第2話 誰が為にコールは鳴る

004「気づいチャッタカイ?」


 どこからか、耳障りな歓声が聞こえている。

 十九歳の森ノ内ケイは、ミナトク・シェルターに五人しかいない「人間の配達員」であった。

 今日も旧式の飛行自転車を羽ばたかせ、リアカーに積まれた荷物を運んでゆく。

 このシェルターにおいて、配達員といえばドローンだった。そもそも三万人で生活基盤を支えなければならないので、「人材」は政治家や技術者、食品や生活必需品の製造者となることが優先されるのだ。

 よって配達業の九割は、ドローンによって担われている。たいてい荷物はドローンで配送ができるため、人間の配達員に任されるのは割れ物や余りものばかりだった。

 そのことに対する、不満はない。

 ただ、「自分は補完役でしかない」という、あたりまえの納得があるばかりだ。

「あれ……」

 その日の夕方。

 森ノ内は今日最後の荷物を届けるべく、工場地帯を横断しようとしていた。

 しかし敷地内には何やら人だかりができていて、飛行自転車でも通過できる雰囲気ではなかったのだ。

 あれはいわゆるステージだろうか。スポットライトが一か所に集まり、一人の少女を照らし出している。

「何やってるんだよ、一体……」

 これでは飛行自転車を走らせられない。森ノ内は仕方なく、自転車を手で押しながら混みの後ろを迂回しようとした。


「みなさーーんっ! ヘバってませんかーーっ!」

 

 少女の声が、突風のように響き渡る。

「「イエーーーーーーッ!」」

 最前列に並ぶ人々が、野太い歓声を上げて答えた。

「まだまだ頑張れますかーーーっ!」

「「フゥウウウウ~~~~~ッ!」」

「じゃあ最後の歌、いきますからねーーっ?」

「「えええ~~~~~!!!?」」

 森ノ内は呆然と、その異様な光景を眺めていた。

 少女の声は人間に限りなく近いもののぎこちなく、機械的な無機質さを帯びている。

 おそらく彼女は〈虚構体〉なのだろう。つまりどこぞのAIが、コンサートを開いているということか。

「は、」

 森ノ内は思わず乾いた声で嘲る。

 ヘバってませんか、まだ頑張れますか?

(……よくも機械の分際で、そんなことを言えるものだ)

 森ノ内は十五歳から働いてきた。働いて、働いて、働いて―—最低限の人間らしい暮らしと、文明を維持していくために貢献しなければならない。そういう時代に生まれたのだ。

 それなのに、歌ったところで何になろうか。

「くだらない」

 森ノ内は再び、飛行自転車を押して歩こうとする。

 ちょうどそのとき、少女の声が会場全体に響きわたった。

「それでは、聞いてください! Or■ngestarさんで、『Alice in 冷■庫』!!」

 直後。ぱりぱりぱり、と薄い氷がささめく音。

 否、森ノ内は知る由もないが、それはピアノの音だった。ニシキとドワン号は発掘した原曲から伴奏音だけ抽出し、スピーカーから流してライブを行う。

(でも、所詮はAI。機械の声なんだろ)

 彼は自分の仕事に戻るべく、再び歩みだそうとする。

 同時に青色のスポットライトの下で、ニシキがそっと歌いだした。

「な……」

 森ノ内は度肝を抜かれて立ち止まる。

 なんだこれは、なんなんだこれは、という声ばかりが脳裡で巡る。

 それは決して、ニシキの歌声に沢山の魅力が詰まっていたからではない。

 むしろその逆。

 ニシキの声があまりに空っぽ、、、で……あまりに美しかったのだ。

 ニシキは歌い続ける。歌声は粉雪のように旋回し、冬の澄んだ空気と、同じ透明度を持って高らかに拡散していく。

 ……こんな音楽があるものなのか。

 森ノ内は、すっかり歩みを止めていた。

 そのパフォーマンスは、情報の密度からして異常だった。たったった、と、少女がステップを踏みながら笑う。その動きだけでも目が追いつかないのに、音楽もまた、何重にも積み重なった淡雪のように構築されていた。雪の一粒一粒まで計画的に、優しく敷きつめた白銀の箱庭。森ノ内にはそんな世界が見えていた。

「君も気づいチャッタカイ? ニシキの魅力に」

「わぁッ!?」

 森ノ内は後ろに大きくのけぞった。

 目の前にいたのは、雪ダルマを潰したような形の中型ロボット。よほど古い機種なのだろうか。あちこち錆びついていて、うっかり転んだら壊れてしまいそうなほどオンボロだった。

「だ……誰だよあんた……」

「ボクはドワン号。ニシキチャンのプロデューサーさ。キミみたいな忙しそうな子ニモ、ニシキの歌を聞いてほしくてね」

「……」

 森ノ内は口をつぐんでステージを見やった。「忙しそうな子」と子ども扱いされたのが癪だったが、ロボットからしたら人間なんてみんな子どもなのかもしれない。

「あの子の声は、とても空虚で、綺麗だろう?」

 ドワン号が言った。

「合成音声の特性だネ。誰の声でも無いカラこそ、誰の声でもあるんだヨ」

「……?」

「人間の歌姫が歌う曲は、ナンダカンダでその歌姫のものだ。わずカニ音を外していテモ、どんな感情表現をしてイテも、本家こそが正解になる。歌詞だって、その歌姫の言葉として発信さレる。

 ケレド機械が歌うとソノ限りじゃナイ。機械の声は誰の声でも無いカラこそ、歌の持ち主が曖昧になる。よりいっそう、聞く人間に近い歌になる。ニシキもそうだし、ボーカルノーツもそうサ」

「ボーカルノーツ?」

「旧世界の合成音声ソフトのコト。マァ、旧世界でも最後の方はオワッテルコンテンツって言われてタンだけどネ……。あの神ボカノPも、かの神ボカノPも、ミンナ自分で歌ったりボーカリストと組んだりして、それでメジャーデビューして……そのままボカノ界に戻ってこなかったと聞くし(ノД`)・゜・。」

「……。よくわからないけれど、」

 森ノ内はステージを見上げる。

(あんなに遠くにいるのに、すぐ近くにいるように感じる歌声だ)

 すぅっと響いてゆく涼やかな声。高らかに伸ばしたロングトーンは、地平の果てまで吹き渡るように、優しくふっと消えてゆく。

 そうして間奏。ピアノの音色が、ちらちらと降る雪のように重なっていき―—やがて最高潮を迎える。

 それはまるで朝焼けだった。

 白く白く、幾筋ものライトが交差してニシキの姿を照らしていた。

 星空も、氷漬けの夢も、白化する記憶も、ぜんぶひっくるめていつか生まれる熱を願う。

 それはそんな歌だった。

「あ……あれ……」

 森ノ内は、いつのまにか涙ぐんでいる自分に気づいた。

(やばい、ちょっと良いかもって、少しだけ思っただけなのに)

 気づけば魅了されていた。

 なぜなら嬉しかったのだ。

 彼女が冬を歌っていることが。

 ―—こんなにも、冬の美しさを歌っていることが!


「みなさんっ! ありがとうございましたーーっ!」


 会場から、一斉に歓声が湧き上がった。

 少女のほわっと安堵した表情かおが、なんだかとても愛らしくて―気づけば森ノ内も自然と、夢中で拍手を送っていた。


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