017「ようこそ、我が楽園へ」
少し、遠くで休んできます。
ライブはまだステージも取ってないと思うので、ちょっと延期にしてください。
そのうち帰るので、さがさないでください。
ニシキ
トラック内のタブレット端末にそんなメッセージを送信して、ニシキはコウとドワン号の眠る住処を後にした。
こうしてアイドル業からの逃避行がはじまる。
クリストファーの国とやらは、フジ・シェルターから5キロほど離れた場所にあるらしい。現在地からはもっと近いらしく、西へ3キロほど歩いたところに「それ」はあった。
「ここは……大学跡ですか?」
「そう、富士波大学遺跡の全体が、クリストファーの国なんだよ」
敷地は、色あせた煉瓦の塀で囲われていた。下の方は無論雪で埋もれていたが、それでも見上げるほど高い塀である。
もちろん、Eggによって気温の適正化もされているエリアであるみたいだった。うっすらと青いドームがその地を覆い、遺跡全体を包んでいる。
「こっちです」
クリストファーは、塀が崩れた部分を見つけてよじ登ってゆく。
ニシキもそれを真似して塀を登り、そして思わず声を上げた。
「うわあ……!」
塀の向こうに見えた景色は、まるで遺跡でできた町だった。
かつては隆盛を誇った研究施設だったのだろう。キャンパス内には、旧世界の摩天楼がいくつもそびえ立っていた。
ビルの一つは派手に崩壊し、頭を地につけるがごとく中腹でボキリと折れているが、他の都市と比べれば旧世界の状態が保たれているほうだ。地形的に考えれば、富士山が雨風からこの地を守っているのかもしれない。
「驚くべきは、町並みだけじゃありませんよ」
塀の上で隣に腰かけているクリストファーが、ひときわ賑わっている大通りを指さす。
「え、えっ……。うわ……」
「言ったでしょう? クリストファーの国だって」
さすがのニシキも眩暈を覚えた。
キャンパス内を闊歩している人々は、全員クリストファーだったのだ。
花束を片手に持った少年、雪の中で野菜を作っている青年、分厚い本を紐解いている老人……。そのすべてが銀髪で、知性を宿した緑色の目をしている。
「……おどろいたかね」
突然の声に、塀の内側を見下ろすと、すぐ下に小柄な老人がいた。
雪と同じ銀色の髪に、緑の目。サンタクロースのように豊かな髭。
すっかり年老いてはいるが、彼もクリストファーのクローンに違いない。
「ここができたのは五年前。シェルターから逃げだした一人の少年が、その頭脳と科学力でつくりあげた自治国じゃ。以来、シェルターを抜け出した同族が、列島各地からここを目指して集まってくる」
「俺はちょっとした観光ですけどね」
青年クリストファーは塀の上で足を揺らしながら、茶化すように微笑んでいる。
ニシキは塀の上からひらりと飛び降りて、老人クリストファーの横に着地した。この辺りは、敷地内でも閑散としている空き地なのだろう。周囲にはこの老人しかいなかった。
「こんにちは、あの、えっとボクは……」
「ふぉっふぉ。名乗らんでもよい。この国におぬしを知らん者はおらんからのう」
「は、はあ……」
「おぬしのライブだって、毎朝みなで集まって鑑賞しておる」
「へ、へえ……」
気圧されるニシキをよそに、老人は皺だらけの小さな手で髭を撫でながら笑った。
「ようこそ、我が楽園へ。大通りまで案内しよう」
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