006「どちらもきっと、正解ではない」
コウが歌いだしたその曲は、どうしようもないほどに物語だった。
砂しか残らない惑星の上を、どこまでも「僕ら」が歩いてゆく。ニシキが歌った白銀の世界とは、真逆の魅力を放つ曲。
不安定な旋律を奏でるギターやピアノはどこか歪ですさんでいて、乾いた風を思わせた。少しかすれたコウの声は、きっと遠くまで届くこともないし、砂嵐に掻き消されるばかり。
それでも歌の中の「僕ら」は決して歩みを止めない。コウの声には、その歌を聞くすべての人を奮い立たせてしまう力強さが潜んでいる。
ニシキには砂漠を旅する一行の後ろ姿が見えていた。
枯れた井戸を捨て去って、昨日の友が今日の友であることも諦めて――すべての生命が朽ち果てた地平を、ただ迷いなく進んでいく。
決して悔いを残さないよう。
「こッ……この曲は!!」
ニシキはびくっと肩を震わせる。
いつの間にか横にいたドワン号は、しとどにオイルの涙を流していた。
「ドワン号……? どうしたの、そんなに泣いて……」
「これが泣かずに居られるカアア。これはアノ超伝説級のボカノ曲……! 『砂の■星』ジャないか!」
「へえ?」
「伝説と言ってモ、一〇〇〇万再生されているとかそういうことではナイ」
「う、うん?」
「この曲が生まれたのは五百年前のこと……。神ボカノPたちが次々と自分の声でメジャーデビューを果たし、『やっぱりボカノってオワコンじゃネ?』というムードが高まっていた頃……。伝説の歌手になった、とあるボカノPが雷鳴のごとくボカノ界に戻ってきて、ニコ動に残していった名曲なんだヨ……。しかもボカノの誕生日を祝うために……」
「知らないけど、すごい歌手の曲なんだね?」
「モチロン。なにせ宇宙で初めて、ボカノP出身で紅白歌合戦に出た人物だからネ……」
そう言ってドワン号は、再びおいおいと涙を流した。どうやら本当に感激しているらしい。
「よ……よかったね、また聴けて」
「ウゥ……」
ドワン号の背中をさすってなだめつつも、ニシキはコウに対する警戒心を強めていた。
さっきまでニシキに見惚れていた観客たちさえ、今はコウに魅了されている。いや、魅了されているというよりも、どこか打ちひしがれているような様子にも思えた。
けれど決して、絶望はしていない。
観客はみな、コウの歌に打ちのめされては、立ち上がり方を思い出したような顔をしていた。
(なんてステージだ……)
観客との一体感、呑み込まれそうになるほどの迫力—―それがこのステージにはあった。
曲が最高潮を迎えると、観客の誰もが腕を振り上げて、同じ熱量を共有していた。
留まることを知らず、砂漠の世界を歩いていく。
どこまでも。
どこまでも。
「ありがとうございました! ■■さんで、『砂の■星』でした!」
ニシキはハッと我に帰る。
いつのまにか曲は終わっていて、歌い切ったコウの上に万雷の拍手が降り注いでいた。
「自己紹介が遅れました。サプライズゲストとして呼ばれていたコウです。アタシが歌えるのはこの一曲だけなんですけれど、楽しんでいただけましたでしょうか?」
コウは何度も「ありがとう」と言いながら、会場に手を振っている。
(ああ、あれはずるい……)
穏やかで余裕のあるコウの笑顔は、必ず人の心を掴む。ざらざらとした歌声とギャップのある柔和な本性は、一瞬にして観客を虜にするだろう。
「ねえ、サプライズゲストなんか呼んでたの……?」
ニシキがドワン号を一瞥すると、ドワン号はプルプルと首を振る。どうやらゲストというコウの言葉は嘘みたいだ。おそらく勝手に割り込んできたのだろう。
「最後に一つ、みなさんにお聞きしたいことがあります」
「「なーにーー!?」」
コウはステージライトを瞳に纏わせ顔を上げる。
「アタシは今、砂漠の歌を歌いました。それはもちろん、世界中が砂漠と化してしまっているから、この曲がみなさんを励ますはずだと思ったからです。しかし、みなさんにはどう見えているのでしょうか」
困惑と焦燥が、たちまちニシキの胸中を制圧する。
すっと目を細めたコウは、一段階低い声で言い放った。
「世界はずっと、砂漠なのでしょうか。それともまさか、氷河期なのでしょうか。砂漠だと思うみなさん。どうか手をあげてくれませんか?」
ニシキの手が震えだす。
祈るような気持ちで会場を茫然と眺めていたそのとき。最前列から一つの手が、空に向かってゆっくりと伸ばされた。
「え―……」
目の前の光景を信じたくなかった。
世界は明らかに氷河期のはずで、観客たちはみんな厚手のダウンを着こんでいるし、周囲の木々にもEggが塞ぎこぼした雪が積もっている。
ニシキは決して壊れていない。
壊れているのはコウのほうだ。
「なるほど」
コウは観客席を見渡してうなずく。
観客たちは、慎重に選ぶようにコウの質問に応じてゆき―—最終的に会場のおよそ半分が、挙手。砂漠と認識できると静かに主張していた。
「半数は砂漠。半数は氷河期を選んだんですね」
金髪の少女は穏やかに、どこか感情を覆い隠したような笑みを浮かべた。
モニターに映ったその視線は、まっすぐにこちらへ向けられている。
灰色の瞳が、射るように。
ニシキのことを試すように。
「氷河期か、砂漠か……。ニシキかアタシか。どちらもきっと、正解ではないんだと思います。それでもみなさんには、
視界がぐらぐら歪んでゆく。
ニシキには、その言葉の意味が分からない。
けれどもっとよく分からないのは、そんなコウの言葉を真剣そうに聞き入れている観客たちだった。
「だからアタシも、ニシキに負けないよう歌うつもりです! 『アタシ』は、『何にだってなれる』から! なのでどうか、これからもよろしくお願いします!」
コウが手を高く振り上げると、たちまち会場から拍手が起こった。
「わかったよーーーっ!」
「二人とも頑張ってーー!」
「もっと歌ってーーー!!!」
そんな声が、熱をもって飛び交っている。
混乱しているのはニシキだけだ。
ニシキだけが、何がなんだか分からなくなっていた。
(……なんで、なの)
歓声が意識の外へ遠のいていった。
半数がいまは氷河期と主張し、残りは砂漠と主張した。二つの意見が混在すること自体、間違っている。どちらかが嘘を吐いている。今日だって、いままでだって、こんなにも世界は寒いのに―—ニシキの愛した銀世界が偽りだなんてことが、どうしてありえるのだろうか。
(わからない)
ニシキが壊れてしまっているのか。
コウが壊れているのか。
それとも、世界中がニシキのことを騙しているのか。
(もう何もかも、分からない)
コウへ向けられた声援が、会場を満たし続けている。
ライトの消えたステージの上でニシキはただ呆然と、目の前の光景を客観していた。
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