008「召し上がりやがれ、です」


「は、かせ……?」

 ニシキが震える声を洩らすと、彼女は少し首を傾げる。やがて思いついたように髪紐をはずし、絹糸のような金髪を広げた。

「ぅえっ」

 たちまちニシキは凍り付く。AIにあるまじき変な声が出たけれど、それをトラブルシューティングするほど回路に余裕もなさそうだ。

 

 何を隠そう、さっきまで博士にしか見えなかったその人物は、他でもないコウだったのだ。 


「こんばんは」

 ふっと灯される、大人びた笑顔。

「なっ……な……」

 ニシキは顔を引きつらせては赤面した。どうしてこんな〈虚構体〉のことを、一瞬でも博士と見間違えてしまったのだろう。コウに失礼だとか、博士に申し訳がないなんてことは思えないが、博士を愛する自分の心がこの状況を許せなかった。

「ミグチ・コウ……なぜここに」

「泊まるところが見つからなくって。市長さんに相談したら、君のトラックに行くよう案内されたんだ」

「あ、あぁ……」

 ニシキはヘナヘナと溜息をついてしまった。

 そういえばコウは、ニシキのライブのサプライズゲストと偽って登場していたのだ。市長に寝床を訊ねれば、ニシキのもとに案内されるのは当然だろう。

 彼女には思うところのあるニシキだったが、とはいえ吹雪のなか追い返すほど冷徹でもない。

「どうぞ……。散らかった部屋で良ければ」

「ありがとう。恩に着るよ」

 長身のコウは天井にぶつからないよう、少し屈みながらトラックのなかに入った。

 ニシキは黙って彼女のコートを預かり、適当に紐で吊るしておく。磐山のようなオレンジ色がよく映える立派な防寒着だ。コートの下に着ている黒いニットからはわずかに鎖骨がのぞき、骨ばった体格の彼女によく似あっている。

「あの……」

 ニシキはくぐもった声で尋ねる。

「いま、あなたが脱いだ服は何ですか?」

「パーカーだよ? オレンジ色の」

「じゃあいま着ているのは?」

「黒いTシャツだけど、それがどうしたのかな」

 薄く笑みを浮かべるコウ。

 悔しいほど予想通りの返答に、ニシキは思わず顔をしかめた。やはりコウは、自分が夏服を着ているつもりなのだろう。やはりコウとニシキでは、物の見え方が異なるのだろうか。

 あるいは、コウが嘘を吐いているか……。

 ニシキは、勝手に椅子の上に座っているコウに詰め寄った。

「あなたには、色々と聞きたいことがあります」

「いいよ。けれどその前に、キッチンを借りたいんだけど駄目かな」

「……?」

「さっきはサプライズゲストなんて嘘を吐いてしまったからね。お詫びに料理を作ってあげようと思って」

「……必要ないです。ボクもあなたも〈虚構体〉なんだから、ロボットと違って食べられないはず」

「食べられるさ。ニシキはホログラムを生成できるんだろう?」

「なぜそれを」

「そのベッドもそこの椅子も、ホログラムくさいから」

 ニシキは吊り上げていた眉から力を抜いた。

 ニシキの〈核〉が内蔵している機能に、ホログラム生成という機能がある。〈核〉による投影領域を拡張することで、自分の外側にも任意のホログラムを出現させることができるという程度の機能だ。

 かつて博士にどうしてそんな機能を付けたのか尋ねたことがあったが、「私の遊び心だよ」と返されるだけだった。つまり博士の趣味なのだ。

「ホログラムで食材を生成してそれを料理すれば、アタシたちにも食べられるはずだろう? ニシキだって試したことがあるはずだ」

 見透かしたような言い方が気に喰わなかったけれど、コウの言い分は正しかった。

 ホログラムで料理を作れば、ニシキにも食べることができる。ホログラムがホログラムを食べるなんて妙な事象だけれど、人間の食事だって物質が物質を食べているのだからレベルとしては同等だ。

 ただ、自分のぶんの料理も作るなんてことは、博士が死んでから一度もしていないことだった。

「アタシがカレーを作るから、材料だけ出して欲しいんだよ。じゃかいもと人参と、たまねぎと、鶏肉とルーと、それからマンゴー」

「……。マンゴーを入れるのは許せない派です」

 ニシキはそう言いつつも、ぽんぽんとそれらの食材をホログラムとして生成していった。

 人間が触れればすり抜けるホログラムでも、同じホログラムである〈虚構体〉ならば、自由に加工することができる。

 ホログラムは光の投影だ。旧世界では投射機とセットで投影機が必要だったらしいが、ここ数百年では空気中の塵を投影機がわりとして、はっきりと像を結べるほどに発達した。よって〈核〉を持つ〈虚構体〉ならば、光の投影に干渉してホログラムを変形させることができる。平たく言うと、虚構なら虚構に触れられるのだ。

 トントンと架空の音を響かせ、コウは野菜をひと口大に切る。包丁も仕方ないからニシキが生成してやった。

(やけに手際がいい……)

 これならカレーも期待できるだろう。

 そう思ったニシキが、ベッドで身体を伸ばしていたとき。カレーの虚構となる予定だったホログラムたちは、微粒子レベルまで何も語らぬ塵灰と化した。

「え……。あの……」

 まさかと思って起き上がると、コウがかき混ぜていたホログラムの鍋は爆散し黒い煙をあげるとともに、紫色の粘液が錬成されている。

「もしかしてあなた……。ホログラム変形ヘタクソ芸人ですか」

「ぐぅの音も出ない」

「チョキもパーも出ないでしょうね」

 ニシキは軽く息をついて、かつて野菜のホログラムだったモノを消去した。投影されただけのホログラムは、こういうときの処理が便利だ。

「もういいです……。ボクが作るので、そのへんに座っていてください」

 ニシキはキッチンで立ちすくむコウを押しのけて、もう一度食材を生成した。

「じゃあ、遠慮なく」

 ボスっと椅子に座るコウ。彼女の視線を背中に感じながら、ニシキは妙なデジャヴを覚えていた。

 遠い昔。メモリにも残っているか怪しいほど遠い昔に、同じようなことがあった気がする。

 そう、ニシキは料理が得意なのだ。

 なぜならニシキは、博士の家族になるために造られた〈虚構体〉だから。

 博士の発明した鋼の手袋を付けて、実物の野菜を調理することもあった。


(そうだ。博士も確か、壊滅的に料理が下手で……)


 と一つの予感がよぎった瞬間、ニシキはそれを振り払うように首を振った。

 家族のいない日々に耐えかねて、ハードがおかしくなってしまったのかもしれない。

 コウが博士に似ている気がするのは、きっとニシキの願望が生み出した勘違いだ。あの博士はそもそも、コウほど美形でもなかった(ニシキにとっては、この上なく魅力的な人物だったが)。コウと博士が重なるのは、ニシキ自身が博士に会いたいと思っているせいに違いない。だから金髪の少女を前に、頭が勝手に勘違いを起こしているのだろう。

(つまりは、ボクの願望の投影……)

 そんなことを考えているうちに、カレーは難なく完成した。

 我ながら上出来。それに、せっかくホログラムで何でも生成できるのだ。ニシキは上機嫌で、いつか博物館で見たランプ型のソースポッドを生成した。同じカレーでもひと手間かけてソースポッドに盛り付ければ、たちまち旧世界のレストランのごとし。

「おぉ……。なんだかすごく、おいしそうだね」

 コウは片手にスプーンのホログラムを携え、子どものように目を輝かせる。

(いやいや……ボクへのお詫びなんじゃなかったのか?)

「どうぞ召し上がりやがれ、です」

「うん。いただきます」

 コウが丁寧に手を合わせ、ニシキも席についてスプーンと手に取った。ひと口カレーを頬張ってみると、架空のスパイスの香りが鼻腔に広がる。単純な味覚をAIが感知するための情報タグを組み合わせてホログラムに組み込んだだけだが、これはおいしい。我ながら天才かもしれない。

 吹雪のなか、橙色のランプが室内を照らし続ける。その球形の硝子の向こうに、夢中でカレーを頬張るコウの虚像が映っていた。

(……もし、この人が)

 ゆらゆら揺れるランプの灯を眺めながら、ニシキは思う。

(もしコウが、常識知らずの〈虚構体〉じゃなくて……本物の家族だったら)

 どうしてだか、そんなふうに思えてしまった。もしかしなくても、博士に顔が似ているせいだ。


「そろそろ聞いてもいいですか」

「うん、どうぞ」

 穏やかな声で受け入れられて、ニシキは空気が張り詰めるのを感じた。コウならば本当のこと、、、、、を知っているはず。そんな確信が胸を満たしてゆく。


「……いま、世界は氷河期なんですか。砂漠なんですか。どうしてボクとあなたでは、こんなにも見えているモノが違うんですか」

 灰色の瞳をまっすぐに見上げ、ニシキは低く付け足した。


「教えてください」

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