011「アタシの幻覚かと思っていたわ」


 アンデリカ・ミツイ。

 それがクリストファーの友人の名前らしい。


 日没後、ニシキとトーキーはクリストファーに案内され、廃墟の連なる街を歩いていた。シェルターでは限られた電力を街灯よりも暖房に回すため、灯りの乏しい風景が続く。

「ここだよ」

 たどり着いたのは、飛行自転車の修理場のようだった。ガレージには翼を広げた自転車が三台ほど停車されており、床には無造作に工具箱が置かれている。

「昼間はメカニック屋さんなんだ」

 そう言ってクリストファーは、ガレージの奥にニシキを手招く。透明なドアを横に引いて開けると、その奥は青白い蛍光灯が光っていた。

 さながら研究室のような部屋だ。床はケーブルだらけで足の踏み場もなく、ケーブルの上には殴り書きされたメモや、古い書類が散乱している。


 そしてその部屋の奥にあったのは、黒髪の女性の後ろ姿だった。


「アンデ~……。こんばんは……!」 

 クリストファーがか細い声で呼びかけると、椅子の上に片膝をかけていた少女は、椅子ごとくるりとこちらを向いた。


「……誰そのブス」

 瞬間。ニシキは落雷に等しいショックを受けた。

 これでも一応、博士が目いっぱい美少女に造ってくれた〈虚構体〉だし、アイドルなのだ。むしろ、〈虚構体〉の取り柄は、九割見た目だと言っても過言ではない。可愛いと言われたことはあっても、その逆を言われるなど想像も及ばないことであった。


「ニシキシッカリ! しっかりニシキ!」

 意気消沈したニシキの頭上を、パタパタとトーキーが飛び回る。

「ひっ……ひどいよアンデ! ニシキはボクの超・超・超がつく推しなのに……!」

「推し……?」

「そうだよ……!」

 顔を頬を真っ赤にして訴えるクリストファー。

 黒髪の彼女は、乾いたため息を一つ零した。

「……あんたはいいよね」

 そんな声を転がしながら彼女は億劫そうに椅子から降りると、すたすたとニシキに接近した。その気配でニシキはようやく、ショックで飛びかけた意識を引き戻すことに成功する。


「アタシはアンデリカ。このクローンのお世話係」

「ええっと……。ニシキです」


  高圧的な口調に気圧されながらも、ニシキはひとまず会釈することにした。

 アンデリカはふわふわと癖のついた黒髪と、真っ黒な瞳が特徴的な女性だった。厚手のジャケットも真っ黒で、マリンブルーの指し色が際立っている。ごわごわとしたジャケットから下に伸びる脚は細く、身長はニシキより頭一つ分高かった。

「ア……アンデはね、音声合成ソフトを発掘したことがあるんだよ……!」

「えっ!? シェルター外の遺跡からですか?」

 クリストファーは控えめにうなずく。

 ニシキは目を丸くしてアンデリカを見つめた。

「……それが何? 別に生身の人間だって、死ぬ勇気があれば外に出られない訳じゃないんだし」

 アンデリカは指に髪をくるくると巻きつけながら答えた。ゆがめられた真っ黒な瞳は、蛍光灯の光もすべて吸収している。


「アンデ、実はね……。ニシキに、歌を教えてあげてほしいんだ。アンデなら教えられるでしょう?」

 ふりしぼるような声でクリストファーが言うと、アンデは指に吐きつけていた髪をしゅるりとはらった。


「……無理かな。そんなホログラムAI相手に、歌い方を教えて何になるの」

「無理じゃないよ! アンデが発掘したソフトを使って、歌わせてたの知ってるもん! アンデはちゃんと、機械の声の組み立て方を分かってるんだ!」

「ちがう。アタシはただ―—」


 アンデリカは声を上げるも、すぐに考えなおしたらしく口をつぐんだ。

「確かにアタシは、旧世界の合成音声ソフトをいじってはいる。けどそれは彼を……アタシの天使を再現したいだけ」

「て……天使?」 

「……そうよ」


 アンデリカはじとりとニシキを睨んで、ぼすっと再び椅子に背中を預けた。

「そう。彼はかわいくて、はかなくて……最高の存在。アタシにとっての生きる希望で、アタシのすべて。彼の歌をもう一度聴けるなら、アタシはもう何もいらない」

「……その人もアイドルだったんですか?」

「そう」

 アンデリカは椅子の腕で膝を抱えていた。


 気難しそうな彼女がそれほど惚れ込むなんて、一体、どんなアイドルなのだろう。

「彼」と呼ぶからには男性なのだろうが、コウのことではなさそうだ。

 そもそもこの氷河期に、ニシキとコウ以外のアイドルがいたことが驚きだった。多くの人々は生活基盤の維持に労力を奪われるばかりで、文化的な営みはとうに廃れているのに。


「その人の名前は、何というんですか?」

「覚えてない。本当に小さいに、一度だけライブを見ただけだし」

「そうなんですか」

「でも、今でも彼のことを夢に見るの。……透きとおった、綺麗な髪の少年だった。彼が美しいんじゃない。アタシのなかに『美しさ』とは何かインストールしてくれたのが彼なの。

 彼以外のどんなに素敵なモノも、アタシにとっては彼の劣化版としか思えない。シェルターの外に出たのだって、彼を探しに行こうと思ったからだったのよ」


「それは……よっぽど魅力的なアイドルだったんですね」

「そうよ。今頃はきっと、二十五歳ぐらいになってるはず。歌声はなんか鼻声で、大人たちはなんでだか『不気味だ』って言っていたけど、アタシはそんなこと思わなかった。たとえ上手く歌えなくたって、本当の、本当に精一杯歌ってるんだなってことが分かって、胸が張り裂けそうになった」


「えっ」


 アンデリカの言葉は起爆剤のように連鎖して、ニシキのなかの、一つの記憶に点火した。

「不気味だって、観客がそう言っていたんですか?」

「ええ。他にも『怖い』とか、『ぞわぞわする』とか、彼の歌の評価は散々だったのよ……。なんででしょうね」

 まさか。という予感が脳裡ハードによぎる。


「アンデさん。もしかしてなんですけど……そのアイドルって、青いショートパンツにセーラー服でしたか?」

「え? あぁ、言われてみたら確かにそうだった気がするけど……」

「大サビで、背中から羽根が生える演出とかありましたか?」

「え、ええ。その通りよ。そのときの彼の姿があまりに神々しかったから、アタシの幻覚かと思っていたわ。けれどどうしてあなたがそれを……?」

「い……いえ……」


 ニシキは真っ青な顔でうなだれていた。

 これで確信できてしまった。


 アンデリカの言う「天使」とは、過去のニシキに違いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る