013『完全に記憶しました』



「なんだか顔つきがいつもと違うね」


 アンデリカとの特訓から一週間後。

 ライブ前の舞台裏で、コウからそんな言葉をかけられた。


「そう見えますか」


 ニシキは静かに、不敵な笑みを浮かべる。

「時間です。先に歌ってきます」

 ニシキはそれだけコウに告げると、古びた昇降機の上に乗った。

 音源コピー機が、一曲目の前奏を流し始めるとともに、ニシキは昇降機に乗って、ゆっくりとステージへと上昇していった。

 

 見上げた先には満点の星。スポットライトがニシキの姿を捉えたその瞬間、会場を震わせるような歓声が響き渡る。

 その熱量を放すことなく、ニシキはそっと歌い出した。


(今日こそ、コウを打倒する)

 成長したニシキの歌で、会場を魅了してみせるのだ


   ❅


『……いい? アンタが覚えないといけないのは、ホルタメント―—簡単に言うと、しゃくりなの』


 七日前の真夜中。あの研究室でアンデリカは言った。


『今歌ってもらったのを聞く限り、アンタはかなり精確に音程を取って歌うことができる。けれど、アンタがカバーしているボカノ曲の音源はとっくに劣化して、細かなしゃくりはほとんどノイズと混ざってしまっているんでしょうね。……アンタ、カバーするときに、ノイズキャンセルしていない?』


『あっ……。ほとんど無意識にやっています』


『決まりね。アンタの歌い方にほとんどしゃくりがないのは、音にアクセントを付加するためのしゃくりを、うっかりノイズといっしょにキャンセルしてしまっているから。けれど、コウの歌い方は違う。彼女はしゃくりが異様に上手で、だからあの独特の曲も歌いこなしているの』


『ならボクも、しゃくりさえちゃんと使えれば……!』


『ええ。彼女の歌唱にも負けない迫力が出るはず。ひとまずアンタが覚えるべきしゃくりは三種類。①ムリヤリしゃくり、②オシャレしゃくり、③ぷるぷるしゃくりよ』

 

 アンデリカは戸棚から旧世界のコンピューターを取り出すと、音声合成ソフトを起動させた。

 彼女はキーボードを操作して、画面に緑色のバーを配置していく。

 ニシキはこの操作をすでにどこかで知っていた。ニシキがメモリに歌い方をインプットするときも、処理回路内で同じ操作をしていたのだ。


『まずムリヤリしゃくりから教えるわ。いまソフトに打ち込んだように、イ~エ~♪ って歌う場合なら、伸ばした「イ」の最後のほうの音程を無理やり上げるのがムリヤリしゃくり。これを使えばわざと音を外している感じが出てなかなか人間っぽさが生まれるけど、次の音の滑舌が悪くなるのがデメリット。だから多用はおすすめしない』


『なるほど。完全に記憶しました』


『……AIは記憶力が高くて教えるのが楽だわ。

 次にオシャレしゃくりは、例えばイーヤ~♪ って高い音から低い音に流れるとして、「ヤ」の部分を工夫する歌い方ね。〈虚構体〉のあなたなら、「ヤ」の子音「y」を「イー」より音程高めにして付け加えて、母音「a」だけを低めに歌うって言えば分かるんじゃない?』


『わっ……分かります! すごい分かりやすいです!』


『そう……。人間にはかえって分かりにくいのだけど、まあ、今ので理解できたならいいわ。

 最後にぷるぷるしゃくりだけど、これはオシャレしゃくりの母音と子音を分解しないバージョン。イーヤ~♪の「ヤ」でひょいっとむりやり音程を上げてしゃくって、「~」の部分を元の音程で歌うだけ。オシャレしゃくりより細かく聞こえるから、ちょっと表情をつけたいときに良いわね。自由に使いどころを選んで頂戴』


『え……あの、その使いどころっていうのは、ボクが決めるんですか?』


『あたりまえじゃない。すでにある曲を歌ってみるなら、自分なりの表現のしかたで歌ってもいいのよ。あなたの歌う曲たちは、過去の天才たちの音楽であり、あなたの音楽でもあるんだから』


   ❅



 そんな記憶とともに、ニシキは歌う。

 いつもの自分とは何もかもが違うのが分かった。

 音が、声が、強く強く世界に放たれていく感覚。解像度が一段階上がった絵のように、一気に鮮やかに表現されていく。

(……楽しい)

 歌うのが、楽しい。

 メロディーを放つことも言葉に表情をつけることも、こんなに自由だなんて知らなかった。

 ぜんぶアンデリカの指導のおかげだ。


 復元されたシンセサイザーの音色は、朝陽に向かって走るトラックのタイヤが岩を弾くのと同じリズムを刻んでゆく。ニシキの声はその速度に乗りながらも、絶妙な表情の変化を見せていた。

 ときにふわりと微笑みながらアクセントを加え、ときに強く叫ぶように弾かせる。


 いつもよりもずっと伸びやかに、遠くまで声を届けられていると思えた。観客たちが振りかざす発光ペンの青い光が、夜明け前の海のように波打ちながらきらめいていた。


 これが、ニシキの知る、世界でもっとも美しい光景。

 観客と深くシンクロできたときの景色だった。


「ありがとうございました! Or■ngestarさんで、D■YBREAK FRONTLINEでした!」


 ニシキがスカートの裾をつかんでおじぎをすると、たちまち歓声が湧き上がった。ニシキの変化に驚いたのか、お互いに顔を見合わせて笑っている観客もいた。

 顔を上げたニシキは、ぱぁっと顔を輝かせて叫ぶ。


「改めまして、みなさんこんばんは! ヴァーチャルアイドルのニシキです。今日はぜひぜひ、いっぱい楽しんでいってくださいねーっ!!」


 ニシキ手を振って、次の曲「濫觴■命」が流れ始めるのを待つ。

 しかし、聞こえてきたのは思いもしないメロディーだった。


 ゆっくりと響く、コウの声。

 

 舞台袖から出てきたのは、いつもならライブの最後にしか歌わないはずのコウだった。


(えっ……!? セットリストと違うんだけど……!)


 ニシキはあわてて舞台袖に退避した。

 このタイミングでコウが歌うなんて聞いていない。

 しかも彼女は、いつもとは異なる衣装を纏っていた。自身のホログラム構造をいじってきたのだろう。普段の黒いTシャツ姿ではなく白。白と青なコスチュームだった。

 

 やはり「夏」がコンセプトなのか、肩のあたりで半袖になっていて、肩には金色の装飾がほどこされた鎧をつけていた。スカートではなくサスペンダーをつけたショートパンツ。ヒールつきの白いブーツが長い脚にやたら似合っていて、王子様然とした衣装さえ違和感を持たせない説得力を伴っていた。

 

 まさにカリスマ超人間的

 そんな言葉がぴったりだった。

 一気にアイドルらしくなった彼女に、ニシキも会場も釘付けになる。

 


 そして、問題はその楽曲だったのだ。











※本話の参考文献

https://sp.ch.nicovideo.jp/naoshi/blomaga/ar1706574 (2020.08.24アクセス)

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