020「ただの俺になりたかった」



 夢から醒めたニシキの顔を、朝陽は無言で照らしていた。涙が静かに目じりをすべって、耳のほうへと流れてゆく。

〈虚構体〉だって夢を見る。スリープ中に自動でメモリの圧縮や消去が成されるから、その過程で回想とも幻覚ともつかない体験をするのだ。


「おはようございます、ニシキさん」

「っ!?」

 

 その声に飛び上がって布団をはねのけると、窓際に銀髪の青年が座っていた。

 メガネはかけていなかったけれど、どこか不器用そうなその声で、ニシキには彼がファンクラブ会長のクリストファーだと分かった。


「クリストファーさん……」


 ニシキはベッドから飛び降りると、クリストファーの横に並んだ。

 窓は開いていて、白いカーテンがはためいていた。いつもあらゆる手段でニシキに会いに来るのがクリストファーだ。もしかすると彼も、なんらかのテクノロジーを使って窓から入ってきたのかもしれない。


「あの……今までどこに居たんですか」

「もうすぐ国がかりで大きな実験をするそうなので、その準備を手伝っていたんですよ。でも、なんだか今になって、ニシキさんと話したくなってしまって」


 そう言ってクリストファーは、窓の外に視線を移す。

 ニシキもつられて外を眺めると、広場らしき場所にクリストファーたちが集まっている様子が見えた。おそらく例の、ニシキのライブを眺めるという朝の集会だろう。


「この国のクリストファーさんってみんな、シェルターにいるのが嫌だったんですか……?」


 ニシキがなんとなく抱えていた疑問を投げかけると、クリストファーはひどく大人びた表情で目を細めた。


「俺たちにも色々なタイプがいますよ。単純に好き勝手に実験したいから、同族と暮らしたほうがうまくいくタイプ。シェルターに生み育てられる自分を、道具のようだと感じてこの国に逃げてくるタイプ……。逆に、クローンだからこそ〈クリストファー〉は永遠で、総体としては神をも超えられると思っているから、シェルターの管理を苦とも思わないタイプだっています」


「それなら、あなたは……?」


「俺は、シェルターに居るのも、この国に居るのも合わないんです。俺はクローンでもクリストファーでもなく、ただの俺になりたかった」


 ニシキは、目を見張って彼のことを見あげた。


「誰だって俺の顔を見たら、『クローンだ』とか、『クリストファーだ』って思うんでしょうね。でも、ニシキさんのライブに行ったときだけは違った。いつだって本当に楽しくて、いくらクリストファーが沢山いようと、この気持ちは俺だけのものだって思えた」


 ―—だから、ありがとうございます。


 と彼は目を細めて、窓から差し込む陽ざしに軽く手をかざした。地平を端から端まで洗うような光がその手の甲を白く照らし、銀色の髪にかえって漆黒の影を落としている。

  

(この人の気持ちは、この人だけのもの……)


 銀色の上の、黒。

 ニシキはたったいまはじめて彼に出会ったような心地で、その横顔を見つめていた。


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