018「同じ空気を吸うだけで良い」


 ニシキが〈虚構体〉でなかったなら、二十回は圧死していただろう。

 大通りを賑わせていたクリストファーたちは、ニシキへと一斉に駆け寄ってきた。


「わーーー!! すごいすごい! 本物だ!」「サインちょーだい!」「えっと、後でバーチャル握手会を……」「一生のお願い!! ツーショット撮りたい!!!」「えっっ???? えっ???? 何これ、夢ですか???」「ありがたや……ありがたや……」「これっ! 五年間書き溜めたファンレターです!」「はひ……はひ……」「ボクは同じ空気を吸うだけで良い」「どうしようどうしよう」「可愛すぎワロタ」「待て。そもそも誰が連れてきたんだ?」「シェルターの罠では?」「いや違うって! 例の会長だって!」「えー! 会長だけエスコートしてズルい! ファンクラブ会長だからって!」「あ……あの……そんなに集まったらニシキちゃんが困っちゃうと思うんだけど……」「ひゃぁぁああひゃぁああ」「俺もう、今日もう死んでもいい……」


 押し寄せる大小さまざまなクリストファーたちが、ホログラムのボディをもみくちゃにするほどの勢いで集まってくる。

 いくら〈虚構体〉だろうと、〈核〉が破壊されたら取り返しがつかない。


(あ……これは死んじゃうかも……)


 さよなら現世。ニシキは明日の早朝のニュースに、「バーチャルアイドル・ニシキ、自らの人気のために死亡」という見出しが躍るのを想像して穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ストーップ!!!」

 

 響き渡った大音声に、ぴたりと動きを止めるクリストファーたち。

 彼らが振り返った先には、「ファンクラブ会長」と書かれたハチマキを装着したクリストファーがいた。

「ニシキさんは、アイドル活動を休んでお忍びでここにいらしているんだ! あんまり無理させないよーに!」

 彼は声を震わせながら叫ぶ。

 それと同時にクリストファーの群れは、ぱらぱらとあちこちに散っていった。

(た……助かった)

 ニシキはへなへなと地面に崩れ落ちる。あのままでは故障の危機だった。止めてくれた会長クリストファーが、神にも仏にも見えてくる。

「まさか本当にこの国って……」

 震える声でクリストファーを見上げると、彼はわずかに口の端を上げた。


「はい。国民全員、ニシキさんのファンですよ」


   ❅


「我が国で一番のお部屋を用意しました」

 

 午後になると、なぜか執事の姿をした青年クリストファーが、ニシキを宿泊地へと案内してくれた。


「ひっ……!?」


 そこはまごうことなき、スウィートルームだった。

 敷地内で最も高いビルの最上階。窓からは、灰をかぶったように真っ白な富士山を望むことができ、この時代には贅沢すぎるほど調度品が整っていた。シフォンケーキのごとく柔らかそうなベッドには天蓋がさらりと垂れかかり、シャンデリアには細やかな天使の彫刻が施されている。


「こ……こんないいお部屋、使っていいんですか?」

「もちろんです。建築デザインに魅入られたクリストファーが、ニシキ様にぴったりのお部屋を妄想したあげくに作ったものですから。彼もきっと喜びますよ」

「あ……ありがとう……」

「いえいえ、なんのこれしきのこと」

 

 執事クリストファーは品の良いお辞儀をする。きっちりと整髪剤で整えられた髪は、礼をしても一切ほつれない。


「もうすぐ、夕食もお持ちしますので」

「あっ、でもボク、リアルの食べ物は……」

「安心してください。ここは天才科学者のクローンが集まったクリストファーの国。味覚生成タグをふんだんに使用したホログラムでの調理など、お安い御用です」

「は、はぁ……」


 なるほど、クリストファー帝国は、全員がクリストファー級の頭脳を持っている科学大国なのか。

 ニシキは少々呆気に取られていたが、ふいにここまで一緒に行動していた彼のことを思い出した。


「そういえば……ファンクラブ会長のクリストファーさんは、どこにいったんでしょう」

「ああ……。彼なら探す必要はありません」

「でも、帰るときは一緒に帰ろうと思って……」

「ではこの部屋の場所だけ彼にも伝えるようにします。そのうち彼のほうから会いに来るはずでしょう」


 ニシキはひとまずそれで納得した。

 執事クリストファーは彼の居場所を知っているのだろうか。それとも、ニシキが会いたがっていることに嫉妬して、「探す必要はない」などと言ったのだろうか。


「では、失礼いたします」


 執事クリストファーはそう言って部屋を後にした。

 夕日が富士山の輪郭へと沈んでゆく。

 ゆっくりさせてくれるのはありがたいけれど、一人きりだとかえって心細さも感じてしまう。

 

 何かが足りない。

 どうして足りない?


(そうだ。トーキーを連れてくるのを忘れたんだ……)


 今になって、ニシキはそんなことに気づいた。

 前まではずっと、どこに行くのもトーキーと一緒だった。けれどここ最近は、ついトーキーをトラックのなかに置き忘れてしまうことが増えていた。今回もその流れで置いてきてしまったのだ。


(どうしてだろう。前まではトーキーと話していないと、さみしくて仕方がなかったのに……)


 やがて夕食が運ばれてきて、ニシキはぼんやりとそれを食す。

 そのシチューは芸術的なまでに美味だった。これも科学の力なのだろうか。ここまでくると科学というより、緻密な魔法にも思われた。

 ニシキはシチューを食べながら、つい癖のように、正面に座る「誰か」を見やる。


 しかしそこに、コウはいない。


(そうだ。この頃はいつも、コウがいたんだ……)


 コウがいたから、トーキーで孤独を紛らわす必要がなくなってしまっていたのだ。

 そのぐらいにはもうニシキにとって、コウは大きな存在だった。

 コウに対して絶妙な距離感を保ってしまうのは、アイドルとしてのプライドがあるせいだ。

 けれどそのプライドさえ捨ててしまえば―ニシキはコウと食卓を囲う時間が、それなりに好きなのかもしれないのだ。


(最初からボクがアイドルじゃなくて……ボクと、コウと、ドワン号で……三人で家族だったなら)


 そんな思いに駆られながら、スプーンですくった光沢をぼんやりと見つめていたときだった。


「にーしきさ~んっ」


 あどけないその声によって、ニシキは現実へと引き戻される。



 部屋の扉を開けてみると、もじもじとそこに集まっていたのは、三人の幼いクリストファーたちだった。

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