーの言葉を思い出した。
『もうすぐ国がかりで大きな実験をするそうなので、その準備を手伝っていたんですよ』
彼の言っていた実験とはおそらく、このコンピューターを開発することだったのだろう。
(けれど……)
ニシキの目には、これがとてもコンピューターのようには見えない。緑色の液体のなかには、
それだけではない。ニシキはこれとよく似た装置をどこかで見たことがある。いつか、博士の看病をしていた病院が、これとよく似た装置を所持していた。
「まさか、これは生命維持装置……?」
「気づいてしまいましたね、ニシキ様」
三人のクリストファーたちは、たちまちニシキの後ろに隠れる。振り向くと声の先にはいたのは、白衣を纏い、前髪をきっちりと分けた青年だった。
(もしかして、この口調は……)
間違いない。彼はいつかの執事クリストファーだ。ちびっこ三人と同じで、普段はこの研究所に勤務していたのだろう。
「……会長さんは、どこですか」
「彼なら探さないほうがいいですよ。あなたが引きとめてしまっては、この国は永遠に発展しないのですから」
「発展……?」
ニシキが顔を曇らせると、執事クリストファーは薄ら笑みを浮かべて水槽へと近づいた。
「この国の存在は、まだどのシェルターにも見つかっていません。ですが発見されるのも時間の問題。もし発見されれば、各シェルターは同盟を組んででも
「……そんなことって」
「この国に住まうクリストファーは、シェルターの支配から自由になりたくてこの国に来た者がほとんどです。ですのでシェルターが力づくで私たちを連れ戻そうとした場合、こちらも武力行使するほかありません。そしてシェルター連合という仮想敵国に対抗するためには、一億のドローンを精密に……しかも一斉に操作する有機性並列分散処理コンピューターが必要なのです」
「有機性並列分散コンピューター……?」
「はい。本当は、旧世界で覇権を握っていた量子コンピューターを造りたいのですが、こんな環境下ではそれに必要なレアメタルが入手できません。
だから我々国立研究所は、別なところに部品を求めた。有機物か無機物かを問わなければ、コンピューターの部品と成り得る高度な回路なんて、はじめからすぐ近くにあったんですよ」
白いライトに照らされて、青年の影が黒く伸びる。
ニシキは再び水槽を見上げた。まるで生命維持装置のような……しかし人ひとり入らないような、チューブでつながれた球状のポッド。
(まさか)
ニシキはこみ上げてくる悪い予感を、喉の奥から押し出した。
「まさか、その部品って……」
「そうです。この時代に於いてコンピューターの回路に適切な素材は、人間の脳—―
その言葉を聞いた瞬間、ニシキは鉄砲玉のように走り出した。
なんてことだ。
この国は兵器となるコンピューターを作るための資源として、彼の脳を使おうとしている。
彼を「物」にしようとしている!
ニシキは積みあがった機材をすり抜けて走った。
どこか――この部屋のどこかに施術室があるはずだ。まだ間に合う。きっと間に合う。
「クリストファーさんっ!!」
ニシキは水槽の裏、扉を抜け、赤いランプの灯った施術室の扉を開け放つ。
その向こうに立っていたのは、白いワイシャツを着たクリストファーだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます