第3話 たった一つの家族のあり方

007『決めました、博士』

「ただいま……」


 転がりきれない鈴のような声を落として、ニシキはキャンピングトラックの扉を開ける。

 ニシキの住居は、古いキャンピングトラックの中にあった。

 昼間はドワン号が運転して、あちこちのシェルターを巡っている。

 トラックのなかは、ニシキのベッドのほか、青いチェック柄のテーブルクロスがかけられた小さな机と、オイル棚やキッチンも完備。ロボット二人のために「オイルめし」を作ってあげることも多い。

 しかし、いまはドワン号の姿はなかった。ドワン号は陽が沈んでしばらく経つと動かなくなる。驚くほど古いロボットなので、太陽光で自家発電できない夜は活動することができない仕様なのだ。

 一度ドワン号が動かなくなってしまうと、ホログラム体であるニシキには引っぱることも動かすこともできない。この日のライブの後もそうで、控え室で一服している途中で彼は停止してしまった。だからニシキはしかたなく、彼をそのまま控え室に置いて、トーキーと二人で帰って来たのだ。

「おかえりなさい、ボク」

 ニシキは一人、そんなことをつぶやく。

 机の上に置かれたランプを点けると、ニシキをほっとさせる橙色が広がった。

「今日は疲れたね、トーキー」

 相棒の小型ロボットに話しかけると、トーキーはニシキの肩から飛び出して、ピコピコと手のひらの上で喋り出した。

「そうだネ。色々あったカラネ!」

「うん……色々あった」

「砂漠とか夏とか、コウのことトカ?」

「そう。もう、何がなんだか分からない」

「デモ大丈夫。ニシキなら明日モ頑張れるヨ!」

 手のひらの上でぴょこぴょこと動くトーキー。コウモリのような羽が、パタパタと規則的に羽ばたいている。

「ありがとう、トーキー」

 そう言うニシキの瞳は、ふっと虚ろな色となり―—静かにトーキーを撫でた。

「トーキーはいつも、ボクが欲しい言葉をくれるね」

「エー、そうかなァ……」

「そうだよ」

「そうだとしても、当たり前ダヨ~」

「そうだね、当たり前だね」


「ウン! だってボクは、ニシキが全部動かしているんだカラ!」


 ニシキはそこまでトーキーに喋らせて、、、、、ニシキはベッドに飛び込んだ。

 両手の中に抱いたトーキーは、もう羽ばたかない。

「……何やってるんだろうね、ボクは」

 トーキーは、ニシキが操るプログラムによって作動する小型ナビゲーション・ロボットだった。ニシキの脳たるAIは、トーキーの中枢システムと接続されており、ニシキ思う通りに発話し、飛び回るようにできている。

 このことは、ドワン号でさえ知らない秘密だ。ドワン号はもう何十年もの間、トーキーを自律した知能を持つロボットだと勘違いしている。

(それでもボクは、家族が欲しくて)


 トーキーはニシキがつくった「家族」だった。

 三百年前のある日。ニシキはある博士によって家族型の、、、、〈虚構体〉として造られた。もともと〈虚構体〉という人工知能は、誰かが望んだキャラクターを、ホログラムとして実体化させたものだ。

 博士と語らい、彼女の孤独をやわらげ、彼女のそばで暮らしてゆく。それが〈虚構体〉ニシキの役割だった。

 逆に言えば博士の存在こそが、ニシキを成り立たせている枢だった。

 だから博士が死んでしまった後、家族のいない自分の存在を、ニシキは疑問視し続けた。

(家族型の〈虚構体〉なのに家族がいないなんて……なんのために存在しているのか分からない)

 話しかけてくれる誰かが必要だった。だからトーキーを造って、求めている言葉をくれる相棒とした。

 たとえ自作自演だろうと、それでよかった。

「博士、」

 動きを停止したトーキーを両手に抱き、ベッドの上で目をつむる。

 遠い昔に消え去った人の面影が、瞼の裏でゆらゆら揺れた。


『決めました、博士。ボクは冬の歌をいっぱい歌って……世界一有名な〈虚構体〉になってみせます』


『え……ええ?』

 三百年まえのこと。

 遠い日の彼女は、やわらかな苦笑を浮かべていた。

『博士は世界一すごいひとです。だからボクも、世界一すごい〈虚構体〉になれるはず』

『なるほどね……。ニシキにそんな感情が芽生えて、私も嬉しいよ』

 博士はそう言ってニシキを撫でる。

 ニシキはきゅっと目を細めて至福の時間を堪能する。ニシキは彼女の声が好きだった。肩まで伸びたブロンドの髪も。灰色の目も。

『でも、どうやって有名になるつもりだい?』

『動画ストリーマーになります』

『ははは、古典的だけどいい方法だね。じゃあ今度、とっておきに可愛い洋服をモデリングしてあげよう。……将来的には、踊れるようにした方がいいかな。歌えるようにするのは……ちょっと苦手分野だけど頑張るよ』

『博士、ボクを応援してくれるんですか?』

『もちろん。ニシキの素敵なところを、世界で一番良く知っているのは、私なんだから』

 そう言って彼女は目を細める。若い頃と変わらない灰色の瞳が、ニシキのことを優しく見つめていた。


(『ボク』とは……『ボク』とは常に、『家族として造られたモノ』なのに……)


 我知らず、ホログラムの涙が頬に伝っていった。

 博士が死んでしまってから三百年、ニシキは壊れたように生きていた。アイドル活動を始めようと、博士のいた北海道の家を出たのはつい十年前のことだ。

 

 人間はどうして、百年も経たずに死んでしまうのだろう。

 どうして、こんな失望だらけの夜も、ニシキの隣にいてくれないのだろう。

 

 夜の底に溶かすように、ぽろぽろと泣いていたそのときだ。


「ごめんくださーい!」

 戸を叩く声が聞こえて、ニシキは涙にまみれた顔を上げる。

 窓の外はもう暗く、雪はかなり吹雪いている。

 ……こんなに時間に誰だろうか。 

 涙を拭ってトーキーを机の上に置くと、ニシキはトラックの扉を開けた。

「え――」

 ニシキは頭が真っ白になって、ただ彼女のことを見上げる。


 柔い光を帯びた灰色の瞳。

 すらりとした背恰好に、うなじで結わえられた金色の髪。

 灰色の瞳。


 吹雪のなか訪ねてきたその人物は―—若かりし日の博士だったのだ。


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